2008年9月25日木曜日

志村建世のブログ: 20080924
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2008年9月25日
08/09/25

天皇の玉音放送(6)

私は今までに一度だけ、「終戦のときに天皇制を廃止しておくべきではなかったか」と思ったことがあります。安保闘争の嵐の中で行われた総選挙の最中 に、立会い演説中の社会党・浅沼委員長が、壇上で右翼の少年に刺殺されたときです。日本の国内に、救いようのない過去の亡霊が残っていることを直感したの でした。
 それともう一つ、私は少年期から、「自分が天皇だったら」と空想することがよくありました。その感覚で考えると、明治憲法よりも早く「軍人勅諭」で陸海 軍を統率する大元帥となった天皇には、内閣を超えて軍を動かす統帥権があったのです。軍が統帥権を盾にとって文民統制を拒否するようになったとき、天皇に だけは軍を抑える大権がありました。少なくとも支那事変以降の戦線拡大を抑制していたら、大日本帝国は第二次世界大戦に参戦することなく、戦後のアメリカ とソ連に拮抗する第三勢力の中心になれる可能性があったと思うのです。
 昭和天皇の晩年の心の中には、さまざまな悔恨があったに違いないと私は想像します。A級戦犯合祀後の靖国神社への参拝中止は、その表れの一つだと思いま す。さらにもう一つ、天皇が残した負の遺産は、ナショナリズムと親米との奇妙な癒着でした。その歪みは、天皇がアメリカの庇護に頼ったところから始まった のです。
 しかし、とにもかくにも、私たちの前にあるのは今の日本です。天皇の私物つまり「権威に服して統治される」という観念を完全に払拭した、「人間愛に結ば れた私たちの国」でありたいものです。その条件が満たされるのであれば、古代伝説の時代につながる系譜を持つ皇室の存在は、国の看板として大切に保存する 価値があるでしょう。
 最後に「君が代」という歌についてです。私の妻は最近「君が代の曲は好き」と言っていました。歌としての君が代の問題点は、曲の音数と歌詞が合っていない(作詞で言う「字足」が揃っていない)ことです。私は次のように歌いたいと思います。

日の本の国 ときわに栄えよ
さざれ石の 巌(いわお)となりて
山に 聳(そび)ゆるまでも

「君が代」ならぬ「日の本の国」を歌ってくださる合唱団はありませんか。ピアノ奏者と指揮者がいると好都合です。先に発表した「わが国は」と合わせて、CDを作りたいと思っています。

Posted by 志村 建世 at 12:04:46 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ソーシャルブックマーク このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーをlivedoorクリップに追加 このエントリーをYahoo!ブックマークに追加

人類百世紀の概観(通算83)

人類百世紀の終りに当って

 この章は九九九九年、百世紀が終る前年に身を置いて書くことにします。来年は百世紀最後の年、そして再来年は百一世紀に入るというので、いろいろ 記念の行事が予定されているようです。私も百世紀までの歴史を概観して、私の考え方を具体的な形として理解していただくための資料にしたいと思います。
 地球の誕生は四十六億年前、そして生命の発生は四十億年前という説がありますから、意外に早い時期の誕生です。ただし酸素発生型光合成をする生物の出現 は、ずっと後の二十七億年前になります。そして多細胞生物が現れるのは十億年前ですから、今の感覚で生物らしいものは、このあたりから進化を始めたと考え てもいいでしょう。
 五・五億年前には大気中の酸素が急増して、硬骨格生物が出現しました。四・五億年前になるとオゾン層が形成され、生物は上陸を開始しました。その後、生 物の進化は加速度的に早くなります。恐竜が絶滅して哺乳類が台頭したのは六千五百万年前、そして人類が類人猿から分岐したのが四百万年前、現人類の直接の 先祖の出現は、わずか二十万年前です。その人類が全世界に分布したのが二万二千年前で、この頃に最後の氷河期が終って気候が温暖になり、農耕が始まりまし た。そして一万五千年ほど前、メソポタミア、エジプト、中国、インドの四カ所で、ほぼ同時に文明が開花しました。
 現在も使われている西暦は、メソポタミアから始まったキリスト教を起源としていますが、大まかに言って、各文明が分立していた時代から、相互の交流で世 界史が成立するようになった時代の始まりを、元年にしていると考えてもいいでしょう。とはいうものの、エジプト王朝は紀元前二千年より前に全盛期を迎え、 紀元前に滅亡していますし、古代ギリシャ・ローマ文明も、中国の古典時代も、インドの仏教王国も、すべて紀元前の出来事です。ですから、人類の文明史の時 間尺度としては、西暦紀元前二千年あたりを元年とする暦法がふさわしいのかもしれません。しかし今さらそんなことを言い出しては混乱が起こりますから、私 も西暦に従うことにします。
 紀元後になっても、十四世紀頃までは、各地域の文明は基本的に相互に独立していました。十三世紀のモンゴル帝国による西方進出などの例はあり、また、遠 い外国の存在は互いに知られていて、交易や技術の伝達なども行われていたのですが、それらが歴史の本流になることはありませんでした。どの歴史教科書を見 ても、近代以前の世界史が、ヨーロッパ、アジアなど、各地域ごとに記述されているのはそのためです。
 全世界の人口はほぼ五億人で増減せず、科学技術の進歩は非常にゆっくりしたものでした。繰り返される戦争に使われる武器も、刀と槍と弓矢のままでした。



志村建世のブログ: 20080923
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2008年9月25日
08/09/25

巾着田の曼珠沙華

下駄を突っかけて野方の駅まで自転車で、その先は西武電車で西へ、高麗の巾着田へ行ってきました。
 

曼珠沙華とは、なんと烈しい花か。一途に真っ赤に燃えるのは、歌の言葉の通りです。

コスモスの向うに日和田山。

彼岸花(曼珠沙華)の似合う風景。

以前から気になっていた高麗駅近くの廃墟。文字をよく読んだら、製材所の跡でした。


07:36:31 みどり :  下駄履き姿で散策、いいですね。
空気も澄んでいたことでしょう
噂の巾着田の曼珠沙華、圧倒される赤さですね。
  
 秋桜畑も心惹かれます。此方では秋桜畑はあまりみません。毎年、花屋さんで束を買い無造作に花瓶に差し入れ愉しんでおります。

 空き家には奇妙に心が騒ぎます。
余談ですが、石垣島で天文台へ向かう時でしたが、姪が一筋道を違えてしまいました。雑草の生い茂った山道を行きますと、大きな建物が半ば朽ち、農場とサイロなどが傍らに放置されていたのです。
志村様
が其処においででしたら、此方の写真のように興味津々、一編の記事になったことでしょう。
 
 色々見せて頂きありがとうございました
09:49:32 志村 建世 : ファンダー一杯が花になる場所へ、一直線で行きました。昨日の撮影、予備カットは1枚しか撮っていません。撮りたいイメージが決まっていました。最近は無駄撮りが非常に少なくなっています。
 廃墟というのは、なぜか心を引かれます。「在りし人々の営みの記憶」でしょうか。

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