2008年9月24日水曜日

志村建世のブログ

おじいちゃんの書き置き・103

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

漢文という不思議な読み物
 
中国との交流を始めた日本の指導者層は、漢字文化の習得につとめて、日本国内の公文書も漢文で書くようになった。漢文は文字の通りに中国文の意味だから、 これは公用語に中国語を採用したことになる。ところがここに抜け穴があって、単語の意味も音もそのまま輸入したのに、文法だけは古来の日本語を変えようと はしなかった。これは漢字が表意文字だからこそできたことで、ヨーロッパ系の言語では考えられないことである。
 漢文がいかに不思議な表現法で成り立っているかは、英語を漢文の方式で読んだらどうなるかを考えるとよくわかる。たとえば I go to school. は、返り点と送りガナを加えて、「 Iハ school へ (toにふりがな)goス」と読むのである。冗談のようだが、明治時代の初期には実際にこの方式で英語を教えようとしたことがある。単語の意味さえわかれ ば、これでも英文を読むことはできるのだ。ただし英米人に通じるわけはない。
 話を漢文にもどすと、漢字の行列に返り点や一二三、上中下などの記号をつけるのは、中国語と日本語とでは語順つまり文法が違うからである。だから漢文は 日本語の一種なのだが、その内容は漢語の羅列で構成されている。ここから、本来は外国語だった漢語が、日本語の一部であるかのようなあいまいさが生まれて きた。さらに一部の漢字は、その意味をとって日本語つまり訓を当てて読むことが習慣になったので、問題は余計に複雑になった。同じ漢字たとえば「東」を、 漢文の中では「トウ」と読み、和文の中では「ひがし」というように、場面によって読みわけなければならなくなったのである。現代の小学生をも悩ませる漢字 の難しさ、いくら覚えても覚えきれない複雑さがここから始まった。
 漢字の本来の音声は、直接に中国人から聞いて覚えた初代の留学生から遠ざかるにつれて、日本的に変形して行った。いちばん重要な変化は、発音する時の声 調の違いによる「四声」の区別が消えてしまったことである。その結果、たとえば「コウ」と読む漢字は中国では四種類に区別されるのに、日本ではただ一種類 で、同音の文字数が四倍に増えることになった。たいしたことではないと思われるかもしれないが、二字三字と重ねる熟語がどうなるかを考えたら、事の重大さ がわかるだろう。二字の漢語は四声を二回組み合わせるから十六通りの区別ができる。三字ならば六十四通りが区別できる。それなのに、日本人の発音では、す べてが同じになってしまうのだ。
 現代の日本語で同音異義語の数がいちばん多いのは、おそらく「コウショウ」という言葉だろう。手もとの「広辞苑」を引くと、この見出しで四十九の項目が 立っている。これでよく会話が成り立つものだと思うが、文脈からの推測と、必要なら「公の傷の公傷です」などと、文字を思い浮かべることで用を足している のである。


志村建世のブログ: おじいちゃんの書き置き
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2008年9月24日
08/09/24

2007.7.5

おじいちゃんの書き置き・104

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

男は漢文、女は和文
 
 漢文は公文書だから、それを読み書きしたのはおもに支配階級つまり男だった。漢文はかなりレベルの高い完成された言語体系だから、学んで使い始めれば、 しんら森羅ばんしょう万象なんでも表現できないものはない。しかも漢文の読み書き能力の高さはエリートの証明でもあるのだから、有能な男ほど競って漢文の 修業に精を出したであろうことは想像に難くない。そこには、本来の日本語である「やまと言葉」を大切にしようなどという意識は、芽生える余地もなかったこ とだろう。
 一方、古くからの伝承を書き残す場合や、和歌の世界、非公式の生活場面などでは、「やまと言葉」が相変わらず主役だったから、これらを文字にするときは 仮名文字に若干の漢語を加えた漢字と仮名のまじり文が使われるようになった。しかし文字はあくまでも漢字が正しい字で、仮名は仮のものとして一段低く見ら れていたに違いない。漢字を意味するまな真名、仮の字のかな仮名という名づけ方からも、それはわかる。
 しかし漢字仮名まじり文を使いこなした女たちは、生活実感のこもった文章表現力をみがき、「源氏物語」などのすぐれた物語文学を誕生させた。日本語は彼 女たちの活躍によって、その豊かな表現力のもっとも良質な部分を後世に伝えることができたと言ってもいいだろう。ただ惜しむらくは、物語文学はその性格 上、人間にまつわる情緒の表現に重きが置かれて、そのごい語彙にもかたよ偏りがあり、人間生活のすべてをカバーすることはできなかった。
 じつはここに、漢字の輸入が悲劇だったことの最大の理由がある。漢文の魅力に取りつかれた男たちは、「やまと言葉」を発達させることをすっかり忘れてし まった。とくにエリートの守備範囲だった政治、経済、科学などの分野では、すべてを漢語で表記するのが正式ということになって、「やまと言葉」の衰退は決 定的となった。
 もしも日本語が漢字と出会わなかったらどうなっていたか、それを想像することは難しい。人体について、「め」「はな」「くち」「はら」などの基本語は 持っていた日本人が、自前で解剖学を手がけるようになったとき、「はらわた」をくわしく区別するために、どんな言葉を発明しただろうか。ローマ字系の文字 に出会っていたら、「やまと言葉」をかなり高度に発達させることができただろうが、今となっては、ただ役に立たない想像をめぐらすことができるだけであ る。
 こうして私たちが今使っている日本語ができあがった。私たちは、ひらがなを多く使って、和語中心の柔らかな感じの文を書くこともできるし、意図的に漢語 を多くして、硬い感じの威厳ありげな文を書くこともできる。それは日本語の魅力であって、同時に難点でもある。そしてどちらも真実なのである。

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