2008年9月29日月曜日

志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより


大利根博物館


佐原にある県立の博物館である。千葉には、いったい幾つの博物館美術館があるのだろうか。風土記の丘とか資料館房総村と云ったものもその一種だし、国県市町村立のもの全部を勘定に入れたら随分になるだろう。「ちばの博物館」という結構分厚い本が出ている。
時代劇で江戸の女郎が年増になって落ちて行く先が木更津であったり、お富さんの相手役切られ与三の墓がやっぱり木更津にあったりでどうも 昔は文化はつる所と云ったイメージが千葉にあったのかも知れない。東京の隣の何県かの中では文化的に遅れている雰囲気の県だから肩に力が入るのかも知れな い。
私の住まいから距離で60km弱自動車で2時間弱で行ける位置である。近くにこれは佐原市立の水生植物園がある。アヤメの季節にはおすな おすなの見物客がごったがえす。ハナショウブは400種を数える。さらに水郷12橋の風情も有名である。アヤメ、ハナショウブ、カキツバタだけではなく睡 蓮、蓮も数多くの種類が集められている。ちなみに睡蓮と蓮は間違えやすいが、普通は科が違う植物として分類される。残念ながら私が訪れたこの時期はもう とっくに花が終わって何もない時であった。誰一人入って居らなかった。赤トンボが乱舞していた。
隣のうなぎ屋もホテルも休店していた。私は川沿いに車で回ってみたのだが、12橋めぐりの船も岸につながれたままで一隻も運航していなかった。花が無くなれば全部が止まる。季節のある観光地である。
このあたりは干拓地である。江戸時代に書かれた地図では水面が大きく描かれている。それを囲ってポンプ場を設置し水を汲み上げて農地を造成した。取り替えた旧式のポンプが博物館の屋外に展示されている。800kwぐらいの大型ポンプであった。
利根川で捕れる魚を展示している。鮭は剥製でこれは今では見られないのだろう。うなぎ、フナ、鯉、なまず、メダカ、マス、亀。長細い魚は 何故か土管のねぐらが好きなようだ。在り来たりの魚だが、生きた姿で見るのは久しぶりである。それぞれを小型の水槽で別個に飼っている。メダカだけは何か と同居していた。メダカは絶滅が心配されているという。小鳥は全て剥製で録音の声が聞ける。ほか狸、イタチなどここらに住む小動物の剥製。
漁具の中では竹籤で編んだ細長い籠状の多分ウナギを捕る仕掛けの種類が豊富であった。海運盛んな頃の佐原の町の模型。江戸に通った運搬船 の模型と櫓、舵の実物。蒸気汽船に変わった頃の船の模型。運賃表を見ると米100俵が8円、ビール100箱が10円と出ていた。その他農耕具の展示など。
収蔵品展として印半纏(しるしばんてん)の展示をしていた。大家がお出入りの職人にお仕着せとして印の入った半纏を与え着用させたという。一例だけ違っていたが、その他は全部濃紺色の地にマークを白くたまには色つきで浮き上がらせてあった。
淑徳裁縫女学校というのがあって桜花に淑徳と入れてあった。淑徳は今もその地に学校として存続しているはずである。井桁に山、井桁を円で 囲ったものもあって住友との縁を想像したりした。我が家の家紋が角切り三目で丸亀の京極家と近いが、系図上は鎌倉時代の佐々木源氏に源を同じくするのと同 様に、案外な関係があるのかも知れぬ。

('97/10/30)

人間はどんな国を作ってきたか(通算29)

どんな国が「よい国」なのか

 ちょっと見回しただけでも、世界にはさまざまな国があります。人口の大きさだけ比べても、十億人を超える大国もあれば、総人口一万人にも満たない 小国も国連に加盟しています。どんな国でも表決権は同じ一票という国連総会の原則は、たぶん大きな虚構の上に成り立っているのでしょう。国連に縛られたく ないアメリカの気持がよくわかります。
 ところで、どんな国が「よい国」なのでしょうか。それには国民にとってよい国という条件をつけましょう。統治者にとってよい国は、気ままな独裁が許される国かもしれないからです。今ではそんな国は少数派でしょうが。
 中国の伝統的な政治思想に、理想の善政は国民に政府の存在を意識させないというのがあります。伝説上の聖人であるぎょう尭帝の時代に、食足りた老人が 「太平の世に皇帝など要らない」と歌ったと、「十八史略」が記述しています。苛酷な徴税や徴兵が民を苦しめることは猛虎の恐ろしさ以上であると、孔子も説 いています。民は自らの働きで幸せな暮らしを築こうとするもので、それを守るのが政治だという思想がそこにはあります。
 しかし自然災害に対しては治山や治水の工事が必要ですし、盗賊の害には治安を守ってくれる武力も必要になります。隣人同士のもめごとには、公正な裁きを してくれる第三者がいないと困ります。そんなこんなで人間の幸せは、自治であろうと他からの強制であろうと、何らかの政治システムによらなければ保障され ないのです。
 マルクス主義では、革命が完成した後は国家が消滅することになっていますが、それは大衆の上に立つ権力装置が不要になるということで、労働者階級による理想の自治が行われることを想定しています。そのような自治は、やはり国家と呼ぶべきでしょう。
 いずれにしても、最大多数の最大幸福を保障してくれるのがよい国家だということには異論がないでしょう。すると、人間にとって何が幸福なのかということ が次の問題になります。これも異論のなさそうなことから列挙すると、不本意に殺されない、自由を奪われない、衣食住に困らない、教育を受けられるといった 人間として必要な最低限の条件を満たすこと、つまり国民を不幸にしないことが、よい国の第一の条件です。そしてこの条件は、ある程度は世界共通の基準を作 れそうです。
 この基準を満たした上で、努力したら報われる、正直者が損をしない、個性的な能力の発揮が評価される、将来に希望が持てるといった前向きの条件を、より 多く満たすのが、よい国と呼べるのでしょう。この前向きの部分では、何を幸せと思うかという価値判断は、個人により違ってきます。つまり底辺の支えは広く 強固で、能力に応じて伸びる可能性に対しては、なるべく制約の少ないのが「よい国」の条件なのです。

2008.7.30

たったひとりの反乱


今日の表題は、今夜10時からNHK総合で放送される実録ドラマのタイトルです。緊急のお知らせですから、今日の記事は、これだけにしておきます。
 扱われているのは、6年前の狂牛病騒ぎのときに、牛肉の買取処分制度を悪用して安い輸入牛を国産と偽装し、国の補償金を詐取した雪印食品を、冷凍倉庫会 社の社長が告発した事件です。私は、ほんの数日前にこの事件の記録「正義は我にあり 西宮冷蔵・水谷洋一の闘い」(ロシナンテ社編著・アットワークス発 行)をネット注文で取り寄せて読んだばかりです。書評として紹介しようと思っていたのですが、今朝のテレビの予告を見て、偶然の一致に驚きました。
 事の次第は、告発の功労者であるべき小企業が、業界と官庁の集中攻撃にさらされて営業停止処分を受け、廃業に追い込まれようとした、ということです。 「ヤバイことになる」と親会社に何度も忠告しても無視され、止むなく警察に通報した冷凍倉庫の社長は、不正な伝票を作成したという形式的な法令違反を問わ れて処分されました。「雪印の社員に囲まれて、指示通りに書かされた」という弁明も、「伝票を書く前に知らせるべきだった」として受け入れられなかったそ うです。
 それとともに、取引先は次々に契約を打ち切って、西宮冷蔵を苦境に陥れました。告発するような危険な業者は排除したいという業界団体の圧力と、そこに天 下りを送り込んでいる官庁の意向が反映している疑いを、濃厚に感じさせる成り行きです。結果として会社は電気代を払えなくなって営業を停止し、全社員を解 雇せざるをえなくなりました。
 ここから水谷社長の「たったひとりの闘い」が始まります。街頭にのぼり旗を立てて座り込み、「まけへんで!」と訴えつづけました。ついに「西宮冷蔵を再 建する会」が結成されて応援カンパが始まり、会社は2004年から営業を再開したということです。昨年には「ハダカの城」という映画も制作されて、上映活 動が行われています。
 くわしい内容は、私も今夜のテレビに期待しているところですが、現代日本を象徴するような「巨悪」に対しても、戦って勝てる場合があること。そのためには「勇気をもって立ち上がる最初の一人」と、そこにつながる人々の輪が必要であることを教えてくれるようです。

