2008年10月29日水曜日

読売新聞

まるは食堂「名物おばあちゃん」 相川うめさん死去 97歳

亡くなったうめさん(1989年12月撮影)

 戦後間もなく魚の行商を始め、一代で料理旅館を築き上げるなど、知多半島の“名物おばあちゃん”と慕われた「まるは食堂」創業者の相川(あいかわ)うめさん=写真、1989年12月撮影=が26日、脳梗塞(こうそく)で亡くなった。97歳だった。

 株式会社「まるは」によると、告別式は親族だけで行うが、お別れの会を11月4日午後1時、南知多町豊浜峠8のまるは食堂旅館新館で開く。葬儀委員長は豊浜商工会会長の青山福和氏。喪主は三男、坂野正一(まさいち)氏。

 相川さんは魚の行商をきっかけに、1950年、鮮魚店「まるは」を開店。61年には旅館の認可を取得して「季節旅館まるは食堂」を開業した。74 年、同社社長に就任し、その後は会長、相談役として会社を支え、2005年には中部国際空港や三越専門館「ラシック」にも出店した。しかし、昨年12月に脳梗塞で倒れ、入院していた。

 同町観光協会の渡辺幸一会長(57)は「女手一つで、よくあそこまで店を大きくされたと思う。南知多を観光地として広くPRするなど大きな存在だった。残念です」と惜しんだ。


中日新聞

「他人の喜びを自分の喜びに」 まるは食堂旅館創業者・相川さん悼む声

2008年10月29日

 二十六日に九十七歳で亡くなった、まるは食堂旅館創業者の相川うめさんは、南知多町豊浜で始めた小さな鮮魚店を一代で県外まで知られる有名店に育てた。身近に接した人たちは「人として、商売人として多くのことを教わった」と人柄をしのんだ。

 三男で現まるは会長の坂野正一さん(57)は「他人の喜びを自分の喜びにする人だった」と振り返る。孫で現社長の坂野豊和さん(33)は「『まる はらしさが保てるのか』と当初は中部空港への出店に反対されたが、お客さんの要望の多さを知って賛成してくれた。人として、経営者として常に立ち返る自分 の原点」と話す。

 四十年以上の親交があった豊浜商工会の青山福和会長(76)は「自分の身を削って周りを照らす、ろうそくになれ」との言葉を思い返すという。

 「あくどいもうけはしてはいかんとか、人付き合いを自分から避けるなとか、教わることはすべて正しかった」と話す。

 相川さんの半生を描いた「潮風の一本道」の著者三田村博史さん(72)=東海市=は「気骨のある、人をひきつける魅力を持った人だった」と惜しんだ。



0 件のコメント: