2008年9月30日火曜日

朝日新聞社説

麻生演説―選挙モード全開ですが

 麻生新首相の所信表明演説は、異例ずくめだった。なにしろ民主党への質問を五つも並べ立て、あすからの代表質問の場で答えよ、というのだ。

 いつもなら、新しい首相は政治理念を語り、新政権で目指す政策の青写真にもっと力を込めるところだ。だが、衆院の解散・総選挙が目の前に迫る。崖(がけ)っぷちに立つ自民党政権のトップとして、とても大仰な所信を語っている余裕はないということか。

 首相は演説で「あえて喫緊の課題についてのみ主張を述べる。その上で民主党との議論に臨む」と語った。総選挙を念頭に、ひたすら民主党と対決していく姿勢を明確にしたわけだ。

 国会で合意形成のためのルールをつくる用意があるか。補正予算案や消費者庁創設への賛否は。日米同盟と国連とどちらを優先するのか。インド洋での給油支援から手を引いていいのか。

 首相が挙げた質問は、こんな内容だ。補正予算案で対案を示すつもりならば「財源を明示していただく」とたたみかけた。

 民主党の応答の仕方によっては、それを衆院解散の口実にしようという構えもうかがえる。これらが、麻生氏が考える選挙戦の争点ということでもあるようだ。

 だが、いくら有権者の審判を目前に控えた「仮免許」の首相であっても、新政権が目指すビジョンをもっとていねいに語ってほしかった。これでは、はなから選挙管理内閣を自認するようなものではないのか。国民は肩すかしである。

 首相は日本経済について「全治3年」と繰り返す。ではその間、どこまで財政出動の蛇口を緩めるのか。4年目からはどうなるのか。夢物語に終わらないか。希望どころか不安が募る。

 社会保障について、安定財源の「検討を急ぐ」という。このあいまいさにはあぜんとする。基礎年金の国庫負担割合を来年4月から引き上げるための財源手当てにも触れずじまいだ。

 年度内に定額減税を実施するという。その財源への言及はない。民主党には財源を示せと要求しておきながら、これはない。

 福田前首相が約束した道路特定財源の全額一般財源化は実行するのか。道路整備にはどのくらいの予算を振り向けるのか。ここもはっきりしない。

 「強く」「明るく」「よく笑い、微(ほほ)笑(え)む国民」といった政権のキャッチフレーズはちりばめられていたが、結局は決意表明の域を出なかった。

 本会議での一方通行のやりとりではもどかしい。首相が本気で民主党と論戦をしたいなら、予算委員会の審議や党首討論でやればいい。

 こうした首相の挑発に対して、民主党の小沢代表がどう応じるか。面白くなった。




http://pub।ne.jp/shimura/?cat_id=84552&page=2志村建世氏のブログより

ニュース編集の公正とは

NHKニュースの「総裁選挙をめぐる自民党偏重」の問題は、視聴者コールセンターの暴言事件を糸口として、NHK本体に迫ろうとしているようです。大津留公彦さんのブログによると、コールセンターの内部から情報提供があったということで、NHKの下請け事業体の内情が、よくわかります。内部告発は、貴重な導火線になるかもしれません。
 これと別に、昨日の村野瀬玲奈さんのブログでは、「NHKの情報操作」のタイトルで、麻生総理と社民党・辻元清美議員とのやりとりが、夜のニュースと翌朝のニュースとの間で改変されていた例が紹介されていました。そこで、ニュースは編集で化けるということを書いてみます。
 話は古いのですが、安保闘争で全学連と機動隊が国会前で派手に衝突を繰り返していた当時、NHKの世論調査所が面白い実験をしたのを、内部の資料で読み ました。ニュースフィルムを、機動隊に同情的な立場と、全学連に同情的な立場と、2種類の違った編集をして試写したところ、見た人たちの感想は、「全学連 は暴力的だ」「機動隊はやりすぎだ」と、意図した通りに分かれたというのでした。
 街頭を実写した映像でも、編集によってどのようにも意味づけられることは、本質的には劇映画と同じことです。ですからNHKニュースは「両者五分五分に しろ」というのが大原則です。しかし編集マンもディレクターも人間ですから、当時の現場の雰囲気は、6対4ぐらいで政府批判に傾いていたような気がしま す。ですから岸首相は不満で、「テレビカメラを持ってこい、私が直接国民に話す」と要求した武勇伝を残しました。
 私が先日のNHKニュースを見て感じた違和感は、「いくら何でもこれは行き過ぎだ」ということでした。その後に少しは改善したように感じますが、今も総 体として、7対3ぐらいで政府寄りに傾いているように思います。ということは、今はニュースの現場と中間管理職が、この程度を「公正」とする感覚でいると いうことです。それはまた、私の立場が、今の日本でどこにあるのか、という問題でもあるのです。
 報道機関は、政府の広報よりも、社会を正す批判精神を忘れないことの方が、期待されている役割は大きいのです。NHKの報道姿勢は、もっと多くの批判にさらされる必要があると、私は思います。

志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより

かぶら矢


鏃の位置にアケビかなすびの形をした木片をつけた矢を放つとブブブブーと音を発しながら飛んで行く。かぶら矢である。元寇の役に元軍を恐れさせたという記事を歴史書に見た覚えがある。それを「もののけ姫」で見た。
エボシ御前がシシ神退治に男どもを引き連れて出払っている留守のたたら場を大侍つまり大名の軍勢がおそう。急を告げにアシタカが囲みを抜 けようと走ると見張りの手から天に向かってかぶら矢が放たれる。このかぶら矢は合図の目的で使われている。私はかぶら矢を見たことはあるが、バーチャルに せよ放たれるのを見るのは初めてであったし、使われたシチュエーションも私の知識にはないものであった。だから強く印象に残った。
実はもののけ姫を見るのは今回で五回目である。年に平均して一回行くか行かないかなのに同じ映画を続けて五回も見るのは今までになかった ことである。映画自体に時代設定の良さ、スケールの大きさ、動画の見事さ、物語の現代感覚などいくつもの理由がある。定年退官で毎日が日曜になったのも理 由の一つである。私にはそれら以外にあまり批評家などからは聞かないもう一つの理由がある。局面局面の迫力魅力である。
もののけ姫にはもう一つすばらしいと感じたカットがあった。もののけ姫のサンが仇のエボシを狙ってたたら場に侵入し、大屋根を走る姿であ る。育て親の山犬同然に四つ足で走るのである。昔ノンフィクション全集か何かでインドで捕らえられた狼に育てられた少女の話を読んだことがある。赤子でさ らわれたその少女は終生狼と変わらぬ行動をとり言葉も覚えなかったとあったように思う。もののけ姫のキャラクターは矛盾が多い虚構に包まれた姿だけれども このシーンだけは私はよしとしたのであった。
「フクちゃんの潜水艦」は私が小学校の三年か四年生の時に学校が見に連れていってくれた動画である。フクちゃんとは横山隆一の新聞漫画の 主人公だから原作も彼なのだろう。潜水艦とついているから一種の戦意高揚映画だったのかも知れない。この半世紀はとっくに過ぎた作品のあるカットを私は鮮 明に歌と共に思い出す。「海の底からうまそうな匂いがするのは、潜水艦の台所で・・・・・」と言う歌で海の泡を辿って行くと潜水艦が居てその台所でフク ちゃんが料理に奮戦しているというカットである。
名作傑作でなくても心の琴線に触れるカットはところどころ見つかるものである。剣豪もの、またたびもの、捕物帖にやくざもの、ひばりであ れ橋幸夫であれ触れ方は人によって違うだろうが、プロが作る作品には必ず入っていた。台本が決まっていて泣く場所笑う場所が初めから判っている歌舞伎文楽 などと違って映画はたとえリメークでも細部は新作である。新しい作品に新しい共鳴を見つける楽しみを覚えると意外と気軽に映画館に行ける。私の若い頃は高 学歴ほど日本映画に偏見があって洋画しか行かぬと威張る人間がおったが、彼らは人生の楽しみを減らしていると感じたものである。

('97/11/25)

「老コンサルの残日録」http://ameblojp/tkjsk0231hzannitiroku/より

≪一家の大黒柱≫と≪無責任家族≫

一昨日は、中学校を昭和29年3月に卒業した同窓の会へ出かけました。卒業以来、高校3年生の時に1回、その後は ズーッと不参加で3年前に2回目、今回が3回目、あまり熱心な同窓生ではありません。前回、今回と続けて参加したのも相応のトシになった、ということで しょうか。


この村(今は市です)には、小学校入学前の1年、小学校が1年、中学校が2年、高校が3年、大学が4年、社会人の5 年、合計16年しか住んでないんです。同窓生のホトンドは小中校の9年間、クラス替えがあったにしろ1学年3組ですから、みんな馴染みですが、私の場合は その間3年だけだったので、3年生の学友の一部しか馴染みではありません。


3年前に会っているので今回はお互いに会話も弾みます。我が家は、前に触れたように、その頃は≪心は豊かなれども経 済的には極貧の極み≫にありました。でも、どの友達の家もホンとに親切でよく遊びに行かせてもらいお母さんなどから良くして頂きました。そんな家の旧友と 話しました、当時は大きな製材所を営んでいて裕福な家でしたが、父親が急逝し後を継いだ長兄が大怪我をし家運が傾いたそうです。


私は、厳しい経済状態の中でも両親のお陰で進学校に進み一応ブランドと言われる大学に進みましたが、彼の場合は、相 次いで一家の大黒柱が倒れたために商業高校を卒業して就職し大学は通信教育で卒業したそうです。彼は、その後おおきく羽ばたき大成しましたが。このハナシ を聞いて思ったこと、以前は≪戸主(コシュ)≫、≪家長(カチョウ)≫、≪一家の大黒柱≫、と言う言葉が有ったっけ。


結婚すると『あんたも一家の大黒柱になったんだから』、家を支え稼業を支えるのが≪大黒柱≫、大黒柱を支えるのが女 房と子供、昔からこうなんです。『オレは家族の大黒柱なんだ』という責任感、『私たちは大黒柱のお父さんを支えなければ』という責任感。ところが最近で は、事業がウマク行かない、会社の具合が悪い…他人のせい、家族も『あんたがシッカリしないから…、子供達をどうするのヨ?』最近はこういう家族が多いん じゃあないでしょうか。もしかして、このところ離婚率が高い原因のひとつかも。


友達夫婦・友達親子…無責任、≪大黒柱≫と言う意識が無くなったのかなあ。文部省の官僚・日教組の共同の責任かも。 社民党の福島さん、中山発言に対して『国民が皆んな怒っています』、日教組に関する発言に怒ってるのは貴方がただけ、国民は『よく言ってくれた』だと思う んですけどどうでしょうね。

麻生さん:日本経済を3年で再生する


かつての米国は、自動車産業に代表されるような大量生産システムを生み出し、ついで大量販売・大量消費・大量廃棄と いうシステムを生み出しました。人口、国土、資源、明るくて開拓精神に富んでいてヒーロー好きな国民気質、強大な経済力による懐の深さと先見性…などが継 続的な経済成長を可能にし、豊かな社会を作り上げましたました。物づくり資本主義の成功の華でした。


25年ほど前でしたか、米国自動車市場で日本車のシェアが高まって米車が売れなくなりBIG3(ゼネラルモー ター=GM、フォード、クライスラー)の工場閉鎖と従業員の解雇が相次ぎました。TVでは、自動車メーカーの従業員がハンマーで日本車を叩き壊すシーンが 写されたりしました。その後、日米政府間でヤリトリがあり(プラザ合意)、結果的に日本に≪バブル≫という異常な時代をもたらし、その後遺症が≪異常低金 利政策≫、≪財政困窮化≫という形でいまだに影を落としています。


ここへ来て、燃費効率対策に遅れをとり原油の狂騰に対応できない米国の自動車メーカーはボロボロのようです。世界最 強といわれて来たGMですら経営の危機に瀕しているとのこと。反面、燃費効率の良い日本車のシェアは25年前どころではなく米車を追い詰めています。それ でも、米国内では政府・民間ともサワギになりません。25年前は、あれほど大騒ぎしたのに。生活材はじめ多くの消費財を輸入に頼っているため物づくりを重 要視しなくなったんでしょうか。


米国はいつの間にか、物づくり資本主義から形を変えてきたように思います。いま米国が強いもの、情報通信・金融商 品・兵器・農産物…。特に金融商品、物づくり資本主義が金融資本主義に変身したように思うのです。日本がバブルの後遺症に苦しんでいた時に、米国金融資本 の餌食になった日本企業がたくさんありました。それは恐らく日本だけではなく世界規模で行われた事でしょう。


サブプライムローン、米国金融資本は自分達が開発し世界を席捲した商品・金融システムで自ら墓穴を掘りました。日本 のバブル後遺症はホトンド国内で緊急処理しましたが、今回は米国金融資本が桁違いに大きい事もあり世界規模で金融不安・それに伴う不況が拡がっています。 ところで麻生さんは、日本経済を3年で再生する、と言ってますが、一部の識者の間で言われはじめた≪システミックリスク≫など理解してるんでしょうか。 誤った処方箋は、病気をモッと重くします。10年位前の、自民党による不況対策のように。


じいちゃんの独り言http://okamoto1।at.webry.info/より

子を産んで大臣の座が…


愈9月も最終週を迎えました。事務所のキリギリスも随分弱り鳴声もしわがれ声となりましたが、それでも一所懸命に玉葱を食べて生き永らえています。一匹な ど足(手?)が一本になりましたが五体不満足な身体で私の掌に抱かれて玉葱を食べて必死で生きて居り、一口食べてはジジジーと鳴きますからきっと有難うと 言っているのでしょう。(^^)生きることへの本能と謂うものの凄さを私は昆虫によってしっかりと学ばされた思いです。自殺者が段々増えて行く昨今、是非 人間もキリギリスを見習うべきでしょうね。
二星蟋蟀の方はすっかり成虫(中年)になり、別の容器に入れている閻魔蟋蟀のコロコロの美声に触発されてチリチリと鳴き交わして居り、何故か平安時代古今 和歌集の世界にタイムスリップしたような情緒豊かで雅(みやび)な雰囲気に包まれて仕事をして居ますが、風流を解せぬ職員達には雑音としか聞こえぬらし く、五月蝿いとか苦情が出て感性豊か?な小生を唖然とさせ落ち込ませて居ます。(;;)

今回に限ったことではありませんが、餃子を初めとした中国からの輸入食品の質(タチ)の悪さにはホトホト手を焼きますね。今度は牛乳を水で薄めた際に蛋白 質が減少したことを隠すためにメラミンなる化学物質を牛乳に混入使用していることが発覚し、丸大食品6品目の乳製品入りの商品を自主回収に入りましたが、 32万袋流通し回収は僅かに554袋のみとか…(;;)先日三笠フーズ事件で関係者とされて世間から糺弾され漸く無実の罪が晴れたばかりの日清医療食品が 給食用に丸大から購入した菓子パン35000袋がメラミンに汚染されていたことが判明し踏んだり蹴ったり四面楚歌に陥って居ます。このメラミンなるものは 既に昨年アメリカで中国より輸入されたペットフードにより多くの犬や猫が死んだために中国で業者が逮捕され、我が国でも今年6月にペット用飼料安全確保法 が成立したものの、肝腎の人間様の食品については此を全く怠って居り、中国で粉ミルクによる健康被害が起こった今年になって漸く厚労省が重い腰を上げまし たが、日本ではメラミンが食品製造過程で使われる筈のない物質と勝手に極め付けられて食品衛生法上の規制対象に入っていない杜撰さが後手後手に廻らされた ものであり、腎臓や膀胱に結石ができる障害が出ると謂うのに放置されていたことは到底赦されることではありません。何処の法律にあろうが無かろうが健康被 害が起これば即座に対応せねばならぬを怠った農水省や厚労省の怠慢は大いに責められるべきだと思います。政府も他人事(ひとごと)ではありませんから、中 国政府に対し多額の賠償を求めるべきですが、お坊ちゃん育ちばかりの外務省にそんな硬骨漢が居る訳もなく、黙って泣き寝入りは情けない限りです。(;;)

福田政権がサドンデスの終焉を迎え麻生政権に取って代わりましたが、いろんな事があり何とも喧(かまびす)しく遽(あわただ)しい9月でありました。
哀れにも架空事務所費問題に“やかましい”問題、更には汚染米関係業者を調査未了の儘発表する不手際などと満身創痍であった太田農水大臣と、昔は兎も角工 業用糊は今では米から作っていないことを糊業界から反駁されて(;;)“私共に責任があるとは全く考えていない!”と断言して世の顰蹙を買い、町村官房長 官からは厳しく譴責されて翌日には前言撤回のお詫びをせねばならなくなった白須農水次官が虚言の責任を取って、詰め腹の已むなきに至りましたが、事務次官 は実務など一切何も知らぬ只のロボット役人でありますから次官に“工業用糊だとでも言っとけば?”などと進言したノンキャリ役人が居た筈ですが、彼は一体 からどんな厳重処分を受けることになったのでしょうか。(;;)瓢箪から駒、思わぬことで農水次官の座が転がり込んできた井出林野庁長官から“愛(う)い 奴だ!”と逆に地位を抜擢され栄進したりして…(^^)
元総理の三女小渕優子34歳が最年少大臣として任命されましたが、こともあろうに少子化行政担当大臣とか…31歳で結婚し昨年子供を儲けたばかりですが、 此の子を産んでいたお陰で大臣の座が転がり込んできましたから、優子さん此からは一生子供に頭が上がりませんね。でも何故か晩婚を奨励しているようで、少 子化大臣とは笑止千万です。然し大臣の職務は子供を育てる環境への啓蒙活動に尽きますから毎夜頑張ってポコポコ出産することだと勘違いなどしないで下さい ね。
女性大臣は郵政族の野田聖子と併せ美女二人ですが麻生短命内閣の客寄せパンダと思われます。枯れ木も山の賑わいと謂いますが、矢張り枯れ木ばかりでは華が なく、枯れ木の中に彩りを添えたお飾りのお雛様なのでしょう。(^^)閣僚認証式の際麻生総理両手に花は自分の身長の低さを隠すためではなかったでしょう か、野田聖子が大柄なため自分はハイヒールで女性達はローヒールが命じられていたりして…(^^)
自民党きっての論客石破茂が意外にも農水大臣に任命されましたが、此は或いは泡沫候補が総裁選に臨んだことへの麻生太郎の報復手段であったかも知れません ね。石破茂は将来の総理を狙って多勢に無勢を知っての上での今回無印の総裁選挑戦でしたから、この際農水相にでもしておけば歴代の農水相が不祥事で辞任し ていることだし、弛みきった農水省の役人達が放っておいても彼の足を引っ張って彼の政治的生命を絶ち切る事件を惹き起こしてくれるものとの読みがしっかり と入っていると見ましたが、強かな農水省役人達も案外強面(こわもて)石破茂の地獄の声に恫喝されて“弱きを挫き、強きを助ける”本性に目覚めて大臣に服 従し、意外にも麻生太郎の野望は潰えることになるかも知れません(^^)
とは謂え事故米からメラミン牛乳に至るまで汚染米卵商品が学校給食など327万食とか気の遠くなりそうな数字ですが、崩壊寸前となった我が国の食の問題を石破大臣がどのように裁いて行かれるのかとても興味深いですね。
政府は選挙を控えて今回の事故米事件の収拾に必死であり事実関係を知らずに購入した業者(どうして特定できるのか?)からの回収費用に200億円負担する ことに決めたそうですが、08年度の予算の予備費で賄うとか…そんなに予備費があるのも初耳ですが、我々の血税であることには変わりはありません。然し回 収費用の原資は先ず今回の事件を惹き起こした当事者である白須事務次官を初め農水省の職員から取り立てるのがスジではありませんか。白須次官の退職金だけ でも8000万円くらいあるでしょうし、それに職員から事故米が流通した過去数年間の給与の10%返却させれば回収費用の半分位にはなりそうですが、前例 になると困るので誰も言い出さないことでしょう。(;;)
何を言い出すのかと思ったら後期高齢者保険を廃止するとか、秋になったのに真夏の夢見たいなことを舛添厚労相が突然言い出し麻生新総裁にゴマを摺って厚労 省再任を捥ぎ取りました。この人顔に似合わず寝業が上手いのに愕きます。年齢の制限なし、年金からの控除もなし、全く夢のような話ですが此の手の話は眉唾 ものが多くて信用できません。それなら元の白紙に戻せば良いものを“其れはできぬ”と突っぱねていますから、或いは大票田である高齢者を意識した選挙用の 発言であり、選挙後に蓋を開ければ今よりもっと酷い法律に化けているやも知れません。年金を一旦手にするとつい使ってしまいますから、年金控除など冷酷な ようでもお互いの手間暇を省いた合理的な徴収方法であり、此の方法を廃止すれば必ず未納者が続出し、未納者には保険証の交付が受けられない(全額自己負 担)現在の保険の仕組みからしてトクをするのは厚労省であり、無いならないで何とか凌げてもあれば使ってしまうのが弱い人間の心理です。食べるのに事欠い て保険料まで支払えない下層所得の方々は一体からどうすればよいのでしょうか。恐らく後期高齢者制度の廃止公約は自民党今度の選挙の殺し文句として使用さ れると思いますが綺麗な薔薇には刺があるとの喩えで必ず語られない話の裏がある筈であり、政府は保険収入を減らす積もりは毛頭ありませんから、皆様も決し て騙されないようにしましょうね。

