2008年9月29日月曜日

「老コンサルの残日録」http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/より


中山国交大臣の辞任

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前代未聞の出来事です、麻生内閣が発足し5日目にして中山国土交通大臣が辞任しました。拉致問題で著名な中山恭子さんのご主人です。これまでは、遠藤農水大臣が、8日間で辞任、最短記録保持者だったと思いますが記録を塗り替えました。でも、オカシな事件ですよね。


成田空港問題で『ごね得』発言、中山さん、国交省官僚に嫌われたのかも。新大臣が就任すると、担当省の官僚がレク チャーします、門外漢(モンガイカン)では実務面で困るからです。レクチャー時に、大臣就任で舞い上がった新大臣が問題発言し、結果的に彼等の望みどおり 辞任に追い込まれるように、リード・洗脳・マインドコントロールします。その、うまく行った例が今回の事件です。中山さんの失言です。私の考え過ぎかな。


『日本は単一民族』発言、国民の中で、アイヌ民族がどれだけ意識されているでしょうか、と言うくらい同化していると 思うんです。『日本は単一民族』、普通に使う言葉ですし、アイヌ民族の団体からクレームがついて『アッ!ソーカ!』という感じです。民族の誇りは敬うべき です。でも、このような事から世界中で民族紛争が起きているんかなあなんて思うのです。中山さんの失言です。私の考え違いかな。


『日教組』発言、中山さんが我が身を投げ打って(?)衆院選での自民党の劣勢を挽回するために発言したんじゃあない かと思うんです。つまり、道徳心なき日本になったのは日教組のせいだ、日教組は野党の応援団だ、衆院選で野党が勝つと今まで以上に日教組がのさばり更に道 徳心なき日本になる、だから衆院選での投票は自民党へ、日教組をぶっ壊せ。


国民・マスコミの日教組への関心が高まって、日教組の旧悪(?)が暴かれる、そうか野党に勝たせてはいけないな、ど うしょうもないけど自民党に任せるしかないか。麻生内閣発足時の支持率アンケートは全紙50%を切っています、解散時期をづらそうかという考えもあるよう ですが自己都合を言い立てる公明党がウンと言うかどうか、の問題もあります。


しからば次の一手、誰か知恵の廻る人が中山さんに『後の事は悪くはしないから』と言い含めて…なんて。でも、中山さ んの『日教組』発言は失言ではなく確信発言でしょう。日本人の道徳心喪失の原因のひとつは日教組、と考えている人はたぶん多いと思います。大臣発言なら ニュースになるから、と中山さん、考えたかも。私の考え過ぎかな。

沖縄の動植物相


私は中学以来の虫屋で、蝶を専門にしている。といっても本当に熱中したのは中学2年生と3年生の頃である。学校の生物班にはまってしま い、先輩連に連れられてあちこちへ昆虫採取に行った。今は採取は止めて蝶々ウオッチングとしゃれ込んでいる。私には貴重な、心に潤いを与えてくれる趣味で ある。ただ旧制最後の中学生だったので後輩は学校解散まで全く入学してこなかった。だから先輩から学んだものを後輩に伝える機会はついに来なかった。その 点は今でも残念に思っている。
旅行に出ると蝶に直ぐ目が行く。沖縄には図鑑か標本でしか見なかった蝶が自然の中で飛んでいる。バスから降りたわずかな時間に出会う蝶だ からそう種類は多くないが、一番鮮明な印象はシロオビアゲハが止まったときであった。オナガかジャコウか判らない後翅が細長いアゲハも見た。あとの二種は 本州にも普通にいるはずの蝶だが、私には初めてであった。
琉宮城という観光客相手のレストランに併設されて蝶園があった。オオゴマダラがわんさとおって悠々と花に集まる。四国の土小屋から石鎚山 にいたるルートで私は一度アサギマダラを手づかみにした覚えがあるが、このマダラもまったくののんびり屋である。赤い花が大好きで丁度花盛りのブーゲンビ リヤに群がるが、赤い帽子を被るとそれに集まる。これがその蝶園の見せ物である。おばさん連の人気を惹き付けている。
蝶園にいるのは飼育されている蝶である。しかしこの蝶園を取り囲む林では、一部は蝶園を逃げ出した奴と云うが、ツマベニチョウが大きな飛 翔を見せてくれる。なかなか敏捷で滑空が早い。シロチョウ科とは思えぬ飛び方で止まって羽を広げると前翅の先端の紅色が鮮やかである。イシガケチョウは蝶 園の飼育箱の中で見た。そとにも群を作って飛んでいるというのでしばらく眺めていたが現れなかった。
ロバとたいして変わらない小さい琉球馬、昔は砂糖黍を絞った水牛、毒蛇のハブ、海岸に出れば無数の白あるいは薄い青の珊瑚、気根の下りた マングローブ、タコノキ、椰子に芭蕉はそう多くは見なかった。松食い虫の被害が出ているという琉球松。パイナップルは酸性の土地でないとだめだそうで中部 より北だそうだ。南に行くほど動植物相は豊かになる。そして私の育った環境とはたしかに違った内容である。日本も広いんだと思った。