鵜飼俊男の感想

りっぱな発言。毎日600人が見に来るだけのことはある。



戦争絶滅へ、人間復活へ」を読む


むのたけじの新刊「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書)を読みました。93歳になる生涯現役ジャーナリストの、むのたけじ(武野武治)が、「その うち岩波新書を1冊書く」という約束を、黒岩比佐子の聞き書きで果たしたものです。新聞記者として戦前から活躍し、戦時中は従軍もした経験があり、終戦とともに責任を感じて朝日新聞を退社。その後は郷里の秋田県横手市に住んで週刊新聞「たいまつ」を独力で発行しました。一貫して権威に頼らず、世を正すことを新聞記者の本分とした人です。
 戦前から戦後そして現代にいたる日本の現代史のすべてを見てきた視点には、独特の鋭さがあります。たとえば憲法9条について、「あれは軍国主義の日本に 対する死刑判決だった。その一方で、世界人類の理想でもあった。」という2面性が本質だというのです。その本質を論じないで、戦争責任についても「天皇の 命令だから仕方なかった」で誰も責任を感じなかった。そのいいかげんさが今も尾を引いて、危ない状況を作り出している、ということです。
 また、今のマスコミの状況については、上っ面だけを追いかけてもニュースにもならない。だからどうなのかを伝えなければ報道ではない、と辛辣です。さら に現在の世界について、資本主義だけになってしまっていいのか、という深刻な疑問を投げかけています。私は、この部分にいちばん興味がありました。ご本人 が書いた「結び書き」の中には、「レーニンと毛沢東への判決」という、痛快な一文があります。
 「……振リ回シタ旗ニハ社会主義ト書イタガ、マッカナニセモノダッタ。現実ニハ富国強兵ノ国家主義、ソノ典型ダッタ。ニセ社会主義ガ本物ノ資本主義ニ負ケルノハ当然ダ。」と論断して、永眠を命じています。私もこれには同感です。
 共産主義・社会主義の典型例は、まだ地球上に存在していません。多くの失敗例があるだけです。しかし無視できない部分的な成功例があることも事実です。 人間同士の助け合いと非暴力を実現しているという意味でなら、北欧の福祉国家やカナダなどは、社会主義の理想を、かなりの程度まで実現しているように見え ます。根っからの社会主義者を自任するむのたけじに、意見を聞いてみたいものです。

人間はどんな国を作ってきたか(通算28)


アラブとアフリカの国々

 私たち日本人にとって、アラブもアフリカも何となく遠くに感じられる国々です。アラブ諸国といえば、イスラム教を信じアラビア語を話す人たちのいる国というイメージですが、イスラム教もアラビア語も私たちにとってはなじみの薄いものです。
 イスラム教の起源はユダヤ教、キリスト教と共通です。旧約聖書に登場する創造主がこの世のすべてを支配するという一神教を基礎として、もっとも原型に近 い信仰を維持しているのがユダヤ教であり、ユダヤ教の改革者として出現した預言者キリストが広めた信仰がキリスト教になり、さらに最後に遣わされた預言者 ムハンマド(マホメット)による信仰がイスラム教になったものです。ですからイスラム教の中にはユダヤ教とキリスト教を保護すべしとする思想はあっても、 異教として攻撃する姿勢は、本来ありません。しかし現代では、キリスト教とイスラム教の間には大きな違いが出来てしまいました。
 キリスト教国は宗教改革を経て、科学技術の発展や民主主義による政治と宗教の分離に成功したのに対して、イスラム教国は砂漠の国の厳しい自然環境に由来 する特異な信仰の形態を、ほとんど原型通りに残したままで近代を迎えたのです。イスラム教国で、信仰が人々の思考や行動を規制している影響力の強さは、お そらくキリスト教の比ではないでしょう。こういう国に民主主義を根付かせるには宗教者の意識改革が不可欠で、そのためには数世代もの時間がかかることを認 識すべきだと思います。
 アラブ世界の南方につながるアフリカ諸国は、現代世界の悩みを集中的に抱え込んでいる国々です。五大陸の中で最多の五十四カ国を数えながら、その多くは 経済的自立さえも危うい状態です。ヨーロッパ諸国の植民地として、十九世紀末から八十年にわたり分割統治された歴史の刻印は、公用語の一覧表を見ただけで もわかります。現地語の影は薄く、フランス語、英語、ポルトガル語、アラビア語、スペイン語と並んでいて、まるで語学学校の科目表のようです。こうした国 々が自国の文化を育て、近隣諸国と良好な協力関係を築いて行くことがどれほど難しいか、想像に余ることです。
 さらに一部の資源国を除いては投資先としても市場としても魅力に乏しいため、先進国の関心が低く、援助が行き届きません。そして多くの国が部族の対立に根ざす内戦を収拾できず、また、エイズの蔓延に苦しんでいます。
 アフリカ諸国の困難な現状について、身勝手な植民地支配を続けたヨーロッパ諸国が重い責任を負っていることは明らかです。しかし出来てしまった現実に対 しては、全世界が協力して、アフリカの内部から生まれたアフリカ連合(AU)による再生計画などを支援しながら、改善の道を模索して行くしかありません。

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