ネット通販のアマゾンからポールポッツのCD“ワンチャンス”が漸く届いたので、早速聴いてみました。(^^)
2500円は少し高いかな?と思ったのですが、プッチーニのオペラ“トウーランドット”の中の有名なアリア“誰も寝てはならぬ”の熱唱は将に圧巻であり、 到底素人上がりとは思えぬ音程の正確さと圧倒的な声量は息を呑む程であり小技のテクニックも小憎らしい程で、歌唱力は教育で育つものではなく、天性の声の 麗質によるものであることを知りました。小生無学にしてイタリア語は全く解せませんが、決して高い買い物ではありませんでした。(^^)
日本向けのCDのためボーナストラックには“アヴェマリア”や“きよしこの夜”など4曲が収められて居りましたよ。(^^)
“トウーランドット”と謂えば北京を舞台としたプッチーニの未完の大作(完成前にプッチーニ死亡)ですが、皆様はきっとトリノ五輪の荒川静香選手の晴れ姿 を思い出されることでしょう。歌手は知りませんが良い曲でしたね。荒川選手の金メダルはあの曲のお陰が多分にあったと思います。ポールポッツが歌って居な いのが残念ですが誰が歌っても名曲は名曲です。あの時の感動をもう一度思い起こしましょうか。(^^)
「老コンサルの残日録」http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/より

麻生総理大臣の所信表明演説


今日、日本国第92代内閣総理大臣・麻生太郎氏の所信表明演説が行われました。キャッチコピーは≪明るく強い国≫で す。小泉さんの≪改革なくして成長なし≫、安倍さんの≪美しい日本≫、福田さんの≪消費者目線の政治≫、そして今日の麻生さん、です。これらの言葉を総括 すると≪素晴らしい日本づくり≫のひと言になると思います。


私の場合、新規に伺うようになった会社でやることの第1は、自分なりにイメージしている素晴らしい会とその会社のチ ガイを、経営の各面について総合的に、更に個別的に明らかにし、その中でギャップを埋める優先順序をつけ改善提案することでした。素晴らしい経営者とこの 会社の経営者のチガイは?素晴らしい組織体制とこの会社のそれのチガイは?素晴らしい営業体制とこの会社のそれのチガイは?…総ての面について、です。順 次、提案は実務面に向かいます。                       


もちろん、素晴らしい会社のイメージは、時代や社会の流れ、経済環境の変化によって変わります。全部いっぺんに、と いう訳には行きません、総合的に優先順序を決めることが大事なんです、例えば、財務力が弱い会社に売上を伸ばす提案は会社を危機に陥れますから。また、1 つを解決すると他の問題も消えてしまう、ということも有るんです。国の経営も、基本は同じじゃあないんでしょうか。


歴代の自民党内閣は、素晴らしい日本とはどんな日本なのか、現状はどうなのか、素晴らしい日本に近づくためには、何 処から手を染めどのように解決するのか、官と民の役割分担はどうするか、その次は…が無かった様に思います。常に、政権維持と米国に嫌われない事が目的 で、国民には表向き美味しそうな政策を取り続けてきたように思うのです。だから、政策はいつも国民にとって美味しそうに見えるところをつまむだけ。その長 年の結果が今の日本だと思います。


ところが麻生さんの演説は、そんなどころではありませんでした。日本・日本人が持つ潜在能力を高く評価するのは良い として、そういう人的資源を持ちながら今の様な日本にした長期自民党政治の反省的な発言は無く、まるで野党党首が与党内閣に対して質問する姿そのもので、 違和感を感じたのは私だけではないでしょう。


戦機熟す、水を背に与党陣を組み(背水の陣)、自らを奮い立たせるような非常に挑戦的な、逆に言うと、かなりセッパツマってる様子が見える、そんな感じのカナリ異質な所信表明演説でした。


一家(イッカ)の大黒柱って今あるんだろうか


戦後の短命大臣、中山さんの5日間が遠藤さんの8日間を抜いて新記録かと思いましたが、モッと凄い記録がありまし た。88年にリクルート問題で辞任した竹下内閣・長谷川法相の大臣在籍記録は4日間でした。金メダル:長谷川さん、銀メダル:中山さん、銅メダル:遠藤さ ん。ただし、黒で枠取りしたメダルです。


イチロー、今期の最終戦で4安打なら日本人安打数の記録・張本の3,085本に並んだんですが2本でした。今期は 213本でシーズンを終えました、ご苦労さま、感動をありがとう。来シーズン、早々に張本の記録を抜き去ります、彼のことだから『米国でプレーしてる以 上、米国選手の記録を塗り替えたい』と言うでしょうね、ピートローズ、タイカップへの挑戦が始まります。8年間・200安打・100得点はルーゲーリック とタイです。


今日、日経新聞・朝の連載小説≪望郷の道≫(北方兼三)が終わりました。明治になって間もない頃、筑豊で石炭運搬 船・女郎屋・賭場(トバ=半公認の博打(バクチ)場)を経営する家の次男が、元下級武士で肥前佐賀の山間部で賭場を開いていた人が亡くなり、その一人娘で 独身の女親分に婿入り、賭場業を改革しつつも刃傷(ニンジョウ)事件の末に九州所払い(トコロバライ=追放)になります。


日本が日清戦争で得た台湾に渡り、小さな事業(キャラメル屋)を起こします、やがて妻(女親分)は稼業を若衆頭に任 せ子供を連れて台湾に渡ります。九州に帰りたい、佐賀に帰りたい、二人は言葉をひと言も口にすることなく胸に納めてヒタスラ働きます。主人公の、膂力 (リョリョク=腕力)・胆力・知力・行動力・責任感…どんな苦境に陥っても筋を曲げない精神力、ひたすら夫を信じてついていく妻、嘗ての日本の家庭、夫は 一家の大黒柱・ソレを内助する妻…。


日本は日露戦争にも勝利し、台湾には日本の統治が染み込んでいく時代です。やがて台湾全島に商いを広げ、大阪進出を 計画、元の稼業に戻らないという条件で所払いが解けます。今日の最終回は、主人公とその妻が佐賀の駅前で新商品のドロップを立ち売りするところで終わりま した。かなり個性の強い妻が『おいしいをドロップどうですか』、笑みを浮かべながら涙を流しながら叫んでいます。20年間くらい福岡・佐賀・長崎で仕事を しました、そのころ耳にした≪ばってん≫語、いいですねえ。


日本の家長制度=大黒柱制度を無くしたのは日教組だろうか、たぶんソウかも。

2008年9月29日月曜日

志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより


大利根博物館


佐原にある県立の博物館である。千葉には、いったい幾つの博物館美術館があるのだろうか。風土記の丘とか資料館房総村と云ったものもその一種だし、国県市町村立のもの全部を勘定に入れたら随分になるだろう。「ちばの博物館」という結構分厚い本が出ている。
時代劇で江戸の女郎が年増になって落ちて行く先が木更津であったり、お富さんの相手役切られ与三の墓がやっぱり木更津にあったりでどうも 昔は文化はつる所と云ったイメージが千葉にあったのかも知れない。東京の隣の何県かの中では文化的に遅れている雰囲気の県だから肩に力が入るのかも知れな い。
私の住まいから距離で60km弱自動車で2時間弱で行ける位置である。近くにこれは佐原市立の水生植物園がある。アヤメの季節にはおすな おすなの見物客がごったがえす。ハナショウブは400種を数える。さらに水郷12橋の風情も有名である。アヤメ、ハナショウブ、カキツバタだけではなく睡 蓮、蓮も数多くの種類が集められている。ちなみに睡蓮と蓮は間違えやすいが、普通は科が違う植物として分類される。残念ながら私が訪れたこの時期はもう とっくに花が終わって何もない時であった。誰一人入って居らなかった。赤トンボが乱舞していた。
隣のうなぎ屋もホテルも休店していた。私は川沿いに車で回ってみたのだが、12橋めぐりの船も岸につながれたままで一隻も運航していなかった。花が無くなれば全部が止まる。季節のある観光地である。
このあたりは干拓地である。江戸時代に書かれた地図では水面が大きく描かれている。それを囲ってポンプ場を設置し水を汲み上げて農地を造成した。取り替えた旧式のポンプが博物館の屋外に展示されている。800kwぐらいの大型ポンプであった。
利根川で捕れる魚を展示している。鮭は剥製でこれは今では見られないのだろう。うなぎ、フナ、鯉、なまず、メダカ、マス、亀。長細い魚は 何故か土管のねぐらが好きなようだ。在り来たりの魚だが、生きた姿で見るのは久しぶりである。それぞれを小型の水槽で別個に飼っている。メダカだけは何か と同居していた。メダカは絶滅が心配されているという。小鳥は全て剥製で録音の声が聞ける。ほか狸、イタチなどここらに住む小動物の剥製。
漁具の中では竹籤で編んだ細長い籠状の多分ウナギを捕る仕掛けの種類が豊富であった。海運盛んな頃の佐原の町の模型。江戸に通った運搬船 の模型と櫓、舵の実物。蒸気汽船に変わった頃の船の模型。運賃表を見ると米100俵が8円、ビール100箱が10円と出ていた。その他農耕具の展示など。
収蔵品展として印半纏(しるしばんてん)の展示をしていた。大家がお出入りの職人にお仕着せとして印の入った半纏を与え着用させたという。一例だけ違っていたが、その他は全部濃紺色の地にマークを白くたまには色つきで浮き上がらせてあった。
淑徳裁縫女学校というのがあって桜花に淑徳と入れてあった。淑徳は今もその地に学校として存続しているはずである。井桁に山、井桁を円で 囲ったものもあって住友との縁を想像したりした。我が家の家紋が角切り三目で丸亀の京極家と近いが、系図上は鎌倉時代の佐々木源氏に源を同じくするのと同 様に、案外な関係があるのかも知れぬ。

('97/10/30)

人間はどんな国を作ってきたか(通算29)

どんな国が「よい国」なのか

 ちょっと見回しただけでも、世界にはさまざまな国があります。人口の大きさだけ比べても、十億人を超える大国もあれば、総人口一万人にも満たない 小国も国連に加盟しています。どんな国でも表決権は同じ一票という国連総会の原則は、たぶん大きな虚構の上に成り立っているのでしょう。国連に縛られたく ないアメリカの気持がよくわかります。
 ところで、どんな国が「よい国」なのでしょうか。それには国民にとってよい国という条件をつけましょう。統治者にとってよい国は、気ままな独裁が許される国かもしれないからです。今ではそんな国は少数派でしょうが。
 中国の伝統的な政治思想に、理想の善政は国民に政府の存在を意識させないというのがあります。伝説上の聖人であるぎょう尭帝の時代に、食足りた老人が 「太平の世に皇帝など要らない」と歌ったと、「十八史略」が記述しています。苛酷な徴税や徴兵が民を苦しめることは猛虎の恐ろしさ以上であると、孔子も説 いています。民は自らの働きで幸せな暮らしを築こうとするもので、それを守るのが政治だという思想がそこにはあります。
 しかし自然災害に対しては治山や治水の工事が必要ですし、盗賊の害には治安を守ってくれる武力も必要になります。隣人同士のもめごとには、公正な裁きを してくれる第三者がいないと困ります。そんなこんなで人間の幸せは、自治であろうと他からの強制であろうと、何らかの政治システムによらなければ保障され ないのです。
 マルクス主義では、革命が完成した後は国家が消滅することになっていますが、それは大衆の上に立つ権力装置が不要になるということで、労働者階級による理想の自治が行われることを想定しています。そのような自治は、やはり国家と呼ぶべきでしょう。
 いずれにしても、最大多数の最大幸福を保障してくれるのがよい国家だということには異論がないでしょう。すると、人間にとって何が幸福なのかということ が次の問題になります。これも異論のなさそうなことから列挙すると、不本意に殺されない、自由を奪われない、衣食住に困らない、教育を受けられるといった 人間として必要な最低限の条件を満たすこと、つまり国民を不幸にしないことが、よい国の第一の条件です。そしてこの条件は、ある程度は世界共通の基準を作 れそうです。
 この基準を満たした上で、努力したら報われる、正直者が損をしない、個性的な能力の発揮が評価される、将来に希望が持てるといった前向きの条件を、より 多く満たすのが、よい国と呼べるのでしょう。この前向きの部分では、何を幸せと思うかという価値判断は、個人により違ってきます。つまり底辺の支えは広く 強固で、能力に応じて伸びる可能性に対しては、なるべく制約の少ないのが「よい国」の条件なのです。

2008.7.30

たったひとりの反乱


今日の表題は、今夜10時からNHK総合で放送される実録ドラマのタイトルです。緊急のお知らせですから、今日の記事は、これだけにしておきます。
 扱われているのは、6年前の狂牛病騒ぎのときに、牛肉の買取処分制度を悪用して安い輸入牛を国産と偽装し、国の補償金を詐取した雪印食品を、冷凍倉庫会 社の社長が告発した事件です。私は、ほんの数日前にこの事件の記録「正義は我にあり 西宮冷蔵・水谷洋一の闘い」(ロシナンテ社編著・アットワークス発 行)をネット注文で取り寄せて読んだばかりです。書評として紹介しようと思っていたのですが、今朝のテレビの予告を見て、偶然の一致に驚きました。
 事の次第は、告発の功労者であるべき小企業が、業界と官庁の集中攻撃にさらされて営業停止処分を受け、廃業に追い込まれようとした、ということです。 「ヤバイことになる」と親会社に何度も忠告しても無視され、止むなく警察に通報した冷凍倉庫の社長は、不正な伝票を作成したという形式的な法令違反を問わ れて処分されました。「雪印の社員に囲まれて、指示通りに書かされた」という弁明も、「伝票を書く前に知らせるべきだった」として受け入れられなかったそ うです。
 それとともに、取引先は次々に契約を打ち切って、西宮冷蔵を苦境に陥れました。告発するような危険な業者は排除したいという業界団体の圧力と、そこに天 下りを送り込んでいる官庁の意向が反映している疑いを、濃厚に感じさせる成り行きです。結果として会社は電気代を払えなくなって営業を停止し、全社員を解 雇せざるをえなくなりました。
 ここから水谷社長の「たったひとりの闘い」が始まります。街頭にのぼり旗を立てて座り込み、「まけへんで!」と訴えつづけました。ついに「西宮冷蔵を再 建する会」が結成されて応援カンパが始まり、会社は2004年から営業を再開したということです。昨年には「ハダカの城」という映画も制作されて、上映活 動が行われています。
 くわしい内容は、私も今夜のテレビに期待しているところですが、現代日本を象徴するような「巨悪」に対しても、戦って勝てる場合があること。そのためには「勇気をもって立ち上がる最初の一人」と、そこにつながる人々の輪が必要であることを教えてくれるようです。

鵜飼俊男の感想

りっぱな発言。毎日600人が見に来るだけのことはある。



戦争絶滅へ、人間復活へ」を読む


むのたけじの新刊「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書)を読みました。93歳になる生涯現役ジャーナリストの、むのたけじ(武野武治)が、「その うち岩波新書を1冊書く」という約束を、黒岩比佐子の聞き書きで果たしたものです。新聞記者として戦前から活躍し、戦時中は従軍もした経験があり、終戦とともに責任を感じて朝日新聞を退社。その後は郷里の秋田県横手市に住んで週刊新聞「たいまつ」を独力で発行しました。一貫して権威に頼らず、世を正すことを新聞記者の本分とした人です。
 戦前から戦後そして現代にいたる日本の現代史のすべてを見てきた視点には、独特の鋭さがあります。たとえば憲法9条について、「あれは軍国主義の日本に 対する死刑判決だった。その一方で、世界人類の理想でもあった。」という2面性が本質だというのです。その本質を論じないで、戦争責任についても「天皇の 命令だから仕方なかった」で誰も責任を感じなかった。そのいいかげんさが今も尾を引いて、危ない状況を作り出している、ということです。
 また、今のマスコミの状況については、上っ面だけを追いかけてもニュースにもならない。だからどうなのかを伝えなければ報道ではない、と辛辣です。さら に現在の世界について、資本主義だけになってしまっていいのか、という深刻な疑問を投げかけています。私は、この部分にいちばん興味がありました。ご本人 が書いた「結び書き」の中には、「レーニンと毛沢東への判決」という、痛快な一文があります。
 「……振リ回シタ旗ニハ社会主義ト書イタガ、マッカナニセモノダッタ。現実ニハ富国強兵ノ国家主義、ソノ典型ダッタ。ニセ社会主義ガ本物ノ資本主義ニ負ケルノハ当然ダ。」と論断して、永眠を命じています。私もこれには同感です。
 共産主義・社会主義の典型例は、まだ地球上に存在していません。多くの失敗例があるだけです。しかし無視できない部分的な成功例があることも事実です。 人間同士の助け合いと非暴力を実現しているという意味でなら、北欧の福祉国家やカナダなどは、社会主義の理想を、かなりの程度まで実現しているように見え ます。根っからの社会主義者を自任するむのたけじに、意見を聞いてみたいものです。

人間はどんな国を作ってきたか(通算28)


アラブとアフリカの国々

 私たち日本人にとって、アラブもアフリカも何となく遠くに感じられる国々です。アラブ諸国といえば、イスラム教を信じアラビア語を話す人たちのいる国というイメージですが、イスラム教もアラビア語も私たちにとってはなじみの薄いものです。
 イスラム教の起源はユダヤ教、キリスト教と共通です。旧約聖書に登場する創造主がこの世のすべてを支配するという一神教を基礎として、もっとも原型に近 い信仰を維持しているのがユダヤ教であり、ユダヤ教の改革者として出現した預言者キリストが広めた信仰がキリスト教になり、さらに最後に遣わされた預言者 ムハンマド(マホメット)による信仰がイスラム教になったものです。ですからイスラム教の中にはユダヤ教とキリスト教を保護すべしとする思想はあっても、 異教として攻撃する姿勢は、本来ありません。しかし現代では、キリスト教とイスラム教の間には大きな違いが出来てしまいました。
 キリスト教国は宗教改革を経て、科学技術の発展や民主主義による政治と宗教の分離に成功したのに対して、イスラム教国は砂漠の国の厳しい自然環境に由来 する特異な信仰の形態を、ほとんど原型通りに残したままで近代を迎えたのです。イスラム教国で、信仰が人々の思考や行動を規制している影響力の強さは、お そらくキリスト教の比ではないでしょう。こういう国に民主主義を根付かせるには宗教者の意識改革が不可欠で、そのためには数世代もの時間がかかることを認 識すべきだと思います。
 アラブ世界の南方につながるアフリカ諸国は、現代世界の悩みを集中的に抱え込んでいる国々です。五大陸の中で最多の五十四カ国を数えながら、その多くは 経済的自立さえも危うい状態です。ヨーロッパ諸国の植民地として、十九世紀末から八十年にわたり分割統治された歴史の刻印は、公用語の一覧表を見ただけで もわかります。現地語の影は薄く、フランス語、英語、ポルトガル語、アラビア語、スペイン語と並んでいて、まるで語学学校の科目表のようです。こうした国 々が自国の文化を育て、近隣諸国と良好な協力関係を築いて行くことがどれほど難しいか、想像に余ることです。
 さらに一部の資源国を除いては投資先としても市場としても魅力に乏しいため、先進国の関心が低く、援助が行き届きません。そして多くの国が部族の対立に根ざす内戦を収拾できず、また、エイズの蔓延に苦しんでいます。
 アフリカ諸国の困難な現状について、身勝手な植民地支配を続けたヨーロッパ諸国が重い責任を負っていることは明らかです。しかし出来てしまった現実に対 しては、全世界が協力して、アフリカの内部から生まれたアフリカ連合(AU)による再生計画などを支援しながら、改善の道を模索して行くしかありません。

