2008年11月3日月曜日

「老コンサルの残日録」http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/より

のぼうの城


今日は日和(ヒヨリ)もよく、和田竜の≪のぼうの城≫の評判が良く売れているようなので、ブラッと<のぼうの城>: 埼玉県行田市の忍(オシ)城:へ出かけました。行田は、私の出身地の近くです。同市は、私が義務教育年齢の頃は、全国1の足袋(タビ)と学生服の産地、で した。


その後、日本の縫製業界は人件費が安い途上国にその座を譲り渡し、行田もその例に漏れずサビれていました。行田へ は、JR高崎線・熊谷駅で秩父鉄道に乗り換えて行きます。首都圏とは言いながら、新しい産業が興きず、人と物の流れの幹線から外れている地方都市は、どこ でもソウでしょう。


代々、忍城は成田氏の城でした。豊臣の小田原・北条征伐、薩摩の島津家を除くほとんどの大名が参集しました。成田氏 は北条方で、城主の成田氏長は北条の本城・小田原城に詰めていました。城主の留守を守る城代は従弟の成田長親(領民は、デクのぼう様、と呼んでいたそうで す、イメージ湧きますか?)、そこへ石田三成が総大将を務める豊臣軍20,000人が押し寄せます。


<のぼう様>は、あの上杉謙信すら落とせなかった堅固な忍城に篭城し、3,000人の寄せ集めの兵を督励して城を守 ります。三成は、秀吉が備中高松城を攻めた時と同じように、忍城を水攻めにしようと延長28キロにも及ぶ<石田堤>を築きます。<水の城>・<浮き城>と 呼ばれた忍城、水が溜まって来た時を見計らって<のぼう様>方の間者が堤を破壊します。


溜まった水は濁流となって石田本陣を襲い270余人が溺死、豊臣軍(石田軍)の負け戦(イクサ)でした。この事か ら、石田三成は戦将として<?>になったのかも?でも、モハヤ豊臣に逆らうのは島津だけ、島津もやがて屈服します。その後は、関が原戦まで大戦(オオイク サ)はありません。その三成が関が原戦の実質的な大将でした。やはり<戦将にあらず>なんでしょうか?


北条氏は豊臣に降伏して本城・小田原城を開きました。忍城を除く北条の支城はすべて降伏していました。その中で<の ぼう様>の忍城だけが戦を続けていたんです。でも、やがて城を明け渡します。その辺の事を書いたのが≪のぼうの城≫だと思います。また、小説≪水の城いま だ落城せず≫(祥伝社文庫・風野真知雄)が成田長親のキャラを非常に魅力的に書いているとか(また聞きです)。


忍城、殆んど住宅化していて主郭の一部が公園になっています。御三階櫓は、本来ならば別の所に建ってた筈なんです が、主郭に、それも馬鹿デカイのが建っています、もちろん復元ではありません。防御用の壁にある矢狭間・鉄砲狭間もヘンです。でも、主郭の一部と諏訪神 社・東照宮には当時のものと思われる立派な土塁が残っています。そして、当時の湿地の跡らしいところも。


帰り道、名将太田道灌の埼玉県岩槻市の岩槻城へ寄る予定でしたが、先月の29・30日・東信4城巡りの疲れが残っていて、また昨日はジムで頑張りすぎて、もうダメだ、次の機会に、と帰りました。今年は正月以来58城目、今年はペースが上りません。


上田市真田の松尾城(真田本城)本丸土塁。真田氏が戸石城へ本拠を移すまでの真田系城郭ネットワークの指令所だった と思います。普段の居館は麓にありました。上田平へ進出したかったんでしょうが、当時の戸石城は宿敵・村上義清の支城で、それを阻んでいました。真田家は 真田の荘を本拠にしていましたが、村上氏に追われ上州の長野氏の庇護を受けていました。やがて武田氏の後押しで真田の荘を回復します。人気の戦国武将・真 田幸村の父・昌幸、その父・幸隆の頃です。戸石城が欲しい。


松尾城:真田本城


松尾城から旧真田町役場へ行く途中のリンゴ畑、時期的に枝もタワワです。リンゴ、青森・長野・山形…が産地ですが、この辺り、上田の神科辺りのリンゴ(フジ)が最高だと信じています。


真田のリンゴ畑


戸石城・本城への大手道(写真の左)、右は削平地(曲輪跡)です。いつもコンナ所をあえぎあえぎ歩いています。今日の忍城は、今年に入って58城め、例年よりペースが落ちています。

戸石城の削平地


戸石城は、武田信玄が攻めた時に村上義清に惨敗した≪戸石崩れ≫で有名な城です。その後、真田幸隆は謀略で戸石城を乗っ取りました。上田原への進出を拒み続けた村上氏を追い払い、本城を松尾城から戸石城へ移しました。さあ!頑張るぞ!

戸石城から松尾城を望む。コンナ近くで睨みあっていたんですね。中央やや右の岡が松尾城です。


戸石城から真田遠望


戸石城から進出したかった上田平を望む。真田昌幸が、やがて上田城を築き上田原へ進出、大名の仲間入りを果たします。上田城の写真はありません。


米山城から上田平遠望


これからは荒砥城(1枚は忍城)の写真です。


上山田の荒砥城、2郭の井楼櫓です。中世の山城の見張り所はコンナ雰囲気だったんでしょう。


荒砥城二郭井楼櫓


近世の城の隅櫓(きょう出掛けた<のぼうの城>=忍城の御三階櫓)です。築城目的や、人口増・全国的な開墾や治水による米の増収・金銀の増産と流通…で豊かになった結果でしょう。


忍城・御三階櫓


荒砥城本丸から、村上義清の葛尾城を望む。千曲川を挟んで、目と鼻の先です。真ん中の山です。


荒砥城から葛尾城・姫城・千曲川


荒砥城本丸から、遠く白銀の北アルプス、川中島あたりを望む。画像をクリックして拡大すると、真っ白な北アルプスが見える筈です。


荒砥城からの北アルプス


荒砥城から川中島方面


この荒砥城は、上杉と武田の勢力の境目にあったので、いわゆる≪境目の城≫のひとつです。この城にも、荒砥城としてのイロンなモノガタリがあります。去年のNHK大河ドラマ≪風林火山≫のロケに使われました。2郭から1郭(本丸)への登り口から、冠木門と櫓門です。


荒砥城本丸を下から:冠木門と櫓門


たまには趣向を変えて、城廻りの写真です。ご退屈さま。



戸石城の西南端・米山城を足を引きずりながら下りました。山道を荒砥城と併せて4時間ほど歩いたのでカナリ膝をやら れています。上田電鉄タクシーに配車を頼みました。戸石城の登り口は3ヶ所あり間違わないように場所の説明をしたつもりでしたが、いくら待っても来ませ ん。再び電話しました、乗務員が場所がわからないので戻ってきた、とのこと。近くに集落があるので、その集落の公民館に移動し場所を改めて伝えました。


