2008年9月24日水曜日

志村建世のブログ

2007।7.3

おじいちゃんの書き置き・102

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

漢字と日本語
 
 日本人が漢字と出会ったのは、不運な歴史の始まりだった。隣の国がたまたま中国だったおかげで漢字を輸入してしまったのだが、じつはこれが、日本語を書 き表すにはもっとも都合の悪い文字だったのだ。もしも日本の隣国がアメリカだったら、日本人は苦もなくローマ字表記を開発して、その後の日本語を順調に発 展させたことだろう。
 中国の人たちは、かなり早い時期から言葉を文字で書き表すことを始めていた。その際に、意味を持つ一語を一つの文字で表す表意文字を発達させた。表意文 字つまり漢字は、それ自体が意味を持っているから、発音が多少ぶれても文字さえ見れば意味は正しく通じる。中国で漢字が発達したのは、広い国土に早い時期 から政治権力が成立したことと関係がありそうである。ともかく中国は、今の世界では少数派の表意文字の国になった。
 漢字は意味を正しく伝えるのが長所だが、伝えたい意味内容の高度化とともに際限なく文字数が増えて行くことが短所になる。その短所を補うために、部首による文字の系統化と、複数の文字を連ねる漢語が発達した。
 大和朝廷が成立するまで、日本には文字がなかった。だから大事なことは語り部と呼ばれる専門職の者が話として記憶することになっていた。数字とか国の名 とか、多少は記号のようなものは使ったかもしれないが、漢字以前の「やまと文字」の確認されたものは残っていない。しかしそれは必ずしも文化の低さを意味 しない。漢字が輸入されてすぐに記録された万葉集の表現の豊かさを見ても、それはわかる。
 言葉を文字で書き表すことを学んだ日本人の前には、漢字しか文字がなかった。だから「やまと言葉」を漢字の音だけを借りて書いてみたのだが、日本語の一 つの音に対して一つの文字を当てて行くのでは能率が悪いことこの上ない。「いのち」は「伊能知」、「おほみや」は「於保美也」と、短い言葉も難しい漢字の 行列になってしまう。それに日本語の音を表すには五十字もあれば足りるのだから、字の種類が多いのはかえって混乱のもとになる。そこで比較的早く特定の漢 字の省略と記号化が進んだ。それが今も使われている「ひらがな」と「カタカナ」である。これこそ日本人の創意工夫による大発明だった。
 だが、事はそれほど簡単ではなかった。日本語の表記のためなら「かな文字」を発明しただけで済んだ筈なのに、漢字文化があまりにも魅力的であり過ぎたの である。漢字の読み書きを覚えた日本人は、その豊かで正確な表現力にすっかり圧倒されてしまった。そして漢字の音を借りるだけでなく、その意味も表現内容 も、つまりは漢字文化を丸ごと輸入して使い始めてしまったのである。そのかげで発展途上だった「やまと言葉」は健全に発達する機会を失ってしまった。一種 の文化侵略が始まったのである。

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