「老コンサルの残日録」http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/より


中山国交大臣の辞任

テーマ:ブログ

前代未聞の出来事です、麻生内閣が発足し5日目にして中山国土交通大臣が辞任しました。拉致問題で著名な中山恭子さんのご主人です。これまでは、遠藤農水大臣が、8日間で辞任、最短記録保持者だったと思いますが記録を塗り替えました。でも、オカシな事件ですよね。


成田空港問題で『ごね得』発言、中山さん、国交省官僚に嫌われたのかも。新大臣が就任すると、担当省の官僚がレク チャーします、門外漢(モンガイカン)では実務面で困るからです。レクチャー時に、大臣就任で舞い上がった新大臣が問題発言し、結果的に彼等の望みどおり 辞任に追い込まれるように、リード・洗脳・マインドコントロールします。その、うまく行った例が今回の事件です。中山さんの失言です。私の考え過ぎかな。


『日本は単一民族』発言、国民の中で、アイヌ民族がどれだけ意識されているでしょうか、と言うくらい同化していると 思うんです。『日本は単一民族』、普通に使う言葉ですし、アイヌ民族の団体からクレームがついて『アッ!ソーカ!』という感じです。民族の誇りは敬うべき です。でも、このような事から世界中で民族紛争が起きているんかなあなんて思うのです。中山さんの失言です。私の考え違いかな。


『日教組』発言、中山さんが我が身を投げ打って(?)衆院選での自民党の劣勢を挽回するために発言したんじゃあない かと思うんです。つまり、道徳心なき日本になったのは日教組のせいだ、日教組は野党の応援団だ、衆院選で野党が勝つと今まで以上に日教組がのさばり更に道 徳心なき日本になる、だから衆院選での投票は自民党へ、日教組をぶっ壊せ。


国民・マスコミの日教組への関心が高まって、日教組の旧悪(?)が暴かれる、そうか野党に勝たせてはいけないな、ど うしょうもないけど自民党に任せるしかないか。麻生内閣発足時の支持率アンケートは全紙50%を切っています、解散時期をづらそうかという考えもあるよう ですが自己都合を言い立てる公明党がウンと言うかどうか、の問題もあります。


しからば次の一手、誰か知恵の廻る人が中山さんに『後の事は悪くはしないから』と言い含めて…なんて。でも、中山さ んの『日教組』発言は失言ではなく確信発言でしょう。日本人の道徳心喪失の原因のひとつは日教組、と考えている人はたぶん多いと思います。大臣発言なら ニュースになるから、と中山さん、考えたかも。私の考え過ぎかな。

沖縄の動植物相


私は中学以来の虫屋で、蝶を専門にしている。といっても本当に熱中したのは中学2年生と3年生の頃である。学校の生物班にはまってしま い、先輩連に連れられてあちこちへ昆虫採取に行った。今は採取は止めて蝶々ウオッチングとしゃれ込んでいる。私には貴重な、心に潤いを与えてくれる趣味で ある。ただ旧制最後の中学生だったので後輩は学校解散まで全く入学してこなかった。だから先輩から学んだものを後輩に伝える機会はついに来なかった。その 点は今でも残念に思っている。
旅行に出ると蝶に直ぐ目が行く。沖縄には図鑑か標本でしか見なかった蝶が自然の中で飛んでいる。バスから降りたわずかな時間に出会う蝶だ からそう種類は多くないが、一番鮮明な印象はシロオビアゲハが止まったときであった。オナガかジャコウか判らない後翅が細長いアゲハも見た。あとの二種は 本州にも普通にいるはずの蝶だが、私には初めてであった。
琉宮城という観光客相手のレストランに併設されて蝶園があった。オオゴマダラがわんさとおって悠々と花に集まる。四国の土小屋から石鎚山 にいたるルートで私は一度アサギマダラを手づかみにした覚えがあるが、このマダラもまったくののんびり屋である。赤い花が大好きで丁度花盛りのブーゲンビ リヤに群がるが、赤い帽子を被るとそれに集まる。これがその蝶園の見せ物である。おばさん連の人気を惹き付けている。
蝶園にいるのは飼育されている蝶である。しかしこの蝶園を取り囲む林では、一部は蝶園を逃げ出した奴と云うが、ツマベニチョウが大きな飛 翔を見せてくれる。なかなか敏捷で滑空が早い。シロチョウ科とは思えぬ飛び方で止まって羽を広げると前翅の先端の紅色が鮮やかである。イシガケチョウは蝶 園の飼育箱の中で見た。そとにも群を作って飛んでいるというのでしばらく眺めていたが現れなかった。
ロバとたいして変わらない小さい琉球馬、昔は砂糖黍を絞った水牛、毒蛇のハブ、海岸に出れば無数の白あるいは薄い青の珊瑚、気根の下りた マングローブ、タコノキ、椰子に芭蕉はそう多くは見なかった。松食い虫の被害が出ているという琉球松。パイナップルは酸性の土地でないとだめだそうで中部 より北だそうだ。南に行くほど動植物相は豊かになる。そして私の育った環境とはたしかに違った内容である。日本も広いんだと思った。


('97/10/29)

異国琉球


伝承の民謡を耳で理解するのは私には不可能である。しかし文字に直して少し解説して貰うと日本国内の大抵の民謡の意味は不完全でも理解できるようになる。方言も同じだ。昔大学生の頃つまり今から30年ほど前に急行(当時は急行だった)日本海で北海道を目指したとき、新潟から北になると車内の話し言葉は全く理解できなかったが、純粋の東北弁かて文字にすればかなり判るのである。
しかし琉球の言葉は文字に直しても多分ほとんど判読不能である。漢字混じりにした文でもまず大意を取りかねる。ふりがなで漢字の発音がか なり我々本州人と違っている事を教えられる。秘密のかなりは母音が三種でa,i,uしかない所にある。我々のeはi、oはuとなる。この琉球語が日本古語 を残していると知ったときは驚いた。平安時代の「侍り」が残っている。(外間守善「沖縄の歴史と文化」中公新書,1986)京都と首里の方言の近接度から 推定すると弥生時代から古墳時代に日本祖語から分かれたとある。(比嘉春潮他「沖縄」岩波新書,1963)
島津には植民地的に扱われ、明治以降も差別され続けた上に二次大戦では最大の犠牲を払った人々が祖国に日本を選んだ理由は同文同種同語で ある。同文同種までなら宗主国中国及び日本以外の中国文化圏とはずっと漢文でのおつき合いであったから中国も一つの候補だったであろうが、そんなけぶりは チョットもなかった。北端の辺戸岬に日を決めて行進し日本最南端に向けて日本復帰を叫んだとガイドさんが云う。
朝鮮語は日本語と同じアルタイ語系という。しかし琉球語よりははるかに離れた存在で、共通する基本語はあまりない。互いに分派した民族同 士であるとしても何千年も昔の話であろう。朝鮮人の悪口に、日本人は朝鮮での生存競争に負けて落ちていった連中の末裔と云うのがあるそうだ。百済が新羅に 負けて多くが日本に亡命したのは史実だし、古墳には半島出身と思われる人物の墓がある。しかし同語にはほど遠い。DNA解析も南方系がかなり入っていると いう結果だったように思う。逆に非同語と朝鮮の歴史文化への自信が、日本の植民地化に対し、沖縄とは正反対の反応を呼び起こしたのであろう。
明を滅ぼし200年以上清として中国を支配した満州族が民族としての意識は今や希薄になっているのにたいして、朝鮮族の民族意識は高揚し ている。政治上の理由もあろうが、数えれば有史来500回を越えるという外敵の侵略を受けた民族が、民族性保持のために自動的にあるいは本能的に動き出す 機能として内に作り上げているのかも知れない。
首里を含む琉球古城、独特の墳墓、伝え聞く巫女の祈りと土地の神々、どれも異国情緒である。古城の城壁は中国風であるが、町を取り囲まな いところは日本と同じか。屋根瓦のシーサーは鬼瓦の変形か狛犬の沖縄版か。死者が母の胎内に戻る意味という独特のお墓。何度でも行きたいと思った沖縄旅行 であった。

('97/10/29)

2008年9月28日日曜日

「老コンサルの残日録」http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/より

小泉さん・政界引退


梟雄(キョウユウ)=残忍で強い人(三省堂国語辞典)=小泉さんが今期限りで議員バッジを外すそうです、後継者は次 男さんだとか。当選すれば4代目世襲議員、まさに≪家業としての議員業≫そのままです。選挙区を世襲するには絶妙なタイミング、やはり彼は(ズル)賢いで すね。次男さんが当選すると、曾祖父:逓信大臣(テイシンダイジン=前の郵政大臣)、祖父:防衛庁長官、父:総理大臣、なんとまあ!小泉さん、バッジは外 しても政治活動は続けるそうです。政局に波乱を呼ぶ男?


『自民党をぶっ壊す』と絶叫しました。が、国民、特に高齢者に不満と不安と政治不信をもたらし、米国的資本主義の悪い面を国中にバラマキ、未だにマトモな政治家が見直しを叫んでいる郵政民営化を強行し…壊れたのは日本という国で、自民党は政権の不安定と国民の信用失墜の中でも、相変わらず仲間大臣・派閥均衡大臣・論功行賞大臣…の内閣、弱者切捨て政治、官僚お任せ政治、国民不在政治…何も変わっていません。


小泉政治の見直し機運が高まったからか、自分の発言力に陰がさしてきたことを感じたのか、解りませんが、前から何度も書いてきたように、彼は、国民に対しての誠意がマッタク感じられない冷たい政治家、無責任な政治家でした。彼の為に多くの人達が人生を狂わされました。


≪小泉チルドレン≫と言われる人達83人、ヒョンナ事から国会議員になり、バッジの美味しさを知り、次も、と小泉さ んを信じていたんでしょうが肩透かしに遭いました。たとえ1期でも、思いがけない人生を送れれば上出来でしょうに、また次も、とおねだりする、小泉さんの 人間性を見抜けないで使い捨てされたピエロ達。あはれ。


小泉郵政選挙に反対して自民党から除名(離党ではありません除名です)された人達、野田さんのように、刺客を返り討 ちにして議席を守ったものの、<これからは自民党に従います>の念書を入れて自民党に戻り麻生内閣の大臣になった人。刺客を返り討ちにしながら無所属にと どまる平沼さん、刺客に刺されて議席を失った人…さまざまです。自分に逆らった人を除名し刺客を差し向ける、普通では考えられない≪残忍で強い人≫が小泉 さんでした。


今日は、尾道市因島の青影城、因島村上氏260年の本城、を散歩してから帰京しました。羽田からのタクシー運転手さんとのハナシ『民主党に一回やらせてみましょうヨ、ダメなら代えればいい』、『小泉さんの選挙区に刺客を立てたら面白いんですけどね』。


朝日新聞社説


身体を縛る―原則禁止を広げるには

 本人の同意なしに患者を縛るのは、病院といえどもやはり違法――。名古屋高裁が今月5日、判決を出した。

 愛知県一宮市の病院に入院していた女性患者が、必要もないのに体を拘束されたとして、病院を相手取って損害賠償を求めた控訴審判決は明快だった。高裁は病院に70万円の支払いを命じ、原告側が逆転で勝訴した。

 判決によると、事件が起きたのは03年11月の夜のことだ。圧迫骨折で入院した当時80歳の患者が、看護師にひもの付いたミトン(手袋)で左右の手をそ れぞれ覆われ、ひもでベッドのさくに固定された。腰が痛くて上を向いて寝られない患者はミトンをはずそうともがき、手と唇に軽いけがをした。

 患者は看護師を呼ぶナースコールを何度も押して、汚れていないおむつの交換を要求したり、車いすで看護師詰め所に来たりした。患者の意識が混濁し、転ぶおそれがあるので拘束が必要だったというのが病院側の言い分だ。一審判決は病院側の主張を認めて原告の請求を退けた。

 たしかに、病院は介護施設とちがって命にかかわるような患者も少なくない。人工呼吸器や点滴を患者がはずしてしまうようなことは防がなくてはならない。入居者を拘束することが旧厚生省令で原則として禁止されている介護施設と同列には扱えないだろう。

 しかし、拘束が必要かどうかは介護の世界で使われている三つの条件に照らして判断すべきだ、と高裁は指摘した。(1)患者に切迫した危険が迫っている(2)ほかに手だてがない(3)長くは続けず一時的。この三つである。

 この判断はバランスがとれており、病院も受け入れられるのではないか。

 訴えを起こした患者はこれらの条件に当てはまらなかった。自分でトイレに行ける患者には、おむつではなくトイレに付き添い、看護師が寄り添って不満や不安に耳を傾ければ患者も落ち着けたのではないか。

 介護施設では縛らない介護が少しずつ進んでいる。病院でも安易な拘束がまかり通っていないか、見直してほしい。病に苦しんでいる人がさらに苦しい目にあうことがないよう最大限の配慮をしてもらいたい。

 「老人に自由と誇りと安らぎを」と福岡県の10病院が抑制廃止福岡宣言をしたのは10年前だ。中心になった有吉病院では、おむつをやめて患者をト イレに誘導し、鼻からの栄養補給をやめて口から食べてもらう努力をした。生活の質が上がると、患者の「問題行動」が減り、縛る必要がなくなった。

 人手がかかるこの試みは、残念ながら広がらない。医療費の抑制が続くなかで病院の持ち出しが増えるからだ。必要な人手が確保できなければ患者は守れない。高裁判決が突きつけたのは、日本の貧しい医療の現実だ。

http://pub।ne.jp/shimura/?cat_id=84552&page=2志村建世氏のブログより




2008.8.27

高知白バイ事件の暗雲

先日の「司法の独立はどこへ」の記事に関連して、高知県に「白バイ事故冤罪事件」なるものがあることを知りました。ネット検索の「高知県 白バイ事 故」で関連記事はすぐに発見できると思いますが、全国的な話題にならないうちに、権力犯罪型の怪事件があったようです。最高裁の控訴棄却により、司法手続 きは終ってしまっているのですが、見過ごすことはできません。
 事件の概要は、中学生と教師を乗せたスクールバスに白バイが衝突して警官が殉職し、バスの運転者は道交法違反で免許取消し、禁固1年4個月の実刑判決を 受けた、というものです。ところが乗っていた生徒たちや教師、バスの後方で別な車を運転していた校長、事件の直前に白バイに追い越された車の運転者など、 民間人の目撃者の証言は一致して「交差点で止まっていたバスに白バイが高速で衝突した」ことを示唆しているのに、警察の調書は、たまたま反対車線を通過した別な白バイ警官の証言などを根拠に、バスは無理に飛び出して急ブレーキをかけたというシナリオで書かれ、不自然な「ブレーキ痕の証拠写真」なるものが、後から出されたというのです。
 さらに、事故責任の割合について、警察からバス運転者に「バス側100%にしたい」との打診があり、運転者は殉職警官の処遇に協力するつもりの善意で同 意したという、気になる経緯もあったということです。裁判は運転者が予想もしなかったシナリオで進められ、途中から協力することになった弁護側の証拠・証 人は、ほとんど採用されずに上記の判決が出されました。問題なのは、控訴した高裁が事実調べを不要として一切行わずに1日で控訴棄却の判決を出し、最高裁 もまた、それを踏襲したことです。多数の証言者は、証言台に立つ機会を与えられないまま終りました。
 私は裁判の中身に深くかかわる立場ではありませんが、警察の捜査は、なるべく多くの目撃者からの情報を聞き込んで、真実に迫るのが基本の筈です。警察官 の死亡事故であっても、公正に捜査しなければならないのは当然です。裁判所もまた、積み残された多数の証言があることを知りながら門前払いを繰り返すので は、法の番人としての役割の放棄です。法と治安に対する国民の信頼を失えば、官の権威を守るどころか、その正反対の結果を招くでしょう。



2008.8.20

産科医無罪判決に思う

福島地裁は、大野病院事件で逮捕・起訴された産科医に対して、無罪を言い渡しました。あれで有罪になるのなら産科をやめると宣言していた医師も少な くありませんでしたが、最悪の混乱は避けられたようです。昨夜は、この件で娘を亡くした父親が、テレビのインタビューを受けていました。「どうして娘が死 ななければならなかったのか、今でも納得できない。このようなことが二度と起こらないようにして欲しい」と語っていました。
 遺族の感情というのは、そのようなものだろうと思います。しかしすべての産婦が今後は理想的な環境で最高水準の医療を受けられるようになるというのは、 無理なことです。予定外の早産になることもあるでしょうし、日本のどこにいても、24時間いつでも、名医のいる施設に運ばれるとは限りません。次善三善の 策に頼らなければならない場合もあることでしょう。危ないことは引き受けないと断られたら、悲惨な事例は逆に増えてしまうことになります。
 人は不死身ではないし、医師は神様ではありません。人間にできることは、知恵を尽くして少しでも安全な医療になるように努力することだけです。今回の遺 族も、医師を告発したのではありませんでした。ただ「本当のことを知りたい」と言いつづけただけです。一年以上もたってから医師の逮捕・起訴に踏み込んだ 警察・検察の行動は、乱暴ではなかったかと私は思います。調査と対策は、裁判所よりも、医療の場で行われるべきでした。
 今日のニュースですから、まだ新聞記事にもなっていませんが、検察側は控訴しないで、この判決を確定してほしいと思います。それは医療事故の解明を不問 にするというのではなく、悔いを残すことの少ない医療のためには、被告としての弁明ではなくて、医師の積極的な協力や提案が絶対に必要だと思うからです
志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより

四百年前の琉球


先に大多喜藩の抱える藩士の屋敷数から琉球王国の官吏数を1000家族程度と推測した。この人数は諸島に配置される文官から武官までを含 むのであるから、四百年近く昔に侵攻してきた島津軍3000にはとても太刀打ちできなかったであろう。首里城警備隊つまり王宮警備隊の人数が総勢百数十人 で三班交代守備、あと兵制らしい組織が記録に見つからぬと云う。
島津の軍勢は朝鮮戦役、関ヶ原の実戦を経験した鉄砲を主兵器とする当時の世界では最強の軍隊であった。琉球の兵器に鉄砲があったかどうかは判らないが、一度も外敵と戦争をしたことの無かった琉球にそんな備えはほとんど無用だったであろう。
李朝朝鮮もそうだったが琉球王国も文官支配で、最高位に武官が顔を出すことがなかったという意味ではより徹底した文官支配であった。戦意に欠けていたという解説を見たが、文官の戦ではさもあろう。
開戦の口実は朝鮮戦役での非協力的態度であるが、実際の理由は貿易開港国の甘い汁を島津が見逃さなかったと云うことである。明は鎖国体制 を取ったために琉球は遠くはマレーシアに及ぶ中継貿易地として栄えるようになった。中国への朝貢船は日本その他で買い集めた物産を中国の物産と取り引きし て持ち帰り商う。当時は豊かな琉球であった。日本は鎖国のために海外との交易は表だってはできない。琉球を隠れ蓑に利潤を吸い上げる。これが本当の理由で ある。
明が滅んで清になると再び中国の海外進出は活発になり琉球の中継基地的商売の旨味も薄れ東南アジアへの交易船も出なくなる。しかし島津の 植民地化政策は貫かれ住民は島津と王朝の二重の過酷な搾取に苦しむ。近年の比較だろうが、農民の耕地は本土の6-7割、しかも土地が痩せていて収穫高は同 じ面積でも本土のやはり6-7割、ただ特産の黒砂糖とうこん(天然黄色染料)によりかろうじて食いつないだと言う。しかし琉球王国は清を宗主国とし実質は 島津の植民地という二重支配形態のまま明治に至り日本の琉球処分で消滅する。明治に入ってからも沖縄人差別は止まない。
豊かで繁栄している国が侵略に対する警戒と対策を怠るとどうなるか。琉球は宗主国明を頼るにも頼れない、つまりいやいやでも朝鮮戦役で秀 吉のお手伝いをさせられた事情を持ちながら、軍備は実質ゼロの中で簡単に島津の軍に王宮を占拠されている。島津侵攻から四百年弱を経てやっと琉球には自由 平等がやってきた。そんな平和主義もあろうが、私ならごめんである。あらゆる侵略予防手段の中で戦力保持は不可欠の必要悪である。侵略の魅力をうち消すに はその国の豊かさに見合う戦力が必要である。

('97/10/20)


泡盛にはまる


テレビのコマーシャルに「女三十にして梅酒にはまる」と云うのがあった。「はまる」の使い方が面白く覚えておった。今度の沖縄旅行で大げさに云うと私は泡盛にはまったのである。
バスガイドから泡盛は三年以上寝かせた古酒でないとと聞いたので、10年ものを買った。豊見城村で造られたものである。まろやかでうまい酒である。いける酒だ。銘柄は沢山あったが買ったのはその一本だけだったから他はどうか判らない。以下のお話はそのおつもりで。
泡盛は焼酎の原型だそうだ。蒸した米に黒麹菌をまき糖化とアルコール発酵を同時に行いあと単蒸留して出来上がりだそうだ。焼酎は黒麹菌に より麹を造ってそれを澱粉質原料に撒く。つまり泡盛の技術に清酒の技術を組み合わせている。その二次原料種類によって米焼酎、麦焼酎、芋焼酎、粟焼酎、黒 糖焼酎などができる。かす取り焼酎は密造酒として悪名高いが、これは清酒の酒粕を原料にする。泡盛はタイから導入されたという。琉球王朝時代の中継貿易が 華やかなりし頃の名残である。
昔千葉に勤めていたころ部下が結婚し土産にフェニックスというハイカラな名前の焼酎をくれた。初めての焼酎であったし好奇心も手伝って急 いで空けたら強烈な臭気に鼻をつままされた。これが元来の焼酎で乙類である。甲類は臭みを精溜分離してしまったホワイトリカーでこちらとのつき合いは結構 永い。
だから泡盛は臭いに警戒していた。しかしいざ蓋を取るとそれほどでもない。湯割りで飲む最近の乙類焼酎には昔ほどの臭みは無いように思 う。乙類にも精溜の技術が取り入れられるようになったのだろうか。泡盛の昔は全く知らないので昔と少しも違わない製法なのかどうか判らないが、ともかく口 にはいるまでの我慢が必要でない酒であったのでまろやかさが減点なしに賞味できたのは嬉しかった。
同じ中国系でも北京から広東あたりまでの中華料理はワールドワイドである。だがベトナム、タイあたりはまだ全世界的とは云えない。これは 味、香りなどであまりに個性的というかあくが強いというか、簡単にははまれない人が多いからである。同じ事で焼酎もワールドワイドどころか最近やっと全国 区に進出しだしたばかりである。
しかし泡盛はトウモロコシのウイスキーのバーボンが世界で飲まれるぐらいだから焼酎よりも早く世界に進出できるのではないかと思う。バー ボンもアメリカのさる高級ゴルフ場のバーで飲んだ本式はドえらく臭かったように覚えている。しかし日本に来るバーボンは別段臭いも悪くない。気持ちだけ元 の臭いが残っていると云った品である。泡盛もその点はもうチョイである。

('97/10/28)


ハブとマングース


沖縄のハブは人間の大敵である。バスガイドさんの話では今でも年に200人は噛まれると云う。昔は600人はおったという。農作業中が多いのは理解ができるが、家の中でやられる割合も多いらしい。これは蛇がネズミ他を追ってあるいは鶏をねらって民家に近づくためである。
今は血清のおかげで滅多に死人は出ない。だがテーマパーク琉球村で聞いた話では毒が回ったとき噛まれた周辺の痛みは熱々の鉄棒をそこに当 てつけた感じでそれはそれは七転八倒の苦しみだそうな。だから血清があっても噛まれるのは桑原桑原である。マングースはインド原産のハブの天敵である。何 とかハブの被害を減らそうと沖縄に輸入し野生化させた。
そのマングースの戦いぶりを見せる闘蛇場が琉球村の呼び物の一つである。ほかでは玉泉洞でも見かけた。いろいろとハブの漢方薬的効能の説 明が続いた後で透明容器の片やハブ片やマングースのいる中間敷居壁をさっと取り除くとマングースが瞬間的にハブの首根っこに噛みついて終わる。効能の説明 が長いはずである。戦いだけだったら0.1秒も掛かっていない。これではショーにならない。物知りがハブが負けることもあるでしょうと問い質す。20対1 の割でマングースが勝つのだそうな。
敷居壁が取り除かれる寸前までマングースは壁越しにハブを見ながら行ったり来たり。ハブは滅多に勝てぬから出てくるときは初経験である。 マングースはもう何回も勝って勝ち方を覚えた経験者である。なんだかハブはかわいそうである。マングースはこんなだからきっと沖縄の野原のハブを食いに 食ってハブを絶滅させそうかというとそうではない。マングースも危険なハブより鶏の方がよいのでこちらの被害も相当なもんだそうである。なかなか自然は人 間の目算どうりには行かない良い例らしい。
頭で理解していてもいざとなると出てこないもので、座喜味城址の内外壁の中間の中庭がどうなっているかと興味を持ち、奥の人の通らぬあた りを目指して歩いている内にはっとしたらブッシュがかなり茂った位置まで来ておった。野ネズミの巣などどこでもあるから観光地だからといってハブが避けて くれるはずはない。知らぬ土地ではガイドさんに真面目について行くに限ると思った。

('97/10/28)

2008年9月27日土曜日

http://pub.ne.jp/shimura/?cat_id=84552&page=2志村建世氏のブログより

地球の適正人口は二十億人

 世界の人口が一時的に百億人に達しても、それで直ちに人類が滅亡するほどの破綻が地球環境に生じることはないでしょう。しかし、いつまでもその状態を継続できるかというと、多くの疑問があります。水もエネルギーも食糧も、百億の人を人間らしく生活させるには、無理にかき集めて精一杯という状況にならざるをえないでしょう。しかも需要と供給が地球上に均等ではなく、極端に偏って存在しているのですから厄介です。輸送と配分だけでも大変なのに、経済的な決済の問題が加わります。
 そもそも地球上に人類という大型哺乳類が、億の単位で繁殖してしまったことが異常な出来事なのです。ほぼ一万年前、一通り世界に拡散したものの農業を知らなかった人類の総人口は、約五百万人と推定されています。この程度が、素手で天敵と戦う自然状態で生存できる個体数だったのでしょう。その後、農業の発明によって食糧の安定供給が可能になり、人口は百倍の約五億人へと飛躍しました。その安定した人口のまま歴史時代に入り、十七世紀の半ば頃まで経過しました。そして科学の発達から産業革命を迎え、人類は徐々に人口を増加させながら繁栄への道を歩き始めたのです。
 一九〇〇年、日本の明治年代の終り頃に、世界の総人口は二十億人に達しました。そこから化石燃料の大量消費が始まります。それに合わせて人口の増加にも加速度がついて、一九六〇年に三十億人になったものが二〇〇〇年には六十億人と、四十年で倍増して今に至っています。国連の推計によれば、二〇五〇年に九十億人となり、その後は百億人程度で平衡状態になるとしています。
 私は高尾山の頂上から関東平野を見渡したとき、足元まで切れ目なく迫る市街地の広大さを見て、自然にとって人間とは、いかに異様な存在であるかを実感しました。この星に百億人でも住んで住めないことはない、しかし、目いっぱい人間のためだけに使い尽くしていいものだろうか、それが人間にとって豊かな生活と言えるのだろうか、と思ったのです。数が増えることが人類の繁栄だった時代は終ったのではないでしょうか。限りなく未来を開きたいのが人間の本能ならば、人間が支配しない広大な原野を、地上のどこかに残して置くべきではないでしょうか。
 目いっぱい数を増やすだけが人間の幸せではない、と気づきさえすれば、あとの問題はそれほど難しいことではありません。好ましい世界の人口は、化石燃料の大量消費が始まる直前の二十億人あたりが目標値になるでしょう。それは世界の人が「今のアメリカ人なみ」の生活をする水準と一致します。未来像がしっかり描けたら、人口をそのように減らすことも、おそらく数世紀もかけずに可能でしょう。

あまり欲深くない方が生きやすい
 人間は、さまざまな欲求を満たすときに喜びを感じます。空腹のときに美味しいものを食べる喜び、愛する人と性を分かち合う喜び、親しい人たちと共にいる ことの喜び、そして社会の中で地位を保ち尊重されることの喜び、などです。食欲のような動物としての基本的な欲求を下位に置き、個性ある人として社会の尊 敬を集めるというような、人間特有の欲求を上位に置く考え方もあります。
 動物的な欲求は、それを満たすのは比較的簡単で、たとえば食欲は適当な食物で満たせば後は忘れていられます。ところが人間特有の高度な欲求になればなる ほど、個人差が大きくなり、満足度も周囲の状況によって変ってきます。たとえば自家用の乗用車を持つことは、低開発国では夢のようなぜいたくなのに、アメ リカの貧しい黒人にとっては何の慰めにもならない、といった具合です。そしてまた始末が悪いのは、人間の欲求は一つを手に入れればまたその次と、止めどな く高度化する傾向を持っていることです。
 人間が絶えず自己を拡大したい欲求を持つことそれ自体は、決して悪いことではありません。欲があるからこそ人は目標を立て、それに向けて努力もします。 人類の文化はそのおかげでここまで進化し、私たちの生活水準は向上してきました。しかし人間としての生活水準の向上とは、人工物に囲まれて自然から遠ざか ることではないと私は思います。精神世界の高度化は別として、生活の場としては、自然の中にあってその一隅に安住の空間を築くのが人間の本来の姿であり、 そこには自ずから一定の節度が生まれてくるように感じるのです。万人に保障される「健康で文化的な生活」の中に、家族全員が自分の自動車を乗り回すこと や、自宅の庭に二十五メートルプールを備えることまでが含まれるようでは、地球環境への負荷はずいぶん大きなものになることでしょう。
 私が少年期を過ごした時代と比べても、現代人の生活はずいぶん高度化しぜいたくになっていると思います。少年期にはなかった水洗便所、冷暖房機器、テレ ビ、携帯電話、パソコン、自家用車などが、今では必需品になってしまいました。私はこれらのものがなかった時代を知っていますから、なくなってもそれほど 困らないと思いますが、子供たち孫たちは、なくなったら絶対に困ると言うでしょう。さらに今から百年後に、新しくどんなものが必需品に加わっているのか、 今の私には残念ながら想像ができません。
 しかしながら、人間が生活のために所有し消費する資源やエネルギーが、必然的に拡大しつづけるとは、私は思いません。人間の絶え間ない向上心は、一通り 快適な生活環境を手に入れた後では、もっと高度な欲求、たとえば倫理的な向上、知識の蓄積、芸術的な追求、人間的連帯の拡大などに向けて進んで行く可能性 があるからです。

人間が生きる四大要素

 地球上のすべての生命の基盤となっている植物が生きられる三要素は、水と空気と太陽光線です。私たちが太陽の光を浴びることに郷愁のようなあこが れを感じるのは、人間の遺伝情報であるDNAの中に、植物と共通の感覚が残っているからかもしれません。人間の場合には、これに「人とのふれあい」という 四番目の要素が加わって、はじめて人間が生きる四大要素になります。というのは、人間は仲間との交流なしには、人間独特の文化を維持できないからです。孤 立して育ち言語も文字も知らない人間は、類人猿と近縁の動物ではあっても、人間と呼ぶことはできないのです。
 この観点から人間にとって好ましい地球環境というものを考えると、その条件は、まず水と空気と太陽光線が豊かで安全である、すなわち植物が豊かに茂る環 境であること、そして人間同士の交流が豊かに保障される環境ということになります。私が前項でテラスハウス型の共同住宅を好ましく評価したのは、この四要 素がバランスよく満たされていると感じたからでした。
 この四要素のうちで植物と共通の三要素の方は、客観的に計ることも可能で、わかりやすい面があります。ところが人間に特有な四番目の要素の方は、より相 対的で変動幅が大きく、とらえにくい面があります。たとえば仲間との交流が豊かということは、多数の人間が過密な環境に押し込められていることではなく て、往々にしてその反対です。人間には自分の身を守る本能があって、親密でない他人が六十センチ以内に接近すると圧迫を感じると言われます。逆に親密な愛 情関係が成り立っている場合には、相手が六十センチ以内にいてくれないと不安になったりもします。
 この問題を考えるには、人間の本質は何かという、根源的な洞察が必要のように感じます。モデル的に考えれば、親密な恋愛感情で結ばれた夫婦があって、そ の一組がコアとなって一つの家族を形成します。その家族が最小単位となって、近隣の生活圏で地域社会を作り、その地域社会が広域の地方や民族単位にまと まったものが国家になる、ということになります。ですから最初の基本単位はやはり家族なので、家族が安心して生活できる居住空間を容易に手に入れられるの が、人間にとって住みやすい環境なのです。
 しかし家族は孤立したままでは幸せな家族になることができません。社会との交流を持ち、社会から援助されたり、社会に貢献したりすることで、社会の中で の位置づけを見出し、生活を維持して行きます。そのために必要なものは、安全な交通手段、便利な情報・通信手段、適切な水準の教育サービス、充分な医療・ 介護システムなどです。人間に必要な四番目の環境をどのように整えるかが、人類のこれからの課題です。

志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより

自転車失敬


買ったばかりの自転車が盗まれた。鍵がこじ開けられ住まいの駐輪場から持ち去られた。ところが防犯登録のおかげで一月ほどしてから出てきたのである。連絡をしてくれたのは派出所巡回のお巡りさんであった。私の家から10kmほど離れた新興住宅街からである。
自転車には新しい鍵が付けられハンドルは盗られる前とは角度が違っていた。明らかに盗人は自分の車として使うつもりであった。よくもまあ 見つけだしてくれたものである。盗人は高校生でチラと見たら始末書に父親の念書らしいものが見えた。だいたいは想像できる手順で父親の保護観察程度の処分 であったらしい。
盗人について私の知っている内容はその程度である。本人はもちろん保護者からの挨拶も一度も来ない。直接行けば恐ろしい目に遭うかも知れ ぬと懼れているなら巡査を通せばよい。なぜ謝りの伝言一つ巡査に言伝できないのだろう。私は無記名のハガキ一つでも貰ったらそれで水に流せるのにと腹を立 てている。
始末書を書いたら社会的制裁は終わったからあとは晴れて無罪放免で、社会からは平等に扱われるべき身と考えるのが現世風なのであろうか。 犯罪歴がありながら大臣になって償いは執行猶予期間が過ぎたから終わったという議員がいたが、そんなに甘くなかったことはついこの間第二次橋本内閣閣僚辞 任劇で立証済みである。社会の、犯罪に対する怒りは決して甘いものではなく、加害者の被害者に対する道義的責任の取り方が社会から許されるか否かの目安に なると私は思っている。
司法の処置に加害者に対する責任の取り方を何らかの形で配慮すべきである。私的制裁では公正が保てず過激になり易いであろうから公の手で 裁くのだろうが、基本は被害者の受けた痛みを癒す償いであるべきで、被害者には品が返ったから文句無かろう、法に触れた点は警察官に謝って終わりでは本来 の司法の目的にそぐわないように思うがいかがなものか。

('97/10/24)




大多喜藩廃藩の頃


大多喜城址に天守閣の姿に造られている県立総南博物館を見る。藩校・私塾・寺子屋-近世房総教育史-なる特別展を開いていた。
千葉の大名はいずれも小藩で大多喜城開祖の本多忠勝も十万石である。最後の松平氏は二万石だった。学は藩により奨励された。ことに維新前に競って開設したから藩校数は一県としては大変に多い。朱子学の系列が多い。しかし佐倉藩のように蘭学、医学を特徴とする学校もあった。
私塾寺子屋も700を超える数であったという。学制改革後の小学校の初期の就学率が3-4割程度と書いてあった。百何十年前の開発途上国 としてはこれは異常に高い数字と云わねばならぬ。小学校の整備に土地の有力者たちが尽力したという記録があった。同様の記録を京都の市井の小学校の創立趣 旨にも、宇和町や松本の開明学校の解説文にも読んだ覚えがある。我々の先輩は教育についての理解度は抜群であった。
大多喜藩の事業の中で特筆すべきは千葉県最初の水道を開削したことである。城下を流れる夷隈川の清流はあいにくと深く平地をV字状に浸食 した渓谷である。お城に残る井戸は大きく深い。住民の方も同じだろう。水質も良くないそうだ。住民は川の水を汲み上げるためにたいへんな重労働を強いられ た。明治に入り廃藩寸前の時期に藩主は水道工事を命じ奥谷より水を引いた。半年でやり上げた工事だそうで、その水トンネルの跡をお城の駐車場の近くに見る ことができる。博物館のビデオは子供用でまどろっこいが親切に工事の跡をたどって説明してあった。山奥の工事跡は今は雑草に隠れて、辿るのも大変のようで ある。昔私が別子銅山の廃道跡を辿ろうとしたときの情景を思い出した。
大多喜藩二万石の侍の家は220戸だった。話は飛ぶが、私はいま琉球の植民地化の理由を勉強している。琉球は6-9万石であるから多くて も1000戸である。日本は侍は文武両道であった。しかし沖縄では文官武官が分離し、文官が実権を握っていた。それが琉球王国版図一帯の諸島に分散してい たから兵力上もまず島津とは対抗できなかったであろう。400年近い昔の話である。何を考えるにも実感が伴わない。その意味で、地理的に遠く離れしかも島 津侵攻後250年は経た大多喜藩でもなにがしかの考える材料を提供してくれる。

('97/10/19)

差別用語について


小生のさるパソコン通信会議室に宛てた被差別民に関する小話がそこの運営者により公開差し止めになったことを知った。
この短文の意図するところは「部落解放運動百年の成果を寿ぐ」もので、結論として文の末尾に明確に記載していた。話のきっかけは現役時代に同僚に相談されたこと、また自分から被差別民と名乗った人に出会ったことである。そして名乗られたとおりの用語で書き込んだ。
差別用語が題名他本文中にも出てくることと地域特定の可能性があることが公開差し止めの理由になっていた。これは一つの見識なのでそれに 異議を申し立てるつもりはない。しかし「純粋培養反対、適度の緊張感の持続」こそ開かれた日本の生気の原動力と信ずるものにとって少々硬直した姿勢と承っ た。
まず本質的に言語は無数の差別用語から成り立っている。比較級とか最大級というもの自体が差別用語である。厳密に差別用語を排除して使う なら言葉は心も感情も伝えないただの事務処理道具になってしまう。言語の豊かさは民族の心の豊かさ、活気につながる。中国人あるいは韓国人の喧嘩を聞いて いると極上級の差別用語のぶつかりでとても我々の及ばぬレベルだそうだ。私には濁りのない言葉だけで社会をつくろうなどと云う気はさらさらない。ばい菌が うようよした社会にしたい。それに「運動の成果を寿ぐ」立場からは「歴史認識維持」のためにも関係の用語を生きた形で保存すべきである。
「禁語になっている」が、これは良識で使う場所を考えてくれと云う類のものである。教室では使ったはずもないし、まして平素に指さして相 手をこの言葉で特定することも起こらぬ。講演で口にする馬鹿も居らぬ。公器ではプレスコードが目を光らす。「禁」ではあるが、私語あるいはそれに近い形の 雑談にまで昔の憲兵まがいの統制を志すものではない。電子会議室はまだ公器としての地位から遠い。気軽に立ち寄れる雑談室のはずである。卑猥な話や極端な 個人攻撃でなければ「禁」に当たらぬのではないか。「禁」に当たると非難が出ても責任は著者にあり、もし念を入れるなら運営側の意見を付け加えればよい。
差別部落特定の可能性はゼロである。大まかな地域別のデータは百科事典にだってあるし、もう一度見直したが、過去の投稿文全部を並べても特定は不可能と思った。実は私自身その人の住所は知らないでいる。
今回の差し止めはそれで結構である。私としては運営者はyesかnoかではなく、審査誌のように付帯意見付きで一旦著者に折り返すような方法が妥当だと思う。

('97/10/09)

http://blog.canpan.info/fukiura/daily/200809/24より

原子力空母、横須賀に就航 [2008年09月24日(水)]







 米原子力空母ジョージ・ワシントン



 以下は、2日前のものに一部加筆したものです。



 GWの話である。といっても5月の連休の話ではない。

米原子力空母「ジョージ・ワシントン」(GW)が
明日9月24日、横須賀に配備される。

この空母、1992年7月2日に就役した、世界に雄飛する米国軍事戦略のかなめは空母である。

なかでも原子力空母は燃料補給が18年間不要という利便さがある。これまで、原子力の関係箇所で事故はない。

全長333mは東京タワーの高さと同じ。

総排水量は104,200t(満載排水量は97.000t)、時速50km、第5空母航空団(約70機で編成)をはじめ約5千6百人が乗り組んでいる。

1973年以来、横須賀は、米海軍が空母を配備している唯一の海外基地として、日本と世界の安全保障に大きく貢献してきた。日本周辺がいかに不安定で危険な要素を持っているかを示すようなものだ。

しかし、原子力空母が配備されるのはこれが初めてである。私もまた、この現実を深く考えてみなくてはならないと思う。

GWの横須賀配備には激しく反対する人たちもいる。

安全とはいえ、タバコの火の不始末で、横須賀への就航が1ヶ月遅れたことを、
米側は深く肝に銘じるべきだ。

しかし、反対派の言い分は、
米国と連携することに反対、横須賀に配備されることに反対、
空母の配備に反対、
まして原子力空母だから反対・・・といったことが主なもののようだ。

その人たちに申し上げたいのは、とりあえず、次の5点だ。

① 米海軍が世界にバランスよく配備されていなければ、
おそらく他の覇権国家が同様のことをするであろう。
想定されるそれらの国に比べれば、
米国がヘゲモニーを取っていることが、
まだましではないのか。

② わが国の周辺国家の軍事や政治の現況から言えば、
自衛隊を大幅に増強しない限り、
日本の安全は確保し得ないのではないか。
米海軍には申し分けないが、
日本自身の非力な防衛力からして、
米海軍の助力を得ない限り、
周辺国の暴走に対する抑止力にもならず、
わが国の安全が保障し得ない。

③ 日常的に米海軍が日本に配備されていなくては、
混乱に即応できない。
その場合には、横須賀は最適の条件を具備している。

④ 原子力空母の効率性、戦闘継続能力などを考えると、
わが国の安全保障にとって
この原子力空母の配備はまことに有効である。

⑤ 乗組員の費用を含め、空母配備の経済効果は非常に大きい。

まだまだ理由を挙げることができるが、これ5つで十分であろう。

米軍側にも注文がある。

日本に核アレルギーがあるのは、
米国が広島、長崎で「殺人実験」を行なったことに由来する。
この厳然たる事実を、謙虚に想起すべきである。

あの原爆投下はまさに、不要不急のものであった。

人種差別に依拠するとさえ思われる。

つまり、ミュンヘンやフライブルクといったドイツの都市に、
米国は核攻撃ができたかと詰め寄りたい。

原爆は100%の無差別攻撃。
そのことはいくら終戦を早めたと言い張っても、
法的、道義的に許されることではない。

しかし、記述したように、今回の横須賀へのGW配備は、
私は当然の帰結であると考える。それだけに、
米軍関係者には、安全と環境への最大の配慮とともに、
広報・啓発、情報公開、友好・親善に尽力してもらいたい。

そこから生まれる日米の信頼が
世界の安全保障と発展に大きく貢献すると確信するからである。

2008年9月26日金曜日

朝日新聞HPより
社説

高齢者医療―麻生さん、もてあそぶな

 選挙を控えて、国民に不人気の政策を改めることはあるだろう。しかし、今回の後期高齢者医療制度の見直し話は、あまりに唐突で、あいまいな点が多すぎる。

 舛添厚生労働相は先週末、「今の制度は国民に支持されていない」として、75歳での線引きや保険料の強制的な天引きをやめると言い出した。事実上の「廃止」宣言だ。

 麻生首相も自民党総裁選のさなかに「年齢で一律にやるのはいかがかと思う。抜本的に見直す必要がある」と厚労相発言を追認した。

 ところが、この制度の必要性や利点を強調してきた与党内からは「有権者に説明がつかない」と異論が噴き出した。厚労省も「制度の根幹は維持」という立場を崩さなかった。

 けっきょく、自民党と公明党の連立政権合意には、「高齢者の心情に配慮し、より良い制度に改善する」と書かれただけだ。

 麻生内閣の発足後、見直しの議論をする厚労相直属の検討会ができた。だが、制度を根本的に変えるのか、運用面で手直しするのかは、1年かけて議論してみないと分からないという。

 これでは、後期高齢者医療制度をどうするのかについて政府・与党の基本姿勢がさっぱり分からない。

 もっとも、それが政府・与党の狙い目なのかもしれない。総選挙で野党から制度を批判されても、見直すと言えば、大きな争点になることを避けられる。そう かといって、制度を根本的に変えるとまでは約束していないので、選挙の後まで手を縛られることはない。そんな計算ではないか。

 野党が廃止法案を出したとき、政府・与党は「廃止後の新しい制度の姿も示さないで、無責任だ」と批判した。その批判は今回、政府・与党にそっくり返ってくるだろう。

 少子高齢社会で、若い世代に負担が集中し過ぎないように、税金を半分投入し、お年寄りにも保険料を負担してもらうというのが今の制度だ。一方で、高齢者には、必要な医療を受けられなくなるという不安がある。

 この制度をやめるというのなら、これから膨らむ医療費をだれが負担するのかをはっきりさせる必要がある。

 民主党は年齢や職業にかかわらずだれもが一つの制度に入る一元化を提案している。だが、自営業者らの所得をきちんとつかめない限り、公平な負担にはならない。税金をどのくらい投入するかもはっきりしない。

 支え手が減るなかで社会保障制度をどのように維持し、負担をどう分かち合うのか。それを国民にわかりやすく示し、必要な負担の議論を逃げないことこそ、与野党に求められている。

 日本の将来にかかわる社会保障制度をもてあそんではいけない。

米原子力空母―平和の要塞となれるか

 米空母ジョージ・ワシントンがその巨体を東京湾に現した。70機余りの艦載機を持つ洋上の要塞(ようさい)だ。

 横須賀を事実上の母港とする空母は1973年に配備されたミッドウェー以来4代目だが、これは初めての原子力推進艦である。

 日本の被爆体験への配慮もあって、これまではすべて通常推進型だったが、前任のキティホークの退役で米海軍の空母がすべて原子力化されるのに伴い、今回の配備となった。

 この配備は、新旧空母の単なる入れ替わりを超えた意味を持つ。

 世界に展開する米海軍だが、外国にある空母の母港は横須賀だけだ。太平洋からアラビア海までをにらむ好条件や、日本政府による手厚い支援があってのことで、横須賀は日米同盟の象徴的な存在でもある。

 横須賀を拠点とする米艦は湾岸戦争やイラク戦争でミサイル攻撃の主役を担うなど、活動の領域は日本周辺をはるかに超える。「テロとの戦い」で米軍再編が進むさなか、一段と展開能力を高めた空母がやってきたわけだ。

 シーファー駐日米大使が歓迎式典で「米国は日米同盟より重要な同盟を持っていない」と述べたのも、そうした文脈でに違いない。

 さらに、原子力空母の配備には、外洋海軍力の建設を図る中国への牽制(けんせい)という意味もある。

 米軍に基地を提供し、米軍の抑止力で日本を守る。それが日米安保の考え方だ。新空母の配備で紛争抑止力が高まることは、日本の安全に寄与する。

 だがそれと裏腹で、軍事力の展開が逆に緊張を高めることもある。中台関係が緊張した96年、2隻の米空母が台湾近海で示威行動をしたことは記憶になお鮮やかだ。米中関係も朝鮮半島問題も、外交と抑止力がうまくかみ合ってこそ平和につながる。

 また、横須賀をはじめ日本を拠点とする米軍の活動について、日本政府はもっと情報提供を受けるべきであり、納税者もそれを踏まえて同盟の運用を議論することが必要だ。

 そして、何より大事なことがある。原子力艦の安全対策だ。

 この空母に搭載された原子炉の熱出力は商業炉1基に相当する。米軍は過去に原子力艦の大事故はなかったと説明するが、日本に寄港した原潜が微量の 放射能漏れを起こしていたことが発覚したばかりだ。事故があっても、機密を理由に情報が開示されない恐れもある。横須賀や佐世保の人々が強い不安を覚える のは当然である。

 そうした事態が現実になれば、基地の安定的な提供などおぼつかない。検査態勢や情報提供の仕組みづくり、いざというときに備えた訓練の実施など、米海軍の最大限の協力を取り付けるのは日本政府の義務である。



学風か防犯か悩める京大 事件急増でも警察に拒否感

2008年9月26日6時6分


写真門がなく、学生や一般人が自由に出入りできる京都大のキャンパス=25日午前、京都市左京区、上田潤撮影

 「自由の学風」を守れ るか――。学生の自治を重んじ、夜間も校門を開放し、警察官の構内巡回を拒んできた京都大(京都市左京区)が、キャンパス内での犯罪増加に悩んでいる。警 備員や防犯カメラを増やすなど対策を強化しているが、教員や学生らからは「監視を強めすぎると、自由闊達(かったつ)な京大の気風が失われてしまう」との 声も上がる。

 5月25日未明、同区の吉田キャンパスで、自転車に乗って帰宅しようとした留学生の男性が金属バットを持った男3人に取り囲まれ、「カネを出せ」 と脅された。男性が「ない」と断ると、バットで頭や下半身を殴られて負傷。6月16日昼には、同キャンパスの理学研究科の研究室から、学生約800人分の 個人情報が入った教授のノートパソコンが盗まれた。いずれの事件もまだ未解決だ。

 京大構内での傷害や盗難などの事件は、06年度の14件から07年度は38件に急増。今年度も8月までで21件に上る。下鴨署は6月末、大学に防犯カメラの設置増など警戒を強めるよう要望した。

 京大は創立以来、「自由の学風」を校是に掲げる。権力からの独立や自治を重んじる言葉だが、こうした学生の自主性を尊重する運営が防犯面でマイナスとなっているとの指摘もある。

 東大・本郷キャンパスでは、計10カ所の門のうち車両の出入り口となる「龍岡門」を除き夜間は閉鎖。他の大半の大学でも門を夜間閉鎖しているが、京大は吉田キャンパスの校門27カ所のうち20カ所で夜間も通行が自由。暴走族らが立ち入ることもしばしばあるという。

 事件が起きない限り、警察官の立ち入りも認めないのも京大の特徴だ。安保闘争が盛んだった69年、大学と学生側との対立が激化。大学側の要請で 入った機動隊員約2千人が構内に立てこもる学生らを強制排除した。こうした対応には教員からも批判が相次ぎ、それ以来、警察官が入構する際は学生代表が立 ち会うのが原則となった



警察側は「夜でも不審者が立ち入りやすく、巡回もできないので取り締まりにくい」と指摘するが、大学側は「学生の了解がなければ警察は入れられない」との姿勢だ。

 ただ、被害の増加に大学も手をこまぬいているわけにはいかず、6月から深夜巡回のガードマンを2倍の6人に増員。盗難事件があった理学研究科は6校舎に防犯カメラ約20台を設置する方針だ。

 学生らからは「警備員を増やすのはいい」(総合人間学部3年の男子)と防犯強化に理解を示す声も上がるが、監視強化や警察介入には反対する空気が強い。 文学部4年の男子学生(23)は「防犯の必要性を否定はしないが、カメラは嫌。警察官に見張られるのも気持ちが悪い」と話す。(小林正典、小坪遊)

     ◇

 〈京都大出身で母校の教授も務めた竹内洋・関西大教授(教育社会学)の話〉 昔の大学の門にはオーラのようなものがあって、部外者が立ち入ること はほとんどなかった。しかし、今はセールスマンも遠慮なく教授室に押しかける時代。警察を入れずに大学の安全と自治を両立させたいなら、学生ボランティア で防犯組織をつくるぐらいの覚悟が必要だ。

「老コンサルの残日録」http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/より


麻生さん・王さん、ついでに≪分≫について


麻生内閣の顔触れが出揃いました。イメージ的には、さすが吉田茂さんのお孫さん、≪吉田茂=ワンマン宰相≫で通って ましたが、麻生さんはご自分のキャラを全面的に押し出して衆院選を闘う戦略なんでしょう。スターは自分1人でいい。野田さん、特に小渕さん、非重要閣僚が 隅の方に花を添えています。オカシな発言を繰り返すオカシな人が総務相になりましたが、全体的に地味で、これが臨戦内閣かと思うばかり。暫定内閣・選挙管理内閣・消化試合内閣…もしかして、選挙後の党内再編を狙ってるのかも。大臣18人中11人が世襲議員、国会の・内閣のサロン化がいっそう進んでいます。


王さんが、今期限りで50年の野球人生に幕を閉じます。ソフトバンクの地元・福岡での最終試合では負けましたが、試 合が終わってもスタンドの人達は誰1人として立ち帰りません。王さんの挨拶を涙を流しながら聞いていた多くのファンがいるのを見て感動しました。あのイチ ローでさえ、王さんの実績・人柄には参ってるようです。野球道に対する求道者として、技術的・人格的…思うところがあるんでしょう。朝青龍が引退する時 に、昨夜の福岡ドームのような光景が見られるでしょうか。自分の損得にマッタク関係ない人達に感動を与えられる人って素晴らしいですよね。


昨日の第413回の最後のほうに『分相応』と書きました、もしかしたら若い方には聞き慣れない言葉かもしれません。 『分相応』=ブンソウオウ、『分不相応』=ブンフソウオウ、という使われ方をするようです。『分相応』=自分・身分に相応(フサワ)しい、『分不相応』= 自分・身分に相応(フサワ)しくない、相応しい・相応しくない、は分かりますよね。自分や自分の会社の実力…に相応しい考え方や行動が必要だ、と言うこと です。仮に失敗しても、個人なら自己責任で済みますが、会社は公器(社会のもの)で社員はじめ多くの人に迷惑を掛けるから、特にこの考え方が大事だと思う んです。


昨日の拙BLOGへのアクセスが550件を越えました、我ながら圧倒され呆然とし沈鬱です。最近はモバイルからのア クセスがPCのソレを上回る傾向にあります。モバイルの普及は目覚しいんだ、と思いながらも、携帯の小さな画面では長文は読み難いだろうなあ、なんて思っ たりしています。常時、読んで頂く方も、解っている範囲では、22歳の女性から73歳・人生の超ベテランまで…悩みです。今日は、これから西へ向かいま す。


鵜飼俊男の投稿文

「昨日の拙BLOGへのアクセスが550件を越えました、我ながら圧倒され呆然とし沈鬱です。」
おめでとうございます。
沈鬱というのは「題材に困る。期待に答える自信も境遇もない。」ということでしょうね。」もう亡くなられた茶華道の先生が私のお見合いを取り計らってくれて「大勢の人から、頼まれましてね。ウットオシイ」と本音をぽろり。同じお気持ちと拝察いたします。
参考に私のネットサーフィンの記録を、気が向いたらご覧ください。
http://okiniiriuebupe-ji.blogspot.com/


志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより


ふしぎの植物学

田中修:「ふしぎの植物学-身近な緑の知恵と仕事-」、中公新書、'03を読む。いのちの話は面白い。近頃読んだ理系の図書は殆どがその 関係である。物理や化学も日進月歩だが、最近の耳目をそばだてる新発見は生物に集中している。もう一つ思い当たる理由は、平均余命が五指で数えれる年齢に なり、年の功で集まった断片的知識を「学」で整理しておこうと思うようになったことだ。食うための「学」は白紙状態でもしゃにむにやったが、趣味の「学」 には味わう楽しみがなければならぬ。植物は数少ないその中の一つである。著者の甲南大教授には記憶がないが、経歴紹介には多くの著作が並んでいる。
秋の味覚・松茸は人工栽培できないか。マーケットには国産が消えて久しい。今では北朝鮮産や中国産、北米大陸産などが幅をきかす。けっこ う高価である。何10年か昔に、松茸の菌糸をタンク培養できた話を聞いたときから、エノキタケやブナシメジのような人工栽培が、いつかは可能になるのでは ないかと思っていた。本書に「キノコは青色光が好き」というコラムがあって、菌糸からキノコができるためには、青色光という刺激がいると記載されていた。 光が必需であるとは知らなかった。暗黒の中で菌糸を増殖させても、柄や傘を作るには光が必要だ。そんなことは栽培農家はとっくに承知なのだろうが、それで も松茸は天然産に限られている。その次の必要条件の解明が待たれる。本文にはモヤシを例に発芽の神秘を解説している。マメのように光が無くても発芽する種 は割と少ないそうだ。発芽したモヤシに光を当てると、茎は生長を停め子葉が緑の葉になる。地上に出たとモヤシが思うからだ。それでは商品にならないから、 伸び切らすためにはずっと暗黒で栽培せねばならぬ。もやしは好物なのに栽培法は殆ど知らなかった。
導管を通って根から葉に水が運ばれる。その機構を物理化学的に明確に説明した著作にお目にかかったことがない。本書の説明ももひとつ不明 朗である。細胞膜は半透膜で両側に濃度差のあるときは浸透圧がかかる。細胞内に水溶性物質があるために、根の表面にはこの圧がかかっている。葉の気孔から は水蒸気が蒸散する。蒸散が細胞内から水を引き出す力はどう理解したよいのだろうか。半透膜には水分子程度を通す微細毛管が繋がっているとして、その毛細 管現象つまり水の表面張力と毛管半径に理由を求めるべきであるのか。世界には100mを超す大木もあるという。導管は節を抜いた竹筒のようなもので、細胞 としては死んでいるという。途中には気泡が入り込んでいることもあろう。そんなときはどう考えるのか。
アメリカ占領軍が軍の食料に水耕栽培野菜を使っていた。当時の「日本の人糞肥料の野菜」を嫌ったためと聞いている。水耕栽培はだから半世 紀以上馴染みのある単語である。本書の水気耕栽培は水耕栽培とは空気を吹き込む点が違っているらしい。当たり前のトマトの苗を水気耕栽培すると12000 個もの実を付けるとある。なんだか未来の食料危機説、マルサスの人口論など吹っ飛ぶような話だ。著者はそんな議論のためではなく、植物が自然に生育するた めに背負っている各様のストレスの説明にこの例を取り上げた。根は同化に必要な量の何百倍もの水を葉に送る。葉が太陽熱で高温になるのを防ぐために、気化 熱を必要とするからだ。酵素の働きは高温では止まってしまう。珊瑚礁の白化現象をNHK SPが取り上げていた。海水温度が30℃をちょっと上回っただけでこのざまだ。スズメバチはニホンミツバチの蜂球攻撃であえなく討ち死にするが、蜂球の正 体は40数度の熱球だ。ニホンミツバチは筋肉を運動させて発熱するのである。40数度はニホンミツバチには致死温度ではないが、スズメバチには致死温度 だ。諏訪大社下社御柱祭の時に熱湯で有名な温泉に行った。45℃だ。41℃でも熱いのに、死ぬかと思うほどの熱湯だった。
少々種類は違っても生物の酵素は高温に弱い。その酵素が生命の源なのだ。光合成のための葉が日光で高温になるのを、なんとしても防がねば ならないのだ。気孔は蒸散口でもあり炭酸ガスの取り入れ口でもある。日中湿度が高いと気孔が開いて光合成が進行する。イネは水田で育つ。でもいつも水が張 られた水田では根が張らず、210日目の野分けが吹かずとも、実った穂の重みに耐えかねて倒れてしまう。だからその前に田の水を抜き「中干し」する。イネ は元来熱帯の植物だ。強烈な太陽が前提だ。冷却装置も強力だ。温帯の照葉樹と違い、葉の裏表に気孔を持つ。麦の7-8倍からあるという。その代わり生産性 も高い。ついでだが、いつも水につかるイネの根にはレンコンのような気道が付いている。根の活動に酸素がいるからだ。同じイネ科でもトウモロコシは、水の 消費量が半分で済む乾燥地帯向きの農産物である。理由は、C4植物で炭酸ガスの吸収効率がよいため、効率が悪いC3植物より、気孔を開けることによる蒸散 が少ないからだ。
C4植物の光合成回路は、C3植物のそれにもう一つ、薄い濃度でも働く炭酸固定経路が重なっている。人がアルコール分解サイクルを2つ持 つように、その種にとって命に関わる問題(人ではアルデヒド中毒)にはスペア・ルートとか補助ルートが備わっている場合がある。C4は熱帯原産のイネ科植 物が殆どで、猛烈日射下では光利用効率の低いC3よりも、利用効率が高くて大量の蒸散を必要としないC4の方が種の発展に向いている。サトウキビ原料のバ イオ燃料は、環境改善効果抜群と言われる。あれもC4である。ついでだが、酒に弱い人はそのメイン・ルートまたは両方を欠く遺伝的欠陥人間である。イン ターネットで調べると、同じイネ科だからだろう、トウモロコシの遺伝子をイネに植え付けてイネをC4化しようとする研究が見られる。空気中の炭酸ガス濃度 が産業革命以来増え続けて、今はもう370ppmになる。90ppmほど増加した。葉の中の光同化反応はほぼ濃度に比例するらしい。温暖化現象がなけれ ば、炭酸ガスが増えてもそう怖くなかったのである。
少々長くなりそうなので、以下は「ふしぎの植物学Ⅱ」に書くこととする。

('08/09/14)

ふしぎの植物学Ⅱ

以下は感想文:「ふしぎの植物学」(原著:田中修:「ふしぎの植物学-身近な緑の知恵と仕事-」、中公新書、'03)の続きである。
新潟に里帰りすると、決まってササ団子をおみやげに呉れる友人がいる。ササには独特の香りがあって郷愁を誘う。今は合成品だが昔はクスノ キから樟脳を採り防虫剤にした。ササも食われたくないから防御物質を出す。カビや腐敗菌に有効だそうだ。それでも中国ではパンダが唯一の食料としてササを 食う。蓼食う虫も好き好きを地で行っている。日本にはパンダはいないが、ササの天敵はほかにもいる。蓼食う虫がちゃんといるのだ。笹藪にはそこにしか住ま ないゴイシシジミという小型の蝶がいる。この蝶の幼虫は肉食でタケノアブラムシを食料と決めている。その名の通りこのアブラムシは竹や笹原でしか生活でき ない。金閣寺の側、衣笠山の麓、立命館大学理工学部の実験室脇に、私の秘密の狩り場があったので、このことはよく覚えている。オニグルミの樹下には雑草が 生えにくい。セイタカアワダチソウはどんどん生息圏を増やして行く。他種植物を追い払う物質を放出するためだ。生存競争は同一種の群生地内でも激しい。概 して中央部ほど背が高いのは、周囲の葉と日光を奪い合うためだ。遠赤外線は葉を通して地上に到達する。だから後発の芽は、遠赤外線を刺激指標として、周囲 よりも高く茎を伸ばすのだそうだ。植物にも一種の免疫システムがあるとは知らなかった。病原体の侵入を受けると、抗菌物質を作り、さらに周囲に侵入を知ら せる。揮発性物質で自身以外の植物にも知らせるというから、全く神秘的である。
私のHPには「花成ホルモン」の記事がいくつか出ている。「花を咲かせるものは何か-花成ホルモンを求めて」(滝本敦、中公新書、 '98)を読んでから関心を持ち続けていた。昨年の4月に奈良先端科学技術大学院の島本功教授のグループがついにそれを発見したことが報告された。花成ホ ルモン-フロリゲン-が仮説として提唱されてから70年経っていた。本書は'03年の著作であるから、それには触れられていない。滝本さんも島本さんも本 書の田中さんも京大農学部の出身である。研究が受け継がれているらしい。新聞ではほんの小さな記事だったが、全世界にまたがる研究のすそ野の広さを考えた ら、島本さんのはひょっとしてノーベル賞級の研究であったのではと思った。花成ホルモンは葉から芽に送られる。葉が花を咲かせる時期を決める。葉は正確に 夜の時間を計ることができる。15分という精度だ。夏の暑さに弱い植物は春に、冬の寒さに弱い植物は秋に種を付ける。大賀ハスの種は2000年も泥炭中で 生き続けた。種は環境変化に強いのだ。種を作る時期を春は夏至に向かって減少して行く夜の長さから、秋は冬至へ増加する長さから計って葉が花成ホルモンを 作る。
花成ホルモンにはアサガオが例に出てくる。アサガオは1年生草本の代表だ。樹木では様子が似てはいるがちょっと違う。春咲の樹木では10 月頃までに翌年用の越冬芽をやはり葉からの指令で作ってしまう。指令物質はアブシシン酸。上述の滝本先生の本には、花成ホルモンとは「日長に反応して葉で 作られ芽に送られて花芽を作らせるホルモン」となっている。だからアブシシン酸も花成ホルモンかと思うが、本書も滝本さんも花成ホルモンとしていない。よ く分からない。滝本先生の本は1年生植物に限って話を進めている。ウメ、モモ、モクレン、サクラのソメイヨシノなどは葉より先に花が咲く。花咲ホルモン (花成ホルモンではない、ややこしい、もう花芽はあるからだろう)はジベレリン。葉芽よりも花芽(つぼみ)の方が成長が早いからだ。越冬芽は一度寒さを経 験してから気温上昇に応じて成長する。成長速度は種に固有だから同じ場所なら咲く順序は変わらない。花を咲かせる機構は植物の種類が変われば変わるのでは ないかと想像するが、本書はこれ以上は触れていない。
春にオランダのチューリップを見るリバー・クルーズがあって、応募したことがあった。だが、クルーズ船の建造が間に合わず中止になった。 年齢とともに長い飛行機旅を敬遠するようになった。今思えばヨーロッパ最後の機会であったかも知れず、残念に思っている。チューリップのつぼみは球根の中 に夏には作られているそうだ。冬を経験して春に成長を開始する。球根には栄養が詰まっているからあっという間に成長し花を開く。ヒヤシンスやスイセンのよ うな球根植物も同様だそうだ。ウメやモモと花を作る機構が一見似ている。ヒガンバナも球根植物だが、つぼみを5月に作って、秋にはさっさと花を開く。他の 球根植物と違って、ヒガンバナは種が作れない。染色体が自然に出来た三倍体だからと言う。原産地の中国には種の出来る二倍体がある。球根で増殖できたから 三倍体植物が自然に闊歩することとなった。
iPS細胞の基本特許が京大に下りたと言う報道を見た。iPS細胞は、胚盤胞は作れないが、他の身体組織すべてに分化できる能力がある胚 性幹細胞である。患者の皮膚からiPS細胞を経て患部組織の複製品を育てれたら、再生医学は大進歩を遂げられると言うので騒がれている。植物の細胞は但し 書きなしの完璧な万能細胞で、分化全能性を持つ。ヒトへの応用はまだ先の先で、多分あと10年はかかると言われているのに対し、植物では接ぎ木、挿し木の 技術が大昔から普及している。その好例がソメイヨシノで、全国はおろか全世界に広まった。リンゴのふじ、ナシの二十世紀など果樹の多くはこの方法でしか栽 培面積を増やせない。ソメイヨシノもふじも二十世紀も自家不和合性と言って、自家受粉できないのである。ソメイヨシノは花が咲けばいいのだからそれでよい が、果樹は他家受粉をさすために他種の花粉を人工的に集めてめしべに付けてやらねばならぬ。我ら都会人はたとえば一枝オーナーになって嬉々として青森に出 掛けるが、育てる農家の苦労は並大抵では無かろう。
秀吉の花見で有名な醍醐寺三宝院のシダレザクラが老齢のため、組織培養で次代を育成している話は新聞でも見た。ハイブリッド米の話が出て いる。雑種第一代は父と母の長所を兼ね備えている場合が時たま起こる。イネの花は極端に小さく自家受精が大半だ。おしべを取り去って人工的に他家受精させ ても、花1つに1粒しかできないから実用にならない。ところが中国でおしべのない花を付けるイネが見つかり、それがハイブリッド米の元となったという。中 国米の60%がこのハイブリッド米だそうだ。丈夫で、収穫量が多く、味もよいと三拍子揃っているとあった。日本での利用はどうなのか、今後に留意したい。

('08/09/14)


衆議院見学

田嶋要・民主党衆議院議員のアレンジで衆議院見学の機会を得た。氏の講演会で希望を出しておいたら案内をもらった。私は今まで政治に関し てはマスコミ頼みで、講演会にも見学会にも出たことがなかった。どちらも初めての経験だった。国会は東京の新観光名所で大勢の見学者が来るようになったと いう。喜ばしい傾向だ。
1時間ほどかけて集合場所に着く。参加者は9名。男子3、女子6。私が最高齢で年層はバラバラ、一番若いのは多分20台の女性。講演会で もそうだったが、近所からの出席者がいた。与党側の後援会の噂も聞く。私の近隣はけっこう意識が高い地区のようだ。衆議院別館側から入る。正門の反対側 だ。案内は事務所の公設第一秘書の若い女性。腰は低いが話すと勝ち気が漏れ伝わってくる。秘書は国会にあと1人、現地に4人という。見学は10:30から 14:30までの4時間であった。
受付前で秘書から通行証を渡される。各代議士事務所に1枚ずつ保有されている衆議院内通行見学に欠かせないIDカードだ。私のは自民党議 員のものであった。自由に融通しあえる品物らしい。参議院には別途の入場手続きが必要である。国会は休会中なので議員の殆どは不在であったが、民主党幹部 と国民新党幹部の在館ランプが点灯している場所があった。合併問題が議論されているようだと秘書は言う。夕刊にその記事が出ていた。共産党の控室に記者が 集まっていた。翌朝の読売新聞に「共産、公認半減」の見出しと、立候補のない地域の共産党票が民主党に流れた場合の影響が出ていた。両方合わせたら20名 を超すのではないか。民主党の強勢を考えると、秋の総選挙では政権交代あり得べしと思わせる。議場傍聴席最前列の記者専用席の列、委員会の記者席、廊下の テレビ機材の列など、休会で静まりかえってはいたが、マスコミの活躍ぶりが偲ばれる。事務室や控室、個室にもテレビが備わっていて、一般大衆との仲立ちを するマスコミの政治に占める重要性を伺わせた。議場の議席は着席者が固定しているから机に各議員の資料が入っている。年金問題の急先鋒・長妻議員の資料は 群を抜いて多かった。
途中昼食前に議員会館の田嶋要事務所に議員を訪ね、半時間ほど懇談した。大学の教授室ほどの意外と狭い部屋である。田嶋議員はいろいろ立 て板に水を流すように話した。政権交代がなければあらゆる官僚システムが腐るというのが氏の根本信念で、日本の長期一党政権がいかに弊害の多い体制かを説 く。中国も北朝鮮もそうだというのがお笑いで、でも説得力のある例示なのだ。長妻議員に見習って、見学会を精力的に主催するようになったと言う。民衆から 具体的な問題点を吸収する手段として活用している。官僚は政権党の下僕で、情報は与党のスクリーニングを通ってからでないと野党や外部に出てこない。長妻 議員のように、一旦民衆に、問題を動かす実力が認められると、自動的に情報が集まり出す。与党の誰が年金不正問題を取り上げるであろうかと田嶋先生は言 う。それはその通りである。翌朝の新聞に、民主党に、新たな社労庁職員の不正工作が被害者から告発されたと報じられた。警察や検察に持ち込まれずに、民主 党に持ち込まれる事実は、政界の今後を占う一つのヒントである。長妻議員の新著「闘う政治」の紹介があった。
私は「日本がアメリカや世界の潮流に振り回されるのは、我が国の規模から言って致し方がないことだ。今我が国が財政出動しても潮流を変え るほどの効果はない。」「日本衰微の理由には日本固有のものもある。私は煎じ詰めればそれは少子化に行き着くと思う。福井県の出生率回復のニュースがあ る。世界的にも先進国で施策によって回復基調を取り戻した国がある。」の2点に注目するように言った。家内は過剰な対老齢者ばらまきに苦言を呈したので、 「老齢者の今日は殆どが自己責任相応部分だ。国民が彼らの過去の付けをどこまでも尻ぬぐいせねばならないだろうか。」と付け加えた。我々は次世代年少者の 福祉の優先を願っている。
議員は市内の敬老の集いに出席すべく、懇談が終わるとすぐ千葉に引き返した。地下鉄、JRで行くのだという。雑談であったが、人混みの中 の自己防衛策は可笑しさを超えて悲しかった。スキャンダルのネタにされないように、電車の中では妙齢の婦人の側には近づかないとか、両手はつり革に付けた ままとするとか、いろいろ気を遣わねばならぬそうだ。街頭での政治活動では、わざとぶつかってくる不審人物に何度も遭遇しているという。町の噂では千葉1 区の自民党現議員がそろそろ引退を考えているという。そうなれば2世議員への禅譲のためにも暴露戦は一層激烈になるだろう。
昼食は国会内の食堂で、我々は1200円の特上すしを食った。江戸前のにぎり寿司で安いという印象。その他のメニューもリーズナブルな価 格だった。部屋や調度品は国会と調和が取れている。役所や博物館、美術館、大学などいろんな公共施設の食堂を経験したが、贅沢ではないが清潔でシックな雰 囲気であった。議員会館側にも食堂があった。こちらは会館に合わせた明るい実用的な普通の大衆食堂と言った雰囲気で、メニューの見本も当たり前の献立であ る。
国会全体の雰囲気:重厚な建築物で内装も外見にマッチしている。ただ民主主義議会なんだからもっと明るいトーンの方がいい。戦災はなかっ たらしい。米国が占領後の政策のために残したのだろう。ただ中央突塔部に補修のあとがある。落雷で破壊された部分という。この夏は落雷をたくさん見たせい か、記憶に残った。国会図書館分館がある。議員が調査を行うときは、図書館員が書籍、雑誌などテーマに合わせて集めるそうだ。我々一般は文献を具体的に指 定しないと借り出せぬ。流石に選良のサポート体制は完備している。陛下の御休所をガラス越しに見ることが出来る。ここだけは写真は駄目と言われた。隣に皇 族のお部屋。昭和11年完成の国会議事堂は建設費が2570万円だった。貨幣価値は今の5千倍ほどだろうから、現代なら1300億円程度だ。その10%が 皇室関係の諸設備に当てられたと言った。国会周辺は都会の大学キャンパス同然に建物が混みあっている。狭い国土の宿命だ。それでも正門前桜田門への大通り の両脇にそこそこの庭園がある。昔は長屋でも坪庭を備えていた。最近のマンションは億ションでさえ駐車場をとっても庭を造らない。自然から隔離した環境は いびつだ。貴重な国会前庭を大切にしたい。今回は見学できなかった。
議員を入れた記念写真はすぐに我が家に送られてきた。

('08/09/19)

2008年9月25日木曜日

共産党のウエブページに疑問

下記の文を見て
①下記の文を見て「国を愛する態度 」の最も大きな部分を占めるのは「攻められたとき、雄雄しく立ち向かう勇気」だと思うが、共産党はそうは思っていないのか?
②攻められたら「無抵抗」または「その時になって国会で審議する」つもりなのか?

法律で「国を愛する態度」などの「徳目」を強制することは、憲法に反します

 政府の改定案のなによりも重大な問題は、これまでの、子どもたち一人ひとりの「人格の完成」をめざす教育から、「国策に従う人間」をつくる教育へと、教育の根本目的を180度転換させようとしていることです。

  政府の改定案は、基本法に新たに第2条をつくり、「教育の目標」として、「国を愛する態度」など20におよぶ「徳目」を列挙し、その「目標の達成」を学校 や教職員、子どもたちに義務づけようとしています。そのことは、改定案の第5条(義務教育)でも、第6条(学校教育)でも、さらに具体的に明記されていま す。ここにあげられている「徳目」それ自体には、当然のことのようにみえるものもあります。問題は、それを法律に書き込み、政府が強制することが許されるのかということにあります。

  法律のなかに、「教育の目標」として詳細な「徳目」を書き込み、「○○の態度を養う」としてその「達成」が義務づけられ、学校で具体的な「態度」が評価さ れるようになったらどうなるでしょう。時々の政府の意思によって、特定の内容の価値観が子どもたちに強制され、子どもたちの柔らかい心が、政府がつくる特 定の鋳型にはめこまれてしまうことになります。これが、憲法19条が保障した思想・良心・内心の自由をふみにじることになることは明らかです。

http://www.fitweb.or.jp/~peace/now.htmより
9・10大内裕和さん講演会

「民営化・イラク・靖国・教育基本法

~あなたは子どもたちに銃を持たせますか?~」

 9月10日(土)自治労とやま会館にて、松山大学の大内裕和さんをお招きして、「民営化・イラク・靖国・教育基本法 ~あなたは子どもたちに銃を持たせますか?~」講演会(演題は「教育基本法『改正』とは何か」)が行われました
講演の要旨
・・・「郵政民営化」も同じで、労働現場に自由競争の論理を導入しようとするものであること、民営化とは私営化のことであり、すべて利潤追求の論理にゆだねること、とその本質的問題性をわかりやすく指摘されました。

 1995年に打ち出された日経連「新時代の『日本的経営』」による「労働力の差別化」は、派兵問題と結びついており、「労働力の差別化を食い止めないと、派兵をとめられない」「子どもを差別して派兵要員にしてしまうことが教育基本法の改悪で狙われていること」と明らかにされました。・・・・・・・・・
あるウエブページより

靖国神社はれっきとした宗教法人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE

なぜ問題か?
(1)憲法違反だから(政教分離に反するから)

次にですが、確かに中国や韓国が激しく抗議しているから問題が大きくなったことはあると思います。ではなぜ中国や韓国が抗議するのか?それは、国内的な憲 法の問題ではなく、靖国にA級戦犯が祭られているからです。つまり外交問題です。(ならB,Cはどうなのか?ということを取り上げる向きもあるようです が、それは屁理屈というものだと思います)
http://www.people.ne.jp/2006/08/15/jp20060815_62256.html

なぜ問題か?
(2)A級戦犯が祭られているから

日本では亡くなったら皆神様だ、という考えも確かにあるのでしょうが、それはあくまでも日本の考えであって、外国人、特に直接戦争の被害を受けたアジアの 人々には通用しないでしょう。内政干渉というのは内政問題に対する干渉であって、東条さんなどが祭られている時点で既に外交問題となってしまっています (だから内政干渉とはねつけるのは無理がある)。

なら、仮に靖国を非宗教団体化して、A級戦犯を分祀すればよいかというと、まだ問題が残ります。ソースは忘れましたが韓国のどこかで「A級戦犯を分祀して も靖国自体が「遊就館」などに見られるように、先の戦争を美化しているので公式参拝は受け入れられない」という表明が最近ありました。私は、遊就館の展示 物などを調べてみると、その主張ももっともに思えます。先の大戦で戦って亡くなられた方々を弔い感謝するのに、なぜ武器の展示などが必要なのでしょうか? こういうのを見ると(例えその気が無くても)靖国自体が戦争を美化していると捉えられてもおかしくはありません。少なくとも靖国に戦争の被害を受けた他国の人々への思いやりが欠けていることは、HPの概要に「外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。」と書かれていることからも見て取れます。

遊就館へのリンク
http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/index.html
武器の展示など
http://homepage3.nifty.com/tompei/Yuusyuukan.htm

なぜ問題か?
(3)靖国神社が戦争を美化している(ように見える)から

以上3つ問題点を挙げましたが、(3)はともかく、(1)(2)は問題ありだと思います。
決して戦って亡くなった人々に感謝しないわけではありません。全然別問題です。
グーグルへの投稿欄より
「国歌は何の為にあるか?」


どこの国でも何かの時は国歌を歌い、自分の国に対する思いを高めます。
例えばアメリカは多民族国家で、白人もいれば黒人もいますから、連帯感と言えばアメリカの国民と言うこと以外にありません。
しかし人間ばらばらでは生きていけませんから、国歌を斉唱しアメリカ人として一体感を持つ、これは自然な感情です。
日本は島国で、外国人の方などもいますが、基本的には一民族で、改めて連帯感を意識することは少ないとは思いますが、それでも日本と言う国を感じるために国歌を歌うことは不自然とは思いません。
あなたが将来外国で暮らすことがあれば、自分の国を意識すると思いますよ。

外国の国歌もフランスはかなり下品な歌詞ですがフランス人は愛してますし、ドイツ国歌は3番までありますが、人前では1番(戦争が関係している)を歌わず、3番から歌う伝統です。
goo投稿文より

最後になりますが「自尊心のない日本人」や、
「醜い・恥ずかしい」ということにつながるのかということについては一言で言うと自分を守れないものに他人は守れないと言うことです。
自尊心のない日本人=アジア諸国の人に盲目的に謝ってしまう人は結局のところ他国の人の尊厳なんぞ尊重できません。自分の存在すら尊厳を持っていないのですから。
結局自分が一番悪いと言ってしまう人は謝るばかりでなんら責任を取らないのです。取れないのです。
自分の面倒も見れない未熟者が海外に出ても回りに頼りっぱなしでお荷物扱いです。こういう勘違い日本人は日本でもお荷物ですから社会の表舞台には出てほしくありません。
ある浄土真宗青年会のウエブページより

本・映画等の紹介、評論

「希望だけがない」わけが無い?



 1959年に日本に留学し、台湾独立運動に参加。パスポートを破り捨てて厳しい生活を選んだ金美齢女史が、「甘えの抜けない日本」を憂い、苦言が呈されているのが本書である。内容にややまとまりを欠いているが、直言は切れ味が鋭い。


 国に手あつく保護されていながら感謝しない人々



 かつてこのHPでも紹介した『希望の国のエクソダス』(村上龍 著/文藝春秋)が、報道で大きく取り上げられ、ベストセラーになっている現状に呆然となったところから話は始まる。

 特に「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが希望だけがない」というくだりには、


・・・何でも国から与えられることに慣れてしまった日本人は、希望さえも与えられるものだと思っているのだろうか。

<中略>

私に言わせれば、何でもあるということは、客観的に見て希望を持ちやすい環境にあるということである。

 何でもあるという環境に感謝して、それを前提にして、どう活用して、自分の人生を築き上げていくかという問題を解決するのは、他人ではない、ほかならぬ自分なのである。そのことをよく認識してほしいと私は思う。

 そうでなければ、次の世代が苦しまないようにと、営々と「何でもある国」を目指して努力してきた先人たちにも失礼である。
[はじめに 11頁]


と、猛反論をみせる。


 著者が先の本をどこまで読んだのかは不明だが、確かにこの一文だけを大きく取り上げると、そういう甘えの体質が浮き彫りにされてしまうだろう。また国という問題には大きく頁を割いてその大切なことを力説している。


 たとえば、戦後教育を受けた最先端の世代である団塊の世代が言うことが多いのだが、彼らは国なんかなくてもいいと言う。地球全部が、世界が自分の国だと思えばいいと言うのである。彼らが好んで使う「地球市民」である。
[第3章 103-104頁]

 無責任な一部の日本人は、やってみたこともないくせに、口先ばかりそんなことを言う。もし、やってみる勇気がないのなら、せめて想像力を働かせて考えてみてほしい。ちょっと想像すればわかるはずのことである。そもそも「地球市民」と名乗って外国が受け入れてくれるのなら、私もぜひあやかりたい。

<中略>

 国に保護されて生きているのに、そのことにまったく気づいていない。保護を拒否して外国へ行くことは、生存の危機に瀕することもあるということがわかっていない。こうした人々は、親に保護されていることがわかっていない子どものようなものである。
[第3章 105-106頁]


 それは長年国を持たずに独立運動を支えた経験から導き出された言葉であろう。

 私にはかつて国がなかった。国がないということを体験しているから、国というものがどれほど大切かということが切実にわかる。日本人は、そうした体験をしていない。おそらく、日本人にとって、国とは空気のようなものなのではないだろうか。

 空気がなければ、私たちは生きていけないのに、その存在に気づくことは稀である。
[第5章 251頁]





 国を誤らせた責任



 さて、ここでは戦前、大きく国を誤らせた責任にマスコミの存在を挙げ、日の丸・君が代に対する姿勢を批判している。


・・・その責任が、日の丸、君が代にあるのだろうか。それを悪用した人間にこそ責任があるのだということを忘れてはいけない。<中略>戦争は勝っていると報道し、敗走しても、" 名誉ある撤退 " などという美辞麗句で飾ってしまったのはマスコミである。

<中略>

 戦時中内務省と連絡をとりあっていた新聞社各社の記録を見ても、新聞社側が検閲に困っていたという様子は見当たらないという。むしろ、進んで自主規制を徹底させていたのである。

 日本の間違った方向を率先して支持した責任には言及せず責任逃れをしておいて、それで、日の丸、君が代は怪しからんというのは、どう考えても理屈に合わない話である。むしろ、過去に忌まわしい記録があったとしたら、それを忘れないために国旗があるという考え方のほうが自然だと思う。
[第1章 28-29頁]

 戦前のファシズムを批判しつつ、やっていることは、それと何ら変わりがない。要するに、反対意見に耳を傾ける姿勢がない。
[第1章 30頁]



 また戦後は、学生運動を煽っておいて、破綻すると途端に引いてしまう姿勢にも注視し、その影響が今も自虐思想として日本人の心に影を落としていることを指摘する。


 結局のところ、若人たちは、もり立てておいて、梯子を外してしまうマスコミに操縦されていたにすぎない。かなり多くの、文化人と言われる人々は無責任なものである。煽られた学生たちの中には、後遺症を引きずった人間もいるのに、自分たちは、決して傷つかないからだ。
[第1章 36頁]

 学生時代にはバリバリの共産主義者だったはずなのに、卒業後コロッと自己批判もなく変節してしまった人間がどれほどいたことだろう。<中略>彼らにとって、左翼思想はただのファッションにすぎなかった。これでは、敗戦後豹変して、民主主義、民主主義と言いだした戦後の大人たちを笑えまい。<中略>こうした類の日本人が、日本人に自虐思想を植えつけたのではないか。
[第4章 188‐189頁]





 「日本精神」と「リップンチェンシン」



 かつて日本は台湾を植民地としていた。その事実に対して、単に善悪で片付けられる問題ではないことも述べている。特に台湾語で言う「日本精神」は、軍国主義とは意味が違う。


 本来、日本人が持っていた、いかにも日本人らしい清潔さ、公正さ、勤勉さ、責任感、規律遵守、といった素晴らしいものの総称として、「日本精神」という言葉を特別な思い入れで使い始めたのは、じつは台湾人だったのである。

 したがって台湾語で「リップンチェンシン」と言う「日本精神」は、日本の軍部などが国粋的な意味で使った「日本精神」とも大きく違う。

<中略>

・・・私は一般的に「日本精神」の名で呼ばれている意識形態は嫌いである。

 しかし、その嫌いという感覚は、これが軍国主義や対外侵略に結びついたからという、普通言われている理由からではない。

 もしそれを言うなら、世界で罪を犯していない「民族精神」など皆無だろう。中世北欧伝説(サガ)の英雄たちは、海上からヨーロッパ各地に侵入し、略奪・征服をほしいままにするバイキングだった。

<中略>

「オウム」を引き合いに出すまでもなく、自国の歴史を忌まわしい色で塗りたくることに快感を覚えている人たちも、じつはその体質の上でこの「日本精神」の流れを汲んでいる。戦後のまなじりを決した「反日」は、形を変えた「日本精神」の発露にほかならない。
[第2章 52-56頁]



 また台湾問題については、戦前・戦中よりも戦後の対応にこそ問題があると述べている。


「台湾に日本時代五十年がなかったら、依然として海南島のレベルだったろう」と言ったのは作家の邱永漢氏だそうだが、これは台湾人の共通認識と言っていいだろう。「だけど植民地はやっぱり悪いのだ!」とまだ叫びたい人がいたら、「それはよく存じ上げています」とだけ言っておこう。

 問題は戦後にある。戦後日本は、一度も台湾人とまともに対応しようとしたことがない。台湾人が苦しんでいたとき、日本は蒋介石政権に懸命に肩入れしていた。そんな中で、独立運動者の強制送還もあった。そして一九七二年、手のひらを返したように蒋政権から北京へ乗り換えた日本は、台湾人の同意もなしに、「台湾は中国の一部」と勝手に決めてしまった。

 そして私たち在日台湾人に勝手に中国国籍を押しつけた。さらには北京が台湾沖にミサイルをぶち込んでも、まともに抗議一つするわけでもなく、知らぬ顔を決め込んでいる。

<中略>

 台湾の「日本精神(リップンチェンシン)」は、やがて死語と化してしまうだろう。それはそれでいい。しかし、今これがほんとうに必要なのは、ほかならぬこの日本なのだ。
[第2章 67-68頁]



 こうした中で特に「愛国心」の問題を大きく取り上げている。これは故司馬遼太郎氏も述べていることだが、愛国心と国家主義・国粋主義は峻別しなければならないだろう。


 人間の社会というのは、常識を大切にしないで、何を大切にするのだろうか。常識を大切にしないから、現代の子どもたちの暴走もあるのだ。そういう意味で言えば、国を愛する心だって、常識以外の何物でもない。愛国心を云々すると、すぐに、戦前の軍国主義に戻るのかとか、天皇制復活かなどという人がいるが、そうした議論のほうがよほど非常識なのである。
[第3章 121-122頁]



 さらに、日本の近代史は複雑な世界の歴史の流れの中でどのような位置にあるのか、といった評価も、極論を避けなければならない、という「常識」を提示する。


 日本が悪いという人は、徹底的に日本の悪口を言う。日清、日露の戦争にまでさかのぼって、日本の歩んだ道は、最初から間違っていたと断言してしまう。

 そして一方では、日本は間違っていなかったという人がいて、そういう人は、すべての日本の行為を正しかった、あるいは仕方がない選択だった、あれしかなかったと言って、全肯定してしまう。

 それが起きた背景、それまで日本が置かれていた状況などなど、複雑な要素が絡まっていて、一概に、善とも悪とも決められるものではないはずである。
[第5章 205頁]


asahi.com(朝日新聞社):社説
www.asahi.com/paper/editorial.html
2008年9月25日
08/09/25
世 界金融再編―日本勢は好機を生かせ 米国発の金融危機が、金融機関の世界的な再編劇を加速させている。この渦に、日本勢が有力な資本の出し手として参入し始めた。 出資先はすべて米証券会社だ。野村ホールディングスは、破綻(はたん)した証券4位リーマン・ブラザーズのアジア太平洋と欧州・中東部門を買収する。三菱 UFJフィナンシャル・グループは、2位のモルガン・スタンレーに対し最大で20%を出資すると基本合意した。さらに、最大手ゴールドマン・サックスが行 う増資にも、三井住友銀行が参加する意欲をみせている。 米国の金融危機は、今月に入って緊張の度を一気に高めた。危機回避のため米政府が75兆円規模の公的資金の拠出を決め、次は、金融機関が自助努力で資本を 増強し、いかに生き残りを図るかが焦点になってきた。 では、どこが資本を出すのか。世界を見渡すと、一時期は威勢がよかった中東や中国・アジアの政府系ファンドは、これまでの投資が損失を出しており動きが鈍 い。そこで、バブル崩壊の痛手から慎重な経営を続けてきた日本の金融機関が、有力な出し手として浮上してきたわけだ。 「敵失」で日本へ好機が巡ってきたというべきか。好機を生かすには、リスクを覚悟したうえでの大胆な決断が必要だ。まずは三菱UFJや野村の素早い動きを 評価したい。 買収や出資により、世界の有力投資家を顧客に抱える人脈や、高い金融技術をもつ専門スタッフを活用できれば、弱かった日本の投資銀行業務を強化することが 期待できる。 ただし、課題は多い。欧米の金融機関は高収益を誇ってきたが、いまから考えると、それはバブルに支えられてきた面が多分にある。これからはバブルに頼ら ず、新たな収益源を開拓していかねばならない。それを日本勢が主導できるか。産業の高度化をめざした企業の合併・買収(M&A)や新興国への投資は、その 候補だろう。 欧米の投資銀行という組織を掌握し運営するのは、日本企業にとって不得手かもしれない。80年代のバブル経済全盛期に、日本の金融機関は世界の銀行・証券 に出資したが、ノウハウらしいものも吸収できぬまま、バブル崩壊で撤退した苦い体験がある。その二の舞いは避けなければいけない。 そもそも、分業でこつこつ仕事を進める日本型と、特定の人間に権限を持たせて一挙に進める欧米流では、人の使い方に大きな差がある。 とりわけ、リーマンの海外部門をじかに運営することになる野村は、相当な自己変革を求められよう。日本の金融産業がどこまで変わりうるのかの試金石でもあ る。変化した者だけが生き残る。そう肝に銘じつつ、大胆かつ慎重に進んでいってほしい。
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asahi.com(朝日新聞社):プロ野球の「通説」は錯覚? 名大教授ら846試合分析 - 社会
プロ野球の「通説」は錯覚? 名大教授ら846試合分析 2008年9月25日3時3分 印刷 (画像) ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録 「チャンスを逃すとピンチあり」「大量得点をした次の試合は打てない」。野球の世界でよく聞く話だ。こうした「通説」は本当なのか。名古屋大の加藤英明教 授(金融経済学)らがプロ野球の試合を分析したところ、実際とはずれがあることが分かった。 加藤教授らは、05年の全公式戦846試合のデータから検証した。 たとえば、走者が二塁以上に進んだチャンスがあったのに得点できなかった場合、その球団が直後の守備回に失点する確率は26.4%(平均失点0.492 点)だった。全体の平均(26.4%、0.495点)とはほとんど差がなかった。 全試合のうち、10点以上の大量点があったのは145試合だった。その球団は次の試合でも平均4.87点を取っていて、全試合の平均4.43点を上回って いた。 無死満塁の場合の得点確率は84.5%、平均得点は2.399点ですべての状況の中で最多だった。 さらに、ホームゲームの7回裏の攻撃。ジェット風船を飛ばすなど、応援に熱が入るファンは多い。しかし、実際に得点が入る確率となると26.2%(平均得 点0.481点)で1~12回裏の平均(26.9%、0.506点)以下。むしろ6回裏(30.7%、0.662点)の方が高く、必ずしも「ラッキーセブ ン」にはなっていなかった。 加藤教授は「人は印象が強いと、本当は頻繁に起きていないことでも確率が高いと思い込みがちだ。通説にも錯覚がかなりあるのではないか」と話している。
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asahi.com(朝日新聞社):FBI、リーマンなど捜査か 詐欺容疑と米主要紙報道 - ビジネス
FBI、リーマンなど捜査か 詐欺容疑と米主要紙報道 2008年9月25日2時47分 印刷 (画像) ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録 【ニューヨーク=丸石伸一】今月相次いで救済や経営破綻(はたん)に追い込まれた米証券大手リーマン・ブラザーズなど金融大手4社について連邦捜査局 (FBI)が詐欺の疑いで捜査に入っていると、米主要紙が23日、一斉に報じた。 報道によると、FBIが捜査しているのはリーマンのほか米政府などが救済する米保険最大手AIG、米政府系住宅金融大手の連邦住宅抵当金庫(ファニーメ イ)と連邦住宅貸付抵当公社(フレディーマック)。FBIはこの4社を含め、すでに26の金融機関を捜査対象としている。サブプライム危機をきっかけにし た金融市場の混乱で、投資家らに偽った情報を与えた詐欺の疑いがないかどうかなどを調べている模様だ。 公的資金の投入などで納税者に大きな負担を招く恐れのある事態を招いた責任を厳しく追及する姿勢とみられる。
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asahi.com(朝日新聞社):池袋三越など4店舗閉鎖へ 売り上げ低迷 - ビジネス
池袋三越など4店舗閉鎖へ 売り上げ低迷 2008年9月25日3時4分 印刷 (画像) ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録 写真 閉店の方針が固まった鹿児島三越=鹿児島市 三越伊勢丹ホールディングス(HD)は、傘下の三越のうち、池袋(東京都豊島区)、武蔵村山(東京都武蔵村山市)、鹿児島(鹿児島市)、名取(宮城県名取 市)の不採算4店舗を閉鎖する方針を固めた。売り上げが低迷し、テコ入れしても回復の見込みが少ないと判断した。 4月に経営統合で発足した三越伊勢丹HDの本格的なリストラ策は初めて。池袋店は、駅に接続するライバルの西武百貨店や東武百貨店に客を奪われ、売り上げ が減少傾向だった。武蔵村山店は2006年に郊外型ショッピングセンターの中に開店し、話題を呼んだが、売り上げが伸びなかった。 地方店も郊外スーパーとの競合や地方経済の低迷で採算が悪化していた。伊勢丹との統合後には、グループの重荷になっていた。 閉店後の保有建物の利用については、賃貸するか、売却するかなどを詰める。
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志村建世のブログ: 20080924
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2008年9月25日
08/09/25

天皇の玉音放送(6)

私は今までに一度だけ、「終戦のときに天皇制を廃止しておくべきではなかったか」と思ったことがあります。安保闘争の嵐の中で行われた総選挙の最中 に、立会い演説中の社会党・浅沼委員長が、壇上で右翼の少年に刺殺されたときです。日本の国内に、救いようのない過去の亡霊が残っていることを直感したの でした。
 それともう一つ、私は少年期から、「自分が天皇だったら」と空想することがよくありました。その感覚で考えると、明治憲法よりも早く「軍人勅諭」で陸海 軍を統率する大元帥となった天皇には、内閣を超えて軍を動かす統帥権があったのです。軍が統帥権を盾にとって文民統制を拒否するようになったとき、天皇に だけは軍を抑える大権がありました。少なくとも支那事変以降の戦線拡大を抑制していたら、大日本帝国は第二次世界大戦に参戦することなく、戦後のアメリカ とソ連に拮抗する第三勢力の中心になれる可能性があったと思うのです。
 昭和天皇の晩年の心の中には、さまざまな悔恨があったに違いないと私は想像します。A級戦犯合祀後の靖国神社への参拝中止は、その表れの一つだと思いま す。さらにもう一つ、天皇が残した負の遺産は、ナショナリズムと親米との奇妙な癒着でした。その歪みは、天皇がアメリカの庇護に頼ったところから始まった のです。
 しかし、とにもかくにも、私たちの前にあるのは今の日本です。天皇の私物つまり「権威に服して統治される」という観念を完全に払拭した、「人間愛に結ば れた私たちの国」でありたいものです。その条件が満たされるのであれば、古代伝説の時代につながる系譜を持つ皇室の存在は、国の看板として大切に保存する 価値があるでしょう。
 最後に「君が代」という歌についてです。私の妻は最近「君が代の曲は好き」と言っていました。歌としての君が代の問題点は、曲の音数と歌詞が合っていない(作詞で言う「字足」が揃っていない)ことです。私は次のように歌いたいと思います。

日の本の国 ときわに栄えよ
さざれ石の 巌(いわお)となりて
山に 聳(そび)ゆるまでも

「君が代」ならぬ「日の本の国」を歌ってくださる合唱団はありませんか。ピアノ奏者と指揮者がいると好都合です。先に発表した「わが国は」と合わせて、CDを作りたいと思っています。

Posted by 志村 建世 at 12:04:46 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ソーシャルブックマーク このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーをlivedoorクリップに追加 このエントリーをYahoo!ブックマークに追加

人類百世紀の概観(通算83)