迎えに来た乗務員は無言マンです。私の方から声を掛けました『お陰で新幹線に乗り遅れちゃったよ、指定券とG券が パーさ』、彼は相変わらず無言です、上田駅に着いたとき彼は言いました『そんなこたあ会社に言って下さいよ』。会社の配車係りに電話しました、担当者 『戻ったのと違う運転手が行ったので≪スイマセン≫が無かったんでしょう』。私『こんな事しても迎車料を取るんかね、きのう頼んで感じが良かった上田観光 タクシーは迎車料はナシだったよ』。社風なんでしょうか。


戸倉上山田温泉の小規模な旅館に泊まりました。温泉旅館協会に<1人でも泊まれる旅館>を頼みましたら、恐ろしいほ ど無愛想、そしてナント2軒しか無いんです。7月に猪苗代城を散歩した帰りに泊まった磐梯熱海では17軒が単身OKで、旅館案内には<単身OK>のマーク まで付いていました、駅前の温泉旅館案内所の親切なこと、泊まる事になった旅館の近くのホテルの送迎バスに乗せてくれました。いい旅館で歓待してくれまし た。上山田温泉、営業してる旅館は盛時の3分の1だそうです。解ります。


上山田温泉の≪〇〇の湯≫、泊まりに来たのが悪かったんかなあ、と思うほどオヤジ・女将が無愛想、仲居さんはミョウ チキリン、受付の女性だけがマアまともでした。信州人のイメージ、とにかく理屈っぽくて、協調性が?(信州人のかた、スイマセン)。だからアレだけの大県 でありながら地元に力のある大名が出ず、上杉・武田・徳川…の膝下に伏したのかも。


天気・景色・諸城は最高でしたが、出会った人達が…、これが旅の楽しみなのに(泣く)。


前回=449=東信(北信濃)は、東信(東信濃)の間違いでした、スイマセン。

生まれが埼玉県の県北です。同じ埼玉県でも、県内の東北を走る私鉄東武線(東の武蔵=武蔵=埼玉+東京)、同じく西 南を走る私鉄西武線(西の武蔵)の沿線は余り馴染みがありません。むしろ上野から群馬県の高崎を結ぶ国鉄高崎線、高崎から北へ登る上越線(上野=群馬と越 後=新潟を結んでいます)、高崎から北西へ向かう信越線(信濃=長野と越後を結んでいます)の沿線は小さい頃から馴染んでいます。登山とスキーだけでも両 線には思い出がイッパイです。

449=金融恐慌はこれから?東信(北信濃)紀行の1


28日に<=445=振り子の理論>を書きました。どうも当日が円高・株安・商品安…のターニングポイントだった様 で、<急速な下げ>は止まり<反転>とは言えないまでも、揉み合いながら少し相場を戻しつつある、あるいは低位安定の様相、を見せている様です。         


でも、まだ解りません、=444=に書いたように≪…(金融先進国には)まだまだメガトン級爆弾(金融保険商品 <CDS=6,000兆円という想像を絶する不良債権が発生した?>など)を抱えているとか…。≫、これが爆発したらそれこそ<世紀末>、米国の金融悪魔 が世界を滅ぼします。そうならない事を祈るばかりです。        


『…ホントは今が仕込み時期なんですよね。』と書き、少しは心を残しながらも、少々の経済的利得よりは大いなる心の 利得を、とばかり計画通り信州の主に真田系の城を幾つか歩いて来ました。29・30日ともに上天気、上田あたりは元もと高地で空気が乾いているので最高の 城廻り日和でした。


真田氏の城といえば上田合戦(真田氏が2度にわたり徳川の大軍を痛めつけたので知られています)で有名な上田城、上 田城を築く前の真田氏の本城=戸石(砥石)城、戸(砥)石城を獲る前の真田氏の本城=松尾城(真田本城)、それらと支城とのネットワーク。真田氏が小豪族 から大名に成り上がる過程と持ち城の関係、なんとなく解った様に思います。       


もう1城は、上山田(温泉)の荒砥城で、この城は真田氏とは直接の関係はありませんが、上杉と武田が獲り合った、川 中島に近い所にある城です。かつて竹下さんが≪ふるさと創生資金≫として全国の各市町村に1億円づつ配った資金で450年前の姿に復元(かなあ?)したも ので、『当時の城ってこんなんだったんだ』雰囲気はわかります。去年のNHK大河ドラマ≪風林火山≫のロケに使われたとか。


だいぶ前に出掛けた愛知県奥三河・松平郷(徳川家康の先祖の発祥地、家康はその9代目)の更に奥の足助城も<ふるさと創生資金>で復元(?)したものだそうです。


上田城は近世の城郭(平城)で有名、仕事の関係で上田市には10年以上毎月出かけたのでヨク出掛けました。が、戸石 城の一部・米山城には一度だけ登ったものの戸石城の全域を歩いたのは初めてでした。北から枡形城・本城・戸石城・米山城、4つの城が一つの城郭をなしてい ます。説明看板には<連郭式山城>とありますが<1城別郭式山城>と言う方がイイかも。

=448=生まれてくる子供、生まれてきた子供を大事に

テーマ:ブログ 家内はこの28日で還暦を迎えました。子供の頃の歳の数え方が、数え年だったか満年齢だったか聞いたところ、ドッチ も使われていた、とのことです。<満年齢>が一般的になったのはいつ頃の事なんでしょうね。<数え年>の頃は、生まれた時が1歳、正月が来ると2歳、極端 なハナシ、12月31日に生まれた子供は1日だけ1歳、2日目(翌日の元旦)には2歳です。


だから、12月の末近くに生まれた子供は1月初めに生まれたことにする親が多かったようです。ナゼカと言うと、生ま れて間もないのに1つ歳をとってしまう、春先に生まれた子供とのいろんな意味でのハンデが大き過ぎる、だから…、親心ですよね。むかしは、元旦が誕生日、 という子供がケッコウいました。
               
今日は10月の晦日、2008年・平成20年もあと2ヶ月です。『明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします』、まるで昨日の事のよう な気がします。前にBLOGしました昔の<NHKのトンチ教室>(今のTV番組:笑点の原点です)、どなたかのトンチ、司会者(高橋敬三さんだったかな あ?)の『めでたくもありめでたくもなし』を入れて一句を、に対して、


『正月や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし』、凄い才能ですよね、もう何十年も前なのに不思議と覚え ています。新しい年を迎えると(正月が来ると)1つ歳をとります、私の歳になると、このトンチ句に≪実感≫を覚えます。高齢者のこと、年金・医療・介護… 問題多発ですが、チョッと目先を変えて、国の宝:子供達にもっと暖かい政治が行われないものか、痛切に思います。


親が健康保険料を払ってないので、健康保険で病院に行けない子供が33,000人もいるんだそうです。医療費はすべ て個人負担、負担できないから病院へ行けない、んですね。都立墨東病院で7ER病院たらい回しのすえ子供は誕生したもののお母さんが亡くなった事件があり ました。ご主人『病院を責めると産科医がモッと減って社会が困るから…、国・都…何とかして欲しい』。升添大臣と石原知事、責任のなすりあい、みっともな いですね。


厚生予算削減の命題のもと、人命を疎かにしてきた厚生行政・政治、これから子供が生まれるようにする事も大事です が、生まれてくる子供、生まれてきた子供、こういう子供達をどうしようというんでしょうね。『無い』といってきた埋蔵金を使って票買いのバラマキ、2兆円 のプレゼント、それをやるならモッと前にやるべき事があるのでは?、少子担当大臣の役割はなに?義務教育年齢は無料健康保険制度、内閣支持率アップ、ソウ 思われませんか? 

