2008年10月18日土曜日

志野原生氏http://www005।upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより

女郎屋の論理


早稲田が系列校に小学校を開設する方針であるという。我が国の小学校は大半がまだ公立である。我が国では、多様な価値観を持つ必要性が、今日ほど強く主張された時期は過去になかった。私立の小学校はその方向に沿っているという意味で、まずは歓迎すべき方針であろう。
官立の小学校にも毛色の変わった学校がある。教育大学、学芸大学、教育学部系の付属学校である。高校より上への進学の条件は一般公立とほ ぼ同じである。付属高校を抱えているところがある。しかし付属と言ってもその大学に優先入学できるわけではない。東大の付属高校卒業生の東大入学率はそれ ほど高くないそうである。
私が私立の付属学校について常に問題に思うのは、同系列上位学校進学の際の推薦枠が付属校に対して異常に大きい点である。早稲田高等学 院、早稲田高校、早稲田実業の卒業生の早大推薦枠を他校と比較して見よ。明らかに不公平である。これは早稲田に限らないだろう。この不公平さ、見え見えの 囲い込み主義を私学が卒業しない限り、私はにわかには私学の拡勢に賛同しかねる。
日本の出身別政治地図は大きく変わった。今の国会議員の出身学校は私立が過半を占めているのではないか。オピニオンリーダー役が、幼稚園 小学校時代から不公平なシステムにうまく乗って、世渡り上手を身につけた人たちで占めるのでは、政治を預ける我々が堪らない。昔は私学出身はマイノリティ であった。その感性が世間を支配するほどではなかった。しかし今はマジョリティなのである。大袈裟に云えば、日本の品格を決めている。
話は変わるが、私は江戸東京博物館で、吉原の遊女の平均寿命を知ってから、遊郭とか遊里、色里をもっと勉強したいと思った。吉原は四方を 塀と堀割で取り囲まれ、出入り口は大門一つとした典型的な囲い場である。移転前の旧吉原は日本橋にあるが、そこにも堀割の跡が細長い緑地になって残ってい る。堀が無くても遊郭の娼婦は地回りに監視され、逃げて捕まると残忍な私刑を受ける。この制度は日本が二次大戦に敗れるまで実質上は持続された。何よりも 自民族の意志では廃絶できなかったことに悔恨を残した。
私は弱味や無知に乗じて人の将来を縛ることに嫌悪を感じる。親ですら世の中一寸先も見えぬ不透明な時代である。進学先がほぼ保証されると 云うことは、二寸三寸先を見通せると云うことで、誰しも飛びつきたい衝動に駆られるであろう。それを餌に生徒を囲い込む。進学先が囲いの外と同じ公正競争 下にあるというのなら別段問題ないが、今の私学は系列優遇により不公正に目を瞑っている。私には、嫌みな表現だが、私学の経営側に女郎屋の主人の論理と同 じ流れがあるように思う。
もう一つ。幼年、少年の青田刈りの問題も見過ごせない。結果として公立にババを預けて、つまりよいとこ取りをした後は公立でという姿勢で ある。義務教育年層の選別は「早稲田の教育理念に憧れた」生徒の公正なくじ引きでやって欲しい。早稲田だけが良ければそれでよい教育なら、弊害の多い機関 として排斥せねばならなく成るであろう。かってはそこの一父兄であったものの諫言である。

('98/01/12)

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