人類百世紀の終りに当って

 この章は九九九九年、百世紀が終る前年に身を置いて書くことにします。来年は百世紀最後の年、そして再来年は百一世紀に入るというので、いろいろ 記念の行事が予定されているようです。私も百世紀までの歴史を概観して、私の考え方を具体的な形として理解していただくための資料にしたいと思います。
 地球の誕生は四十六億年前、そして生命の発生は四十億年前という説がありますから、意外に早い時期の誕生です。ただし酸素発生型光合成をする生物の出現 は、ずっと後の二十七億年前になります。そして多細胞生物が現れるのは十億年前ですから、今の感覚で生物らしいものは、このあたりから進化を始めたと考え てもいいでしょう。
 五・五億年前には大気中の酸素が急増して、硬骨格生物が出現しました。四・五億年前になるとオゾン層が形成され、生物は上陸を開始しました。その後、生 物の進化は加速度的に早くなります。恐竜が絶滅して哺乳類が台頭したのは六千五百万年前、そして人類が類人猿から分岐したのが四百万年前、現人類の直接の 先祖の出現は、わずか二十万年前です。その人類が全世界に分布したのが二万二千年前で、この頃に最後の氷河期が終って気候が温暖になり、農耕が始まりまし た。そして一万五千年ほど前、メソポタミア、エジプト、中国、インドの四カ所で、ほぼ同時に文明が開花しました。
 現在も使われている西暦は、メソポタミアから始まったキリスト教を起源としていますが、大まかに言って、各文明が分立していた時代から、相互の交流で世 界史が成立するようになった時代の始まりを、元年にしていると考えてもいいでしょう。とはいうものの、エジプト王朝は紀元前二千年より前に全盛期を迎え、 紀元前に滅亡していますし、古代ギリシャ・ローマ文明も、中国の古典時代も、インドの仏教王国も、すべて紀元前の出来事です。ですから、人類の文明史の時 間尺度としては、西暦紀元前二千年あたりを元年とする暦法がふさわしいのかもしれません。しかし今さらそんなことを言い出しては混乱が起こりますから、私 も西暦に従うことにします。
 紀元後になっても、十四世紀頃までは、各地域の文明は基本的に相互に独立していました。十三世紀のモンゴル帝国による西方進出などの例はあり、また、遠 い外国の存在は互いに知られていて、交易や技術の伝達なども行われていたのですが、それらが歴史の本流になることはありませんでした。どの歴史教科書を見 ても、近代以前の世界史が、ヨーロッパ、アジアなど、各地域ごとに記述されているのはそのためです。
 全世界の人口はほぼ五億人で増減せず、科学技術の進歩は非常にゆっくりしたものでした。繰り返される戦争に使われる武器も、刀と槍と弓矢のままでした。



志村建世のブログ: 20080923
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2008年9月25日
08/09/25

巾着田の曼珠沙華

下駄を突っかけて野方の駅まで自転車で、その先は西武電車で西へ、高麗の巾着田へ行ってきました。
 

曼珠沙華とは、なんと烈しい花か。一途に真っ赤に燃えるのは、歌の言葉の通りです。

コスモスの向うに日和田山。

彼岸花(曼珠沙華)の似合う風景。

以前から気になっていた高麗駅近くの廃墟。文字をよく読んだら、製材所の跡でした。


07:36:31 みどり :  下駄履き姿で散策、いいですね。
空気も澄んでいたことでしょう
噂の巾着田の曼珠沙華、圧倒される赤さですね。
  
 秋桜畑も心惹かれます。此方では秋桜畑はあまりみません。毎年、花屋さんで束を買い無造作に花瓶に差し入れ愉しんでおります。

 空き家には奇妙に心が騒ぎます。
余談ですが、石垣島で天文台へ向かう時でしたが、姪が一筋道を違えてしまいました。雑草の生い茂った山道を行きますと、大きな建物が半ば朽ち、農場とサイロなどが傍らに放置されていたのです。
志村様
が其処においででしたら、此方の写真のように興味津々、一編の記事になったことでしょう。
 
 色々見せて頂きありがとうございました
09:49:32 志村 建世 : ファンダー一杯が花になる場所へ、一直線で行きました。昨日の撮影、予備カットは1枚しか撮っていません。撮りたいイメージが決まっていました。最近は無駄撮りが非常に少なくなっています。
 廃墟というのは、なぜか心を引かれます。「在りし人々の営みの記憶」でしょうか。
志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより

OB会
OB会 (画像) 現役を引退してから数々のOB会に顔を出している。小学校から大学までの、生徒学生として学んだ仲間たちの集いは勿論だが、職業人としての同窓会もたくさ んある。 大学の卒業送別会で、古参教授が一度就職したら女が嫁入りしたのと同じで生涯そこで励めとテーブルスピーチしたあとで、アメリカ帰りの若手教授は気に入ら なかったら帰ってこいとやって満座を笑わせた丁度就職観が変わり始めようとする頃、私は財閥系会社に就職し、以後、子会社への出向、学校への移籍はあった が、ついに定年まで一度も自己都合による退職はやらなかった。 その会社には昔から綿々と続くOB会があり、会社の強力なバックアップで機能している。OB会は一つだけでなく幾つもある。旧財閥全体のもの、その会社全 体のもの、子会社だけのもの、事業所単位のもの、ここら辺までは公式のものだが、あと私的にその時のヘッドを囲む会が幾つもあって全部出席すると大変であ る。自己都合退職者は会員にはなれぬ。つまり企業への忠誠心が最低の会員の条件である。 子会社にもいろいろある。親会社の影響力が低いところほど出向者は異文化体験することになる。持ち株比率50%以下の子会社に出向移籍したOBの会と言う のが誘ってくれたので出かけていった。私が移籍になった国立の学校は持ち株比率ゼロ%だから会員の資格があるというのである。 出向移籍は概していい結果を生む。過去のない世界では実力一本だから何となくぬるま湯にいた人たちが目の色を変えて働くからである。そういう人たちの集ま りだから親会社の悪口会なんだと隣に座った人は云っていたが、出てから永くなっているから知っている親会社も過去になって、結局昔話に花を咲かせて終わっ た。 OB会など退屈で共通の話題は過去しかなく出席に意義を感じない人も多いだろう。そのOB会の出席率は50%だったからまあよく集まった方である。大都会 だと人人人だけれども住んでいる人は田舎以上に孤独である。皆てんでバラバラで勝手に生きているから、互いに助け合う場がほとんど無くお隣の主人すら見た ことがない。今更OB会などと思ったが、都会砂漠に住む人々には良いオアシスになっているのかも知れぬ。 これからはますます核化して努力しなければ周囲に誰もいない人間になってしまう。私は結果的に終身雇用であったが、個人の努力だけでは多分できなかった数 多くの知己を一つの会社に「我慢」したことにより作れた。平均して引退後20年近く生きねばならぬ。その分を考えて重厚な会社に誠実に最後まで勤めるのも 一つの道である。 ('97/10/06)
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お年寄りは輝いているか
お年寄りは輝いているか (画像) 韓国に滞在した人たちはその土地のお年寄りは輝いて見えるという。一家の食事はお年寄りが箸をつけぬ限り始まらないし、乗り物ではお年寄りに席を譲らぬ人 はない、と聞かされる。中国では親の扶養は義務である。そのシステムはそれなりに老人に安心と余裕を与えるであろう。 私たちの大半は核家族で、二世代三世代で暮らしている人はわずかである。だから食事の作法の老若間の躾などは一般にはもう伝わっていないのが普通である。 正月とか法事とか行事めいた会食の時だけは昔の作法が頭をもたげる家庭もある程度ではないか。いつもは同居していても老人は引退者として遠慮がちである。 乗り物のシルバーシートはいつの間にか関東では廃止になった。我が国では老人と分類するされるのには幾分抵抗感が伴うようである。混んだ乗り物の中で席を 譲られる老人ははたから見て誰でも弱者と認められる人である。矍鑠とした人は無視されまたそれを多分本人は当然としている。 四十何年か昔私らは大台ヶ原を抜けて瀞峡へ向かっていた。バスは混んでいた。すると座っていた婆さんが二十台になったばかりの私らに席を譲るというのであ る。土地の人間だから山道のバスは慣れている、おまえたちはたいそう疲れているようだから遠慮するなと無理矢理一人を座らせた。座らされた男はすっかり恐 縮して外ばかり眺めておった。 百の説法よりで私はそれからは弱者らしき人特に婆さんには席を自然に譲ることができるようになった。 ハワイのバスは前半分はシルバー用になっている。空いているときは誰でも座れるが混みだして老人が入ってくると替わらねばならぬ。替わらないと運転手が大 声で注意する。やられるのはそんなルールを知らない観光客たちである。私は髪の毛が白いせいか老人扱いになった。なんだかあまり嬉しくなかった。でもシル バーシートなんて名前だけ付けてあとは乗客の勝手にさせるよりははるかによい。張り紙だけでお茶を濁す程度ならルールなど作らなくて良い。ルールを破るな ら運転しないぐらいの迫力で乗客に迫るのでなければどんな運動も有名無実に終わってしまう。 家族に老人が居らぬ。親は実践で接し方を子供にやってみせるチャンスは少ない。いっぽう確実に老人だけの所帯は増加している。教育の出番が来ているのでは ないですか。 ('97/10/04)
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京都帝国大学の挑戦
京都帝国大学の挑戦 (画像) 博覧強記を強いる教育から創造性重視の教育を、というのは今のマスコミ全般の論調である。外国からの導入できるものはもうとっくに仕入れてしまった後では 日本オリジナルが今後を左右するのは明らかであるから。 しかし百年前マスコミも入れて日本は折角芽を出し掛かった創造性重視教育をよってたかって潰してしまった。数少ないノーベル賞フィールズ賞の受賞者の大半 がその大学関係者であることにわずかにその教育の余香を嗅ぐことができる。「京都帝国大学の挑戦」とはそんな内容の本である。京都帝国大学の法科大学の 話、今の京大法学部である。著者は名大教授である。 当時の法科大学卒業生はまずは高文合格を目指す。今の国家公務員一種である。だから博覧強記が当たり前で週30時間4年間与えられたとおりのカリキュラム で必死に講義ノートを取り、丸暗記して試験に臨む。試験では師説どおりに記述せず私説を論じたりするとまず合格はおぼつかないと言う教授もままおったとあ る。東大に関する記述である。 新設される京大の教授に任命されたのは東大を優秀な成績で卒業しそろってドイツに留学した若手が大半を占めていた。ドイツは当時学術のメッカで世界から留 学生が集まる場所であった。日本留学生はドイツ学術の隆盛の神髄を大学の制度の中に次のように見いだす。 大学に十分の自治を許せるごとき、教授方法を自治に任ずるごとき、学生に科目選択の自由を与えるごとき、試験制度をもって学生を束縛せざるがごとき、教授 の選任を教授会の投票に委任するごとき、学生に自由転学を許すごとき、生気ある学問研究を重んじる精神の発動に出たるものにあらざるはなし。けだしドイツ 人は・・・・・学問の進歩、人物の養成は拘束を脱せしめ、自治自修自制の精神を発揮するにありとなせるもののごとし。 学生どもをできるだけ自由にさせる代わりにゼミナールと卒業論文でばっちり締め上げる。世間はおおむねこの新進気鋭の学者たちの理想を好意的に受け止め た。何だそんなこと今では当たり前だ、と思うのだがその内容は東大とは全くかけ離れた方式だったのである。 しかし卒業生たちの高文試験の結果は東大に比べてさんざんだった。ほとんど合格ゼロなのである。官吏登用試験目標と学問人物目標では当然かも知れぬが、 ちょっと差があり過ぎるというので著者は原因を追及する。 学生の質が悪いのではないか。そこで同じ高校からの学生の高校時代の成績を比較する。あまり変わらぬ。結局行き当たるのは選考委員が全部東大教授ないし卒 業生と言うことである。今でも同種の問題が時折表に出るが、「師説でなければ落第」式の評価をする場合に限らず、東大生は試験官が教える予備校生だから全 く有利と云うことになる。これはこの東大出の著者が云っていることである。 高文の結果は京大の首を絞めた。東大、政府、議会それから新聞に叩かれて創造性重視教育法は幕を下ろし総長学長教授は辞任、京大は第二東大の道をたどり始 める。高校生の人気はがた落ちとなり一時は定員を満たさぬ大学になった。 もったいないことをしたものである。教育法の評価に高文合格者数しか頭になかったためか、とことん純粋宗族(この場合は東大100%)でないとおさまらぬ ためか、あれほどドイツに傾倒しながら大学の自由だけは許せぬ神国であったためか、とにかく日本は100年経って臍を噛む結果になった。以前に云ったこと だが、5%の共産党(少数派のこと)は脱線転覆を防ぎ場合によっては救世主になる可能性を残すという意味で必要である。 京大はそれ以後も大学自治について何度か文部省といざこざを起こした。鳩山一郎との確執は滝川事件として有名である。彼も大学の自由を肯定できなかった。 いま彼の孫たちが同じ大学を出て政治家になっている。彼らの滝川事件論を聞いてみたいものである。 進学の相談を受けたときには話題にして欲しい一冊である。 ('97/10/02
足助の民芸玩具
足助の民芸玩具 (画像) 名鉄西中金で下りバスに乗り換えて15分も行くと昔の宿場町足助に到着する。近代化以前は飯田街道に三河からの足助街道がつながる交通の要所であった。紅 葉の名所として知られているが、私が訪れたのは紅葉にはまだ早い季節であった。 山間の渓流に沿った細長い集落で観光地として以外に取り立てて云うほどの産業はないようだった。旧街道筋の町らしく古い家並みや寺々お宮が過去の繁栄を物 語る。山の手に向けて両脇を土蔵が並ぶ狭い路地があって、その風景をカメラマンが何人も写真にしていた。丁度お宮の祭礼の日に当たっていた。子供御輿が通 るのを見た。 三州足助屋敷という今風に云えばテーマパークがある。明治の豪農の家を再建し、当時の生活を実演してみせる。自給自足に近い生活だから何でもある。その一 角で実用品あるいは玩具の竹細工を実演している場所がった。たいがいの製品はよそでも見られる品だったが、一つだけ目新しい品があった。 長さ40センチほどの竹の柄に鋸のような目をたてる。先端にプロペラを釘で押さえている。プロペラは釘の頭により柄から脱落しないようになっている。釘よ りプロペラの穴の方が緩いため釘の周りをプロペラは楽々と回転できる。 ここで別の竹筒で竹柄の鋸状の目の一方の縁を擦るとプロペラが回転を始める。擦る位置を反対側にすると回転は逆方向に変わる。竹筒の往復運動をプロペラの 回転運動にしているのが何とも面白く珍しかったのでそのおもちゃを一つ買ってみた。 鋸の目は竹筒の直線運動を高い周波数の振動運動に変化させるためである。では何故竹の柄の上下振動が回転運動に変わるのか。どうもはっきり判らない。鋸の 目を通して幾分角度をつけて加えられる力は縦横両方の振動を与える。力は大きさも方向も人の手だから不揃いだ。竹も天然物だから粘弾性体として均一ではな い。それに竹の柄の断面は円ではなく矩形である。これらが釘の加速度ベクトルを回転させる。とまあ一応理屈を付けたが、も一つ釈然としない。どなたか名答 をお願いします。 おもちゃで理由の判らぬもう一つは独楽である。特殊な独楽で、これは京都物産展で買った。回すための芯はあるが回転下面までは突き出ていない独楽で、胴は 半球状である。その球面の中心で回転を始めるが、しばらくすると突然180度ひっくり返り傘をさすような姿で回転を継続する。重力とコリオリの力、さらに 回転軸が動いて断面の回転軸に対する対称性がなくなったために発生する遠心力が、転覆する船の重力と浮力の関係になるように、胴の形状が造られているよう にも思うが、も一つはっきりしない。どなたか名答をお願いします。 (パソコン通信の会議室にこの文を載せたら山崎とおっしゃる方が戸田盛和「コマの科学」岩波新書, 1980を教えて下さった。普通のコマが時間と共に真っ直ぐに立って静止したようになるのと同じで、原因は床との摩擦力がコマを立てるトルクとして働くた めとあった。しかしよく考えるとどうも言葉に誤魔化しがあってますます分からない。定性的にものを教える限界はこんなモンだなと感じた。) ('97/09/17)

老コンサルの残日録
建設業経営のこころ テーマ:ブログ むか~しの話です、復帰直後の沖縄の会社に10年ほどお世話になりました。離島振興の復帰景気に海洋博景気が重なって建設業は沸立っていました。ところ が、当時の沖縄県内業者には施工管理という考えはありません、工事を受注し施工しても赤字が膨らむばかりでした。H建設も同様です、銀行融資の道は閉ざさ れ町金融からの融資でやり繰りしていました。 やがて施工管理レベルが上ってきて、ドンドン利益が出るようになりました、高金利の町金融からの借金を返しましたが、まだ銀行からの借金はカナリ残ってい るんです。ところがH社長はどういう考えか分かりませんが、島内に何台もない超高級外車を買い社長車運転手を雇いました。私は辞めさせてもらいました。 昔の話です。都内で木造住宅建売業者の施工店をやってきたA工務店に10年ほどお世話になりました。元請で箱物(店舗・集合住宅など)を中心にやるように なったんですが、ヤハリ施工管理の意識・知識がなく、売上が増えるほど赤字が増える始末です。施工管理のやり方、提案営業のやり方…を勧め、やがて素晴ら しい会社になりました。でも財務力はマダマダです。 ところが、その頃からA社長の奇行が目立つようになりました。自宅をタダで作ったり(自宅の工事費をお施主様から頂いた請負工事の原価に押しこんでしまう こと)、米国に中古ホテルを買ったり…社員が血みどろになって働いたのに、です。私は辞めさせてもらいました。 余り古くない話です。借金だらけで銀行に苛め抜かれながらも立ち直った関東の会社があります。業態変革をしたものの、総合建設業の経営のポイントが解らな かったようです、やがてそのコツを掴んで蘇生しました。でも、私がお世話になっている他社と較べると収益力・財務力は極めて弱く、例えばその会社の自己資 本は売上が同じ位の会社のそれの20分の1位なんです。オーナーは、会社の状態が水面上に顔を出したのを汐に息子さんに社長を譲り会長になりました。その 後は実務からホトンド離れています。 彼の会長報酬には目を剥きます。他社では、後継社長を真剣にサポートしながらも、その報酬は社長より遥かに低く抑えます。ところが、彼の場合は会社の財務 内容もマダマダ脆弱なのに、現職社長の報酬の何倍?優良同業企業の現職社長の何倍?この地方では超ブランドの別荘地に土地を買い別荘を新築中です。口あん ぐり、何を考えてるんだろ?前期は工事の多くが繰り越し(来期の売上)になったので赤字だったんです。これまでお付合い頂いた会社の社長は、ほとんど、そ んな時には自分の報酬をカットしたものなのに。 私にしたら上記の2社と同じようなニオイを感じます。会長からは『後継社長を宜しく』とは言われていますが、この会社もやがて辞めさせてもらう事になるで しょう。 会社は法律的には株主のものです、中小企業は会長・社長=株主です、が社員がいて初めて会社が成り立っているんです。『会社は公器』です。絶対に会社を守 らなければならないんです、倒産させてはいけないんです。公正な利益を上げ続ける収益力と銀行(悪の権化)に頼らない自己資本を蓄えなけばならないんで す。ソレなのに…。前の苦しい時はソウでもなかったのにどうしたんだろ?やはり上記2社と同じニオイです。 北海道に、誰もが認めるT建設という優良建設業者があります。O会長が息子さんに社長を譲って4年です。O会長の言葉『いい会社を作って50点、チャンと 会社を譲って50点、マダマダだね』。過日のこと、新社長が悪馴れで、どうも会長が社長の頃のような緊張感に欠けてる、タガが緩んでいる、ことに気がつき ました。 幹部会議の席上、会長に言いました『会長、この30年間、会長も私も臆病で気が小さいもんだから、いつも、倒産という恐怖に追いかけられてここまで来た ね、振り返って<ヤット逃げ切った>、逃げ足を少し落として振り返ると<背中をつかまれそう>でまた逃げて、逃げて逃げて逃げまくってここまで来たんだよ ね、ところが最近は…社長はじめ幹部社員は倒産するかもしれない、という恐怖を感じているんだろうか?』。 沖縄のH建設、都内のA工務店、風の便りに聞きました、私が辞めさせてもらって10年位経ったころ姿を消したとか、そこまでは私の責任ではない、と思いま す。ホントに苦しい時代を乗り切った時に『〇〇さん(私の事です)、お蔭様で…、ホントにささやかでお恥ずかしいですが…』、何かをキッカケに私にも特別 賞与を下さる会社がたくさん有りました、そんな時は私も素直に『皆さんが頑張ったからです、有り難うございます』と頂戴します。上記3社には、そんな気配 は微塵もありませんでした。別に、期待してるわけではないのでカマイマセンが。 建設業経営の心と要諦、自分と会社を取り巻く総て(特に社員)に、<お陰さまで>という気持ちの持てない、そして<分相応>を弁えない経営者を頂く社員は カワイソウです。私は、付き合いたくない人(会社)からは遠ざるだけですが、社員はソウはいきません、最後は退職するばかり、ですもの。極めて長文ですみ ません。
鵜飼俊男の感想
最近新境地を開かれたようですね。あるいは・・・なにか決意をなさったか。愛読者としては、貴重な御体験が聞かせてもらえて感謝いたしております。