=447=解散総選挙は無期延期(来年9月が期限)


俗な言葉で<毛並みがいい>総理大臣がズット続いています。でも麻生さんは、その中でも異色です。小泉さんは異常性格者、安倍さん・福田さんは政治的に毛並みのいい人達、麻生さんはヒトアジ違います。                                  


どこが違うかと言えば<若い頃から集団を率いてきた人・人の上に立ってきた人>、いわば<ガキ大将を続けて来た人>です。麻生グループの社長(実務は親族か番頭さん?)、日本青年会議所の会頭(地区JC・県JC・地方JC…)、<オレが…意識>が並外れて強い人です。


麻生内閣の誕生時、『オレが大将だ』『オレの内閣だ』内閣だ、とBLOGしました。その後を見るとまさしくその様で す。政治家・国民、ホトンドの人が麻生内閣誕生=解散総選挙と思っていましたが、麻生さんの性格でしょう、『オレが決める』、解散総選挙は無期延期になり そうです。


とつぜん勃発したリーマンの破綻をキッカケに、世界的に拡がった金融不安・経済の悪化…政局よりもこれに対処するのが政治だ、とばかり解散総選挙は先送りのようです。劣勢を予想される自民・公明、それを挽回するには今が絶好のチャンス、オカシな景気回復策を羅列しました。


所得制限ナシに、各家庭に総額2兆円の現金かクーポン券、お大尽の麻生家にも?減税ではなく、低所得で税金を納めてない世帯にもクリスマスプレゼント、解散総選挙を延期するのに反対している公明党むけ?公明党の太田さん『我が党が…』、さっそくPRしています。


野党の人達が言うように≪選挙に向けての金銭授与、買収と同じ≫、そうです、その通りです。景気回復の名の下にオオッピラな選挙違反(?)、こんな事で景気が回復するなんて麻生さん自身も思ってないでしょうから。こんな例は過去ありません。               


これで与党の支持率を上げて解散総選挙、を狙ってるんでしょうが、期待通り行くんでしょうか。街頭でインタビューに 答える若い女性『嬉しいけど国の財政は大丈夫なんでしょうか』。支持率が上らず、野垂れ死に、元前総理大臣のように内閣を投げ出すのか、任期満了(来年9 月)を待つのか、公明党(創価学会)との共闘はどうなるんでしょうねえ。

2008年10月30日木曜日

「老コンサルの残日録」http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/より


人間万事塞翁が馬と日本の公教育


ホントにイヤな事件です。宝籤で2億円当てた女性が、交際中の男に殺害され、彼女のおカネを奪った男は、自分の借金を返し、交際していた別の女性に貢いでいた、という事件が報じられました。


≪人間万事塞翁が馬≫(ジンカンバンジサイオウガウマ=説明は長くなるので省きます、NET検索して下さい)という言葉を思い浮かべます。宝籤で2億円の賞金が当たる人、砂場の中でたった1つの当り砂を見付けた人みたいなもので、超ラッキー人です。


彼女の超ラッキー・超ハッピーが暗転しました。たぶん、超高額の宝籤に当たっていなければ、こういう事にはならな かったんじゃあ、と思うのです。それに、彼女には<人を見る目>が無かったのかも。、仮にソウであっても、超高額のおカネを手にしなければこういう事件は 起きなかった、と思うのです。


それにしてもこの犯人、確か61歳位でしたか、どういう言い方をしたらいいのか解りません、<悪逆非道>そのもので す。ところで、この犯人、どういう家庭のどういう親に、どういう育てられ方をしたんでしょう、どういう学校でどういう先生方の教育を受けたんでしょう、関 心があります。犯罪心理学者はどういう判断をするんでしょうか。


昨日でしたか、橋下大阪府知事が<教育について市民討論会>を開きました。会場には、たぶん筋金入り、自ら日教組の 組合員です、と名乗る参加者(女性)もいました。彼女、知事の発言に気に入らないと盛んに野次を飛ばします。知事『黙んなさい!貴女のような教師がいるか ら大阪府の子供の成績が悪いんだ…』、会場は拍手。


『(退任した)中山大臣の日教組に対する発言は正しい…。会社なら、社長の命令を聞かない社員はいない、仮にいたと したらそういう社員はどういう事になるんだ…。日本の教育界は…』…本音を熱く叫んでいました。チャンとした会社なら、社員の採用時には身元保証人を要求 し、<会社の規則を守ります、守らない時は…>という誓約書を出させますよね。


教員として採用する時に、こういう事は行われているんでしょうか。国の宝、大事な子供を預ける教員の採用時に、ドウ なんでしょうね。文科省・都道府県市町村教育委員会が要求しても日教組がウンと言わないのかな?ここにも日教組OBがいるのかも。日教組の組織率(参加 率)は相当下がっている、ようです、役所が頑張れば何とかなるかも、ですよね。


=445=振り子の理論


毎日、世界的な金融不安・株価の急落・急速な円高…のニュースで持ちきりです。アイスランドは、国民1人当たりの GDPが世界で第4位(日本は22位)なのに、今回の金融恐慌で国家が破綻しそうで、緊急金融支援を要請している、とのことです。中身は濃いんですが経済 の規模が小さいんですね。他にもこのような国が出てくるかも知れません。


今日の日経平均株価は、一時的に7,000円を割りましたが、16時現在のそれは7,621円と戻しています。ま た、円の諸外貨に対する値上がりも、夕方頃にはターニングポイントを迎えたのか気持ち戻しているようです。これから先、ドンドン戻っていくとは思えません が、世の中の大原則≪振り子の理論≫が働くのでは、と思います。


止まない雨はない:どんな雨でも何時かはあがる、明けない夜は無い:夜の後には必ず朝が来る、暑い季節は何時までも 続かない:その後には必ず秋冷がくる…これは謂わば≪円の法則≫でしょうか。上り続ける円はないし、下がり続ける円もありません。上り続ける株価も無けれ ば下がり続ける株価もありません、ドッチにせよ反転します、≪振り子の理論≫と言うそうです。


平成2年に建設業界向けの本を出しました。書頭に書いた事は『バブルは終わった…宴(ウタゲ)の後は…』でした。当 時はバブルの最盛期で、その時は誰も信じなかったかも知れません、が私自身<ターニングポイント>(振り子がピークに差し掛かり反転するポジション)を感 じていました、やがてバブルが弾けました。


金融機関や事業会社には金融不安・円高・株安…の影響がありますが、個人レベルで考えると、ファンドのことは分かり ませんけれども、外貨預金や間違い無さそうな会社の株式へ投資している向きには≪振り子の理論≫を話します。いま手放せば赤字になるかも知れませんが、手 放さずに持っている限りは赤字は確定しませんし、キャッシュフローで考えれば利益も損も出ていないでしょう、と。ホントは今が仕込み時期なんですよね。


問題はこれからです。今回のことから来る国の財政・実体経済活動(景気・企業業績)・金融機関の出方…の影響が悪い 方向へ向かうだろう、ということです。それにしても、金融機関の無責任には憤りを覚えます。食品など、商品に問題があれば、それを売った会社の販売責任が 問われます。が、不良ファンドを売った金融機関は完全にホッカブリ、ゴーマンそのものじゃあないですか。

=444=素人なので解りませんが


24日のニューヨーク商業取引所の原油市場では、国際指標となる米国産WTI原油の先物価格が一時、前日終値より5 ドル以上安い1バレル=62.65ドルまで急落した、との報道がありました。最近のガソリンスタンド、ツイこの間は200円近かったガソリンが150円台 なんですね。


1バレル=140ドルに~、日々架け替えるガソリンスタンドの値上げ値段表、車の使用は控ええて自転車通勤に…クルマユーザーの姿、事業上アブラを多用する業界の悲鳴、政府の緊急対策…のニュース、ついこの間の事です。経済状況が超高速で激変します、ゾッとします。


世界中が金融不安と株価の急落で悲鳴を上げています。昨日の日経平均株価は7,649円、バブル後の最低株価レベ ル、4.5ヶ月前のそれは14,000円前後でした。今朝の5時半時点で1米ドル=94円42銭、2年半前のそれは120円前後、日本円は米ドル初めホト ンドの通貨に対して急騰しています。


バブルの頃、1米ドル=80円位の時に米国へ出かけました。<円 高>って良いもんだ、実感しました。その頃の日本経済は≪バブル(泡)ではあるけれども≫表向き国力は充実、経済は活発でした。現在の日本の状況は、その 頃と正反対、財政危機・金融危機・長期不況・家計負担増、ましてこれからは…どうして?やはり≪円≫が狙われて?


米国の平均的な家庭、収入の中でのやり繰り感覚はゼロ、買物は総てカード、リボ払いが主体なのでローン残高の10% だけ決済されればカードの継続使用が可能、ただし残債には7-37%の金利が…。企業の破綻・事業縮小が多発して失業者が急増、金利を含むカード残債の決 済が出来ずに個人破産が続発、100万世帯。


米国不況・米国相手の製品輸出国不況・それらの国への生産財輸出国不況・素材産業国不況…製造業・流通業・物流業… あらゆる面で、おサキ真っ暗です。金融不安は、まだまだメガトン級爆弾(金融保険商品など)を抱えているとか…。金融不安と円高の日本はどうなるんでしょ うねえ、ホトンドの会社の業績予想は大幅な下方修正です。


加工輸出国の日本、円高が続く筈が無いですよね。円高が続けば、経済がモッと悪くなる、更に財政状態が悪くなる、国 力も企業力も民力も更に弱くなる。そうなれば円は売るに限る、日本の経済的財産を吸い上げたところで金融悪魔は『円さん、儲けさせて貰ったよ、ハイさよう なら』、日本はズタズタ。第3次世界大戦で日本は惨敗だなんて?あり?


志野原生氏http://www005।upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより


いわし専科


九十九里町に、いわし専科の博物館がある。ガイドブック「ちばの博物館」にも載っていない、地図で見つけた博物館である。網元とか篤志家の作る小さい博物館かと思って出かけたが、案に相違して町立の立派な建物であった。最近の建立なのか。九十九里いわし博物館という。
豊漁期が周期的に現れる魚だそうである。記録に出てくる初めの大漁期が赤穂義士討ち入りの頃、二度目が黒船来航の頃という。今、私が読ん でいる藤沢周平の用心棒シリーズが一番目の時代に、平岩弓枝の捕り物シリーズが二番目の時代に相当する。おやおやと思いつつ説明パネルの文字を追う。引っ かかりがあると結構読めるものである。いわしがニシン科だとは知らなかった。
いわしの背が青いのは、上から見て、海水の色にとけ込んで発見されにくいためで、腹が白いのは、下から見て、太陽のぎらぎらと紛らわしく するため、つまり保護色だという。完全無防備で、90km/hもでるカジキのような魚がいる中で、泳ぐ速度は人様の半分以下、せいぜい大群を作って、食わ れる確率を低くする程度しか、種を保存する方法のない魚にとって、保護色は大切な防衛手段になっているのだろう。
そのもう一つの手段、大群を作る性質も、人間に悪用されて一網打尽の漁法に利用されている。そのいわし漁法は、紀州の漂流漁民に学んだ方法を基礎に、土地に合うように改良された。銚子の醤油も紀州の技術だった。紀州と千葉は結構繋がっていたらしい。
いわし漁は江戸時代の綿業と関係が深い。綿の栽培が急速に広がり、魚肥の需要が拡大したのである。水揚げされたいわしは、干鰯や〆粕の形 で取り引きされた。〆粕とは、梃子の原理を使った圧搾機で、煮た鰯を圧搾して、煮汁と油を絞った粕である。油は、深川佐賀町あたりに集中していた油問屋の 手を経て、行燈の灯油となり、江戸の夜を明るくしたはずである。不飽和度の高いエイコサペンタエン酸(EPA)エステルがたっぷりの油だから臭かったろ う。だが匂いの薄い菜種油に比べれば、はるかに安かったはずである。今はEPAは、血中コレステロール低下作用の故に、贅沢病患者に崇められているから皮 肉なものである。
事務所の女性に聞いて、鰯料理の店に行く。鰯の蒲焼きが載ったいわし丼、肉団子の入った味噌汁、白子(シラス-稚魚のこと)入りの卵豆 腐、つきだし、アワビの殻で焼いた鰯のハンバーグ。サラダと香の物、デザート以外は何らかの形でいわしが顔を出した。品書きを見ると20-30種のいわし 料理が並んでいた。鰯の三四郎という店である。結構食べさせるから一度訪ねてはいかが。

('98/02/05)

朝日新聞

GM、7~9月の世界販売11%減 トヨタ年間首位濃厚

2008年10月29日22時53分


 【ニューヨーク=丸石伸一】米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)は29日、7~9月の世界販売台数が前年同期比11.4%減の211万4760台だった、と発表した。6月までの上半期は同2.9%減だったが、金融危機と景気減速の影響で大幅に落ち込んだ。

 GMは7~9月について、景気減速の影響が「米国から西欧にも拡大した」と説明。不振が続く北米が同18.9%減だったのに加え、上半期まで販売増を維 持していた欧州も同12.3%減と減少に転じた。南米やアジア太平洋地域では販売を増やしたものの、増加率は縮んでいる。