('97/10/29)

異国琉球


伝承の民謡を耳で理解するのは私には不可能である。しかし文字に直して少し解説して貰うと日本国内の大抵の民謡の意味は不完全でも理解できるようになる。方言も同じだ。昔大学生の頃つまり今から30年ほど前に急行(当時は急行だった)日本海で北海道を目指したとき、新潟から北になると車内の話し言葉は全く理解できなかったが、純粋の東北弁かて文字にすればかなり判るのである。
しかし琉球の言葉は文字に直しても多分ほとんど判読不能である。漢字混じりにした文でもまず大意を取りかねる。ふりがなで漢字の発音がか なり我々本州人と違っている事を教えられる。秘密のかなりは母音が三種でa,i,uしかない所にある。我々のeはi、oはuとなる。この琉球語が日本古語 を残していると知ったときは驚いた。平安時代の「侍り」が残っている。(外間守善「沖縄の歴史と文化」中公新書,1986)京都と首里の方言の近接度から 推定すると弥生時代から古墳時代に日本祖語から分かれたとある。(比嘉春潮他「沖縄」岩波新書,1963)
島津には植民地的に扱われ、明治以降も差別され続けた上に二次大戦では最大の犠牲を払った人々が祖国に日本を選んだ理由は同文同種同語で ある。同文同種までなら宗主国中国及び日本以外の中国文化圏とはずっと漢文でのおつき合いであったから中国も一つの候補だったであろうが、そんなけぶりは チョットもなかった。北端の辺戸岬に日を決めて行進し日本最南端に向けて日本復帰を叫んだとガイドさんが云う。
朝鮮語は日本語と同じアルタイ語系という。しかし琉球語よりははるかに離れた存在で、共通する基本語はあまりない。互いに分派した民族同 士であるとしても何千年も昔の話であろう。朝鮮人の悪口に、日本人は朝鮮での生存競争に負けて落ちていった連中の末裔と云うのがあるそうだ。百済が新羅に 負けて多くが日本に亡命したのは史実だし、古墳には半島出身と思われる人物の墓がある。しかし同語にはほど遠い。DNA解析も南方系がかなり入っていると いう結果だったように思う。逆に非同語と朝鮮の歴史文化への自信が、日本の植民地化に対し、沖縄とは正反対の反応を呼び起こしたのであろう。
明を滅ぼし200年以上清として中国を支配した満州族が民族としての意識は今や希薄になっているのにたいして、朝鮮族の民族意識は高揚し ている。政治上の理由もあろうが、数えれば有史来500回を越えるという外敵の侵略を受けた民族が、民族性保持のために自動的にあるいは本能的に動き出す 機能として内に作り上げているのかも知れない。
首里を含む琉球古城、独特の墳墓、伝え聞く巫女の祈りと土地の神々、どれも異国情緒である。古城の城壁は中国風であるが、町を取り囲まな いところは日本と同じか。屋根瓦のシーサーは鬼瓦の変形か狛犬の沖縄版か。死者が母の胎内に戻る意味という独特のお墓。何度でも行きたいと思った沖縄旅行 であった。

('97/10/29)

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