 これで、GMの08年1~9月の世界販売台数は前年同期比5.8%減の665万5751台になった。1~9月のトヨタ自動車グループ(ダイハツ工 業と日野自動車を含む)の世界販売台数は705万1千台で、GMを引き離している。08年の年間でも、トヨタがGMに代わって初の首位に立つのが濃厚だ。

 GMは07年、上半期まではトヨタに世界販売で首位を奪われていたが、1~9月の累計でトヨタを抜き返し、07年の年間でもわずかな差で世界一の座を死 守した。だがその後は、米国での販売減に歯止めがかからず、07年度の年度ベースでトヨタに抜かれ、今春以降も差をつけられている。

 ただ、GMは米同業大手クライスラーとの合併を模索しているとされ、実現すれば世界販売でトヨタを再び抜き返す規模になる。GMは来月上旬までに は7~9月期決算を発表する見込みだが、「具体的な期日は未定」(広報)としている。新たな資金調達策の検討やクライスラーとの交渉の進展などをにらみな がら決算発表の期日を決めるとみられる。


朝日新聞社説

リニア新幹線―大いなる期待と懸念

 JR東海によるリニア中央新幹線の計画が動き出した。同社が「南アルプスを貫く直線ルートでの建設が可能」との調査結果を国土交通省に報告した。今後は技術や採算を調査し、認可手続きを進める。2~3年内に着工し25年開業をめざすという。

 この超伝導リニアモーターカーは、鉄道の世界最高速度、時速581キロの記録をもつ夢の高速技術だ。営業では最高時速500キロで東京~名古屋間を40~50分で結ぶ。将来は大阪までの延伸も想定している。

 東京~名古屋の建設費は約5兆円。JR東海は政府の補助金に頼らず、すべて独力でまかなうという。

 JR発足後も新幹線を自前で建設した例はない。JR東海は稼ぎ頭の東海道新幹線を抱えていて体力があるとはいえ、リニアを自力建設できるなら民営化の成果といえよう。

 リニアの経済効果はきわめて大きい。東・名の大都市圏が直結し、大阪まで延伸すれば関西を含めて一つの経済圏になりうる。東~阪が1時間程度になれば空の客がリニアへ移り、羽田空港に国際線の増便余地が生まれて「空の玄関」も強化できる。

 東海道新幹線が25年には還暦を過ぎる。大補修や大地震で止まったときにリニアはバイパス役を果たす。

 世界初の超伝導リニア技術は、日本の産業を活性化させると期待できる。航空や自動車よりエネルギー効率がいい鉄道は世界各国で見直され、投資ラッシュが始まっている。リニアはそのリード役にもなるだろう。

 ただし、民間会社の事業といっても国民生活や経済社会に与える影響はきわめて大きく、公共性が高い。計画の妥当性を政府や関係機関がきちんとチェックし、国民や関係自治体の合意のもとに進めねばならない。

 利用者や自治体、経済界など幅広い層から意見を聴き、交通政策や産業政策などさまざまな観点から議論する場を設けるべきだろう。

 長野県など自治体はルートや駅の誘致に関心が強く、ややもすると利害調整に追われやすい。利権政治が鉄道建設に介入を繰り返した苦い歴史もある。21世紀の日本にふさわしい鉄道網とは何か。国土や産業のあり方などを幅広く議論してほしい。

 もちろん、初の技術への挑戦だけに、心配も尽きない。

 安全は確保されるのか。乗客や沿線住民の健康面は本当に大丈夫か。南アルプスの環境に悪影響はないか。これから人口減少が進むなかで、採算性に心配はないか。自前とはいえ、建設費の大元は乗客が払う運賃だ。失敗したら、国民的な損失は大きい。

 夢を現実のものにするためにも、このような懸念を一掃し、国民を納得させる責任がJR東海にはある。

2008年10月29日水曜日

読売新聞

まるは食堂「名物おばあちゃん」 相川うめさん死去 97歳

亡くなったうめさん(1989年12月撮影)

 戦後間もなく魚の行商を始め、一代で料理旅館を築き上げるなど、知多半島の“名物おばあちゃん”と慕われた「まるは食堂」創業者の相川(あいかわ)うめさん=写真、1989年12月撮影=が26日、脳梗塞(こうそく)で亡くなった。97歳だった。

 株式会社「まるは」によると、告別式は親族だけで行うが、お別れの会を11月4日午後1時、南知多町豊浜峠8のまるは食堂旅館新館で開く。葬儀委員長は豊浜商工会会長の青山福和氏。喪主は三男、坂野正一(まさいち)氏。

 相川さんは魚の行商をきっかけに、1950年、鮮魚店「まるは」を開店。61年には旅館の認可を取得して「季節旅館まるは食堂」を開業した。74 年、同社社長に就任し、その後は会長、相談役として会社を支え、2005年には中部国際空港や三越専門館「ラシック」にも出店した。しかし、昨年12月に脳梗塞で倒れ、入院していた。

 同町観光協会の渡辺幸一会長(57)は「女手一つで、よくあそこまで店を大きくされたと思う。南知多を観光地として広くPRするなど大きな存在だった。残念です」と惜しんだ。


中日新聞

「他人の喜びを自分の喜びに」 まるは食堂旅館創業者・相川さん悼む声

2008年10月29日

 二十六日に九十七歳で亡くなった、まるは食堂旅館創業者の相川うめさんは、南知多町豊浜で始めた小さな鮮魚店を一代で県外まで知られる有名店に育てた。身近に接した人たちは「人として、商売人として多くのことを教わった」と人柄をしのんだ。

 三男で現まるは会長の坂野正一さん(57)は「他人の喜びを自分の喜びにする人だった」と振り返る。孫で現社長の坂野豊和さん(33)は「『まる はらしさが保てるのか』と当初は中部空港への出店に反対されたが、お客さんの要望の多さを知って賛成してくれた。人として、経営者として常に立ち返る自分 の原点」と話す。

 四十年以上の親交があった豊浜商工会の青山福和会長(76)は「自分の身を削って周りを照らす、ろうそくになれ」との言葉を思い返すという。

 「あくどいもうけはしてはいかんとか、人付き合いを自分から避けるなとか、教わることはすべて正しかった」と話す。

 相川さんの半生を描いた「潮風の一本道」の著者三田村博史さん(72)=東海市=は「気骨のある、人をひきつける魅力を持った人だった」と惜しんだ。



2008年10月27日月曜日

じいちゃんの独り言http://okamoto1.at.webry.info/

執行猶予付き死刑とは何だ!


10月もあれよあれよと言う間に今週でお仕舞いですね。昨日から風邪を引いて体調最悪ではありましたが半年に1回のことであり、本日午後村野工業高校での 漢検テストに行って参りました。熱に浮かされて思考能力減退のハンディを背負っての挑戦でありましたが点数は兎も角として何とか無事終了しホッと安堵して 居ります。今回も準1級では会場での最高齢者だったようです。(;;)斜め前に今回も又違う坊やが一人受験しているので試験終了後声を掛けると平成10年 生まれの10歳とか(^^)、うちの孫娘と同じ歳なのに愕きました。4級のテストも同じ時間帯に行われましたが、此方は殆どが中学生でしたから4年生の坊 やは異彩を放って特異な存在でしたね。
会場の村野工業高校は男子校のため学舎の中が前回までの会場であった山手短大と比べてメチャ汚く、おまけに女子受験者の多い漢検のために1階のトイレは臨 時で全て女子専用とされましたが、小便器ばかり多いために、他の時間帯では行列ができて試験開始に支障を来したのではと思った位でありました。(;;)
次回は来年6月受験(2月のテストは確定申告のためパス)となりますので束の間の微睡(まどろ)みとなりますが、その微睡みが曲者で油断すると此までの記 憶脳の中身が根刮(こそ)ぎ攫って行かれますから、明日から矢張り例え一日10分でも20分でも漢字を書く習慣を欠かすことができません。
例年減っては来ていることは実感して居ましたが、今年は際だってトンボの姿を見ることが少なくなり、いつもは夏から秋にかけて路上を乱舞する秋茜(アカト ンボ)がこの辺では殆ど見られなくなりました。産卵に必要な池や川のワンドなどがどんどん失われていることが原因だと悲しく思いますが、先日の早朝事務所 の庭で秋茜が一匹睡んでいるのを偶然見付けました。色褪せて居て老境に入ったことが窺えましたが、そっと手を差し伸べると、逃げないで私の手にすっと移っ てきましたから或いは死期の訪れを悟って飛ぶ力が失われていたものかと思ったのですが、写真を写して元の場所に戻して振り向くと居なくなっていましたから 朝の散策の途中、優しそうな?老人への労りのタッチであったかも知れませんね。(^^)

画像


画像


トンボは昔から幸せを招く女神と謂われていますが、我が国がここ数年来世界経済の荒波の中に翻弄されて居るのは、トンボが少なくなったことにも由来するのではないでしょうか。(;;)

文化審議会によれば社会生活でよく使われている漢字の目安となる常用漢字の改訂作業を平成10年の答申に向けて進めているようですが(何時まで掛かってい るのか!)今回新たに古刹の“刹”脊椎の“椎”賭博の“賭”遡上の“遡”なども加えることとした案を纏めたようです。どうして上記の字が選ばれたのか知る 由もありませんが、考えてみれば脊椎の“脊”だけ置いてけぼりはおかしく、賭博の“賭”にしても、私のエイトクはアホで“者”の間にチョンが入っていませ んが、辞書では猪のように“者”にチョンが入っております。此は常用漢字になった字は全て其れまで付いていたチョンが省かれるようになったためですが、当 然に常用漢字以外の字はチョンが必要であり忘れると×になります。従って常用漢字昇格と同時にチョンをも消し去ることになりましょうが、常用漢字になった からと今更字体まで変えられるのはどうかと思いますね。常用漢字と謂えば皆様は“繭”(まゆ)と謂う字をご存じでしょうか、繭は虫が糸になるからつい左が 虫だと思い勝ちですが、事実は紛らわしくも左が糸で右が虫であって、ややこしい漢字であり、漢字が昔は右上から左下へと書かれていた名残かと思われます が、書き順が左から右へが主流となりつつある昨今漢検の受験生を悩ます処です。この字がさらっと書ける方は幾歳の方でも漢検2級は楽勝でしょう。(^^) 一般の方は養蚕業も廃れた昨今こんな字が常用漢字だとは愕かれるでしょうが、何れも髄や虜などと同じく大威張りで2級の書取りに出て参ります。(;;)文 化審議会も詰まらぬ字を常用漢字に降格させることばかり考えないで使われる頻度の少ない漢字を棚上げして常用漢字から除外することも必要なのをサボってい るように思えてなりません。現在1945字ある常用漢字が2131字に増えるなんて受験生いびりも良いとこですよね。(;;)

先週新聞の片隅に小さく元北京副市長に執行猶予つきの死刑判決が下されたとありました。
此の男は在任中に北京市内の土地開発を巡って業者から賄賂を円価にして約1億円受け取っていたことが発覚したそうですが、役人のすることは中国も日本も変 わりませんね。変わっているのは此の汚職事件に対して被告は裁判所で一審判決を受け、執行猶予2年付きの死刑判決を言い渡されたそうです。執行猶予付きの 死刑とはハテ?聞き慣れぬ言葉ですが、2年後に死刑になることなのか、2年間罪を犯さなければ死刑が消滅するのか定かでありません。日本の考え方なら後者 になりますが、残虐な中国のことですから前者も当然に視野にいれねばならぬでしょう。そして若し前者であるなら通常の死刑より遙かに過酷な刑となりますよ ね。何時執行されるか分からぬから死刑囚も生きて行けるので、余命が後730日から1日宛減って行くのを毎朝どんな気持ちで迎えられるのでしょう か。(;;)

社会保険庁がオンライン化以前の1986年より前にも改竄が多くあったとの第三者からの証言が先日民主党の会合で行われました。此の男性Sさんは78年か ら82年に掛けて都内の毛皮製品卸売会社に勤めていましたが、月額給与が実際には月額25万円程度であったのに社保庁で本年4月に受給手続きをした際、標 準報酬月額が9万8千円と溯って引き下げられて居り、Sさんの当時の同僚数人に確認したところ同じ頃同じように引き下げられていたことが判明したとか… (;;)この不幸な方は82年に退職されて半年間に受給された失業保険は離職時の1日当たりの賃金が約1万円と明記されて居り此の書類を証拠にこの6月、 総務省年金記録確認東京地方第三者委員会(何でこんなに長いの?)に記録訂正の申し立てを行いましたが、ナント!第三者委員会の担当者は失業保険が正しい 給与を基に支払われて居ても年金保険も相応に天引きされたとは言い切れないと言ったそうです。会社が標準報酬の申告を誤魔化したのか、社保庁主導による引 き下げだったのかは異論のあるところですが、溯って標準報酬を引き下げるなど会社が自発的にできる訳がなく社保庁の何らかの勧奨があったことが充分に頷け ます。
第三者委員会などと尤もらしい名前を付けながら、その実厚労省の諜(まわしもの)なのか、或いは厚労省に恩を売っておこうと総務省が考えたものか、厚労省 ではグルと思われてはまずいので総務省の名を借りたのか知れませんが、少なくとも第三者と名付けた以上民間の有識者(役人の言いなり)を除いた公募方式無 作為抽選で委員を選ぶべきでしょう。
公的な書類で年金受給者の給与額が確認された以上例え勤務した会社に作為があろうとも、それを見逃した社保庁の罪の方が遙かに重く、年金は無条件に訂正されるべきでありましょうが、役人の世界には全く以て白々しい話もあったものですよね。
民主党さん喧(かまびす)しいばかりで普段は少しも頼りにならないけど選挙も近いことだし、今度ばかりは頑張って下さいね。(^^)

大阪北区の聞くも無惨な低速ひき逃げ事件は、引き摺った被害者に対する仕打ちが余りにも残虐だったため殺人事件として大阪府警が総力を挙げて取り組んで居 り全国版の事件となろうとして居ります。愈々車も特定されようとして、確実に犯人の在処に近づこうとしているようですが、このドライバーは不幸にして信号 の停止線を超えて止まっていたために、夜でもあるし信号が変わった後、前を横切ろうとした人を見落とし発進したものと思われます。信号の停止線の位置の意 味を教えられた事件でありましたが、衝撃音を耳にしたドラーバーが最初に考えたことは何だったでしょうか。恐らく酒気帯び運転の発覚を恐れての逃走であっ てそれが殺人事件にまで発展したものでありましょうが、ドーンと大きな衝撃音がこの人の全ての判断力を失う切っ掛けとなり、酔いが覚めた今となってはあの 時如何して止まらなかったのかと日夜悔恨の思いに苛まれ迫り来る捜査陣に恐れ戦いていることでしょう。(;;)何れにせよ後悔先に立たずであり、皮肉では ありますがきっとこの人は今一番恐れている逮捕されることで、一人の人間として真から心の安らぎを憶え拘置所では熟睡の夜を迎えられるものと思います。然 しそうなると代償としてこれまで築いてきた家族や仕事や全ての物を失うことになりますから、そんな風に考えるとこの人が自殺する可能性が決して低くないこ とが見えてきましたね。私自身だったらどうするのかなど考えていると一寸先も見えぬ“無明の闇”である人の運命の儚さをつくづくと思い知らされました。

投稿
執行猶予付き死刑とは何だ!について
「標準報酬を引き下げるなど会社が自発的にできる訳がなく社保庁の何らかの勧奨があったことが充分に頷けます。」まったく、おっしゃるとおりです。事務所名や本名を公開しての、先生の歯に衣を着せぬ御発言に、憤懣が半減、清涼剤です。

私は今、店を畳み、失業者で、求職活動中。先生のブログを、楽しみにしております。 http://www.geocities.jp/bnbn458bn 60歳



志野原生氏http://www005।upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより


曳舟通り


向島は、明治以降に大幅な河川改修がなされたために、捕物帖を読むのに苦労な場所である。江戸時代の綾瀬川に沿って荒川放水路ができ、蛇行の著しかった旧中川を南北一直線の新中川に引き直した。旧中川は沼として残る一方で、いくつかの中小の河川堀割が埋め立てられた。
曳舟川は業平橋あたりから旧中川にほぼ南北一直線に引かれた堀割である。多分河口に近くになって荒川が分岐し、その支流の一つが手を加え られて出来たものであろう。荒川放水路までの曳舟川は昭和の初め頃までは残っていた。東武博物館に展示されている昔の航空写真に川筋が見える。今は埋め立 てられて曳舟川通りとなった。
本所深川の西寄りを除いたら隅田川の東は田園地帯であったと、捕物帖には描写されている。生活しているときは、どこにでもある風景だから 誰も記録しない。時代が変わって大都会に組み込まれた後では、振り返っても過去を語るものは大抵殆ど残っていない。都市特に大都市の失われた過去は想像す るだけである。曳舟川筋もその一つであると思っていた。
千葉県立美術館の常設収蔵作品展「浅井忠、その生涯」を見た。浅井忠は近代日本洋画の父と云われる人で、千葉県佐倉の出身であるためか、この美術館で集中的に作品蒐集されている画家である。
展示作品の中に'85年(明治18年)制作の「曳舟通り」があった。ペン画である。ペンの黒線で描かれた、写真のような写実的な画であ る。運河を中心とした風景である。船頭の乗った猪牙と筏がすれ違おうとしている。もう一艘分ぐらいの水路があるからまあ川幅は4間である。両川辺に平行に 細い道が続く。片側に藁葺き屋根の小屋が三棟見える。その一つは川にせり出し屋根の下は吹き抜けである。道を挟んだ残りの一つには小さな幟が幾つも見え る。馬を曳いた馬子が通りかかっている。どうやら三棟纏めて一軒の茶店らしい。川の先に簡単な橋と人が見える。
まだ江戸時代をそのまま引きずっていた頃のスケッチである。高い土手を作っている風でもない。曳舟というから昔は上りを引っ張ったのだろうが、その人物は描かれていなかった。
浅井忠は農婦や漁婦を写実的に描いた。日清事変の従軍画家としてのスケッチも情景を彷彿させる。たとえ同じ情景が写真で残っていても、彼の絵やスケッチの方が、見る目により真実に近いと映るに違いない。

('98/02/02)



朝日新聞

ネットの書籍検索 文芸家協会が「過大公開やめて」

2008年10月26日


 出版社がインターネット検索会社と協力し、書籍の文章の一部をネット公開するケースが増えている。作家ら約2500人でつくる日本文芸家協会(坂上弘理事長)は、過大な公開を避け、著作権者に必ず許諾を得るよう求める文書を、出版社約500社に送った。

 文章が公開されているのは、書名や著者名、出版社名で本を探せる書籍検索と呼ばれるサービス。無料で利用でき、サービスによっては文章の一部を検索したり、読んだりすることができる。

 文章も読める書籍検索サービスは、ネット検索大手グーグルが07年に日本版を開始したほか、アマゾンは05年、ヤフーは02年に始めている。

 日本文芸家協会によれば、出版社から必ず著作権者の許諾を得るなどと説明されていた。ところが今年、複数の作家らから「公開が著作権者の許諾なしに行われた著作権法違反にあたる可能性がある」との相談があり、9月の理事会で議論になった。

 書籍の全ページの20%が読める場合もあり、短編集や詩歌、人物エッセー集など本の種類によっては大半の中身がわかるという点が問題になった。本が売れなくなる懸念もあり、同協会は16日付で出版社に文書を送った。

 出版社側からすれば読者サービスのほか、販売促進の意味もある。同協会の担当者は「本を紹介してもらえるのはありがたく、一概に反対ではない」とも言っている。(小堀龍之)


挙式当日、式場に放火容疑 新郎「結婚が嫌になった」


 結婚式を挙げる予定だったホテルに放火したとして、山梨県警北杜署は26日、昭和町築地新居、会社員河田達彦容疑者(39)を現住建造物等放火の疑いで逮捕した。河田容疑者は「結婚するのが嫌になり、火をつけた」「騒ぎになれば中止になると思った」「結婚できない訳があって悩んでいた」などと供述している、と同署は説明している。

 同署によると、河田容疑者は、25日午前2時半ごろ、同県北杜市小淵沢町の「リゾナーレ」の音楽の森ホール2階にある従業員通路の床に、油をまいて火をつけ、天井や壁など約30平方メートルを焼いた疑いがある。けが人はなかった。

 河田容疑者は25日午後、ホテルで結婚式を挙げる予約を入れていたが事件後、キャンセルしたため、同署が事情を聴いたところ、容疑を認めたという。自宅 から車でホテルへ行き、放火したという。火はスプリンクラーで消し止められたが、ほぼ満室の約350人が宿泊しており、うち約150人が一時避難する騒ぎ となった。同日は大安だったため、8組の結婚式が予定されていた。


朝日新聞社説

原油急落―ホッとしつつ学ぶ教訓

 原油がニューヨークで1バレル=147ドルの史上最高値を記録したのは、ほんの3カ月前のことだ。天井知らずと思われた高騰が世界を震撼(しんかん)させた。それが一転しての急降下だ。先週はピークの半値以下、60ドル台前半まで下げた。

 急落は、米国の金融危機で投機マネーが逃げ出した影響が大きい。

 それに輪をかけているのが需要の減少だ。金融危機の火の手が各国へ広がり、世界同時不況が避けられなくなった。そうなればエネルギー需要は減る。すでに足元でも、世界の原油需要の2~3%分、日量200万バレル以上が減ったとの見方も出ている。

 危機感を抱いた石油輸出国機構(OPEC)は先週末、臨時総会を開き150万バレルの減産を決めた。価格下落で大きな打撃を受けた加盟国から大幅減産を求める強硬論が強く、比較的大きな減産幅となった。

 日本の人々の暮らしや経済活動にとって、原油価格の下落は朗報だ。海外の不況や円高による輸出企業の業績悪化、株安による逆資産効果など、景気には悪材料ばかりがめだつ。そのなかで企業や家計の負担を減らす原油急落は、数少ないプラスの材料だ。

 今年に入ってからのうなぎ登りの原油暴騰は、日本経済に深刻な打撃を与えていた。ガソリン価格や電気料金、航空料金が上昇。行楽客が減り、燃油コストの 負担増で長距離トラック業者や水産業者らから悲鳴があがった。政府も省エネ投資への補助などの対策を打ち出したものの、抜本的な解決策が見あたらない状態 だった。

 世界同時不況と輸出減少という大嵐を乗り切るために、このプラス材料を大切に活用したい。

 混迷する世界経済のなかで、当面は下落が続くかもしれない。ただ中長期的に考えれば、世界の人口はまだまだ増える見通しだ。発展する中国、インドという新興大国の需要が、今後も膨らみ続けるのはまちがいない。

 この需要を満たすには、辺地や深海の油田やオイルサンドなど、コストが高い石油を開発せねばならない。「それには60~70ドルの価格が必要」とみられている。だとすると、いずれ世界経済が安定を取り戻せば、原油には再び高値圧力がかかる時が来る。

 さらに、新エネルギーの開発や省エネ努力を採算に乗せ加速させるには、原油がある程度は高くなくてはならない。地球温暖化を抑えるため、エネルギーが高価格になることを覚悟しておくべきだ。盛り上がってきた脱石油の熱を冷ましてはならない。

 重い教訓はまだある。投機マネーの暴走だ。投機マネーは世界金融危機を生み、原油や食糧の暴騰、暴落をもたらした。来月15日に開かれる緊急サミットでは、その抑制策について突っ込んで話し合ってもらいたい。

学術研究―女性の力を生かす大学に

 「大学の女性研究者を増やすために真剣に努力します」

 東京大や京都大など国立の主要7大学の学長が先月末、男女共同参画をテーマにしたシンポジウムに顔をそろえ、こう宣言した。

 共同宣言は「公正な評価に基づく女性研究者の積極的登用」に知恵を絞るという。学長たちのリーダーシップで、思い切って進めてほしい。

 研究者のうちに女性が占める割合は日本では12.4%。先進国の中で際だって低い。たとえば米国は34%、英国は26%である。

 独創的な発想が大切な学術研究の場には、多様な個性が欠かせない。とりわけ人口が減る時代、天の半分を支える女性の力を生かさない手はない。

 女性の活躍が期待されているのにまだまだ少なく、重点的に増やすことが必要な分野として、内閣府は今春、公務員、医師と並んで研究者を挙げた。

 先週施行された研究開発力強化法も、女性の力を生かすことをうたう。

 実は、女性比率で全国平均を下回るのが国立の主要大学だ。共同宣言は現状への反省があってのことだろう。

 具体的な対策も、少しずつ始まってはいる。

 名古屋大は04年、「業績が同等なら女性を積極的に採用する」という方針を掲げた。教授や准教授への女性の応募が増える傾向があるといい、女性比率も11.7%で、7大学中トップだ。

 北海道大が06年から始めた制度では、女性を採用したら、その人件費の4分の1を大学本部が学部に補助する。能力が同じなら女性を採用した方が得になる、というわけだ。

 文部科学省も来年度から大学や研究機関に、女性研究者を採用するごとに600万円を支給する。

 一方で、女性が研究を続けていくためには、育児や介護など家庭生活との両立をしやすくするとともに、出産・育児による中断が不利にならずに復帰できる仕組みも大切だ。

 文科省は06年から、保育所をつくったり研究の補助者をつけたりする女性研究者支援モデル育成事業を、私大を含む全国の大学で始めている。

 お茶の水女子大は、5時以降は公的な会議をしない、というユニークな原則を決めた。

 よい仕組みは全国に広げてほしい。環境が整えば、採用する側も安心して女性を選べるようになるだろう。

 学部別、あるいは教授などポスト別に、女性割合のデータもぜひ公表してほしい。努力の結果も見えてくる。

 女性にとって働きやすい職場は、男性にとっても働きやすいはずだ。そんな環境であってこそ、次代を担う若者を引きつけることができる。7大学の共同宣言を機に、女性が活躍できる場をもっと広げていきたい。

http://pub.ne.jp/shimura/?cat_id=84552&page=2志村建世氏のブログより

2008.10.25

46年後の十三湖(3)

十三湖の大きさは、解説書によると周囲30キロということで、かなり大きな湖です。これを私は、自転車でほぼ3時間かけて右回りに一周しました。寒 村ですから人に会うことも少なく、南岸の干拓地では、道を聞くにも、人が見当らなくて困りました。ようやく見つけた農作業中のおばあさんは80歳。若いと きは東京へ出稼ぎにも行ったが、やはりここが「住めば都だ」ということでした。津軽弁の話は、私には半分も聞き取れませんが、幸いに私の言うことは通じる ので会話ができました。「体はどこもなんともねえ、働くが一番」の元気を貰って、握手して別れました。
 行程の最後のころは、さすがに疲れ果てて両足に筋肉痛が始まり、少しの上り坂も自転車を降りて押して歩くありさまでした。しかし少し休めば回復します。 帰宅して一晩寝た朝に、足に少しの痛みも疲れも残っていないのに、我ながら驚きました。森林浴と有酸素で、無理のない運動だったからでしょうか。
 私が十三湖にいられた時間は20時間に過ぎません。会計は1泊2食で7000円に、「いらない」と言われた自転車の借り賃が1000円ですべてでした。 夕食のご馳走は、私が特に頼んで「おいしく食べ切れる分量」に減らしてもらったほどでした。帰りの五所川原行きの路線バスは、ミニバスでした。津軽鉄道の 終点の津軽中里からは、十三への路線バスは、ないのです。 
 短くても充実していた自分流の旅は、こうして終りました。