2008年10月16日木曜日

志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより

駒込は寺町


駒込は寺町である。本郷通りの両脇に、白山神社の縦横にたくさんのお寺が並ぶ。営団地下鉄南北線の駒込駅から後楽園駅までジグザクに歩いてみた。
江岸寺、天然寺、円通寺、大運寺。どのお寺も墓石に埋まって窮屈そうである。門前でのぞき込むぐらいにして立ち去る。裏小径は袋小路が多い。結局表に出直した方がよい。
駒込のお富士さん、富士神社、の築山は大きかった。登山記念の石碑がいっぱいある。火消し組の記念碑が多い。纏の図柄と組の名が彫り込ん である。閉じた本殿扉に小さく賽銭入れと書いた穴があった。賽銭箱のようなものでは盗まれるのかな。粗末な社務所があったが、人は居りそうでなかった。
吉祥寺は広いお寺であった。明暦の大火すなわち振袖大火の八百屋お七で有名である。本堂、方丈とも再建のようだが、経堂は大戦を生き残っ たらしい。緑が少ないのはここも同じだが、まだ参道がゆったりとし、本堂前の広場があって静かで落ち着く。東京の寺には鐘楼がないところが多いが、ここに もなかったように思う。正面の門が両脇の土塀と共に昔を思わせる。しかし土塀は直ぐ切れて無くなる。昔の敷地を維持していないのである。駒込大学の前身は ここの学坊である。
南谷寺、徳源院、常徳寺、高林寺、養源院、蓮光寺、光源寺、清林寺、栄松院、常瑞寺、瑞泰寺、一音寺と歩いて白山上に出る。妙清寺を経て 白山神社へ。社殿裏に浅間神社を祭る富士塚がある。富士神社のよりは小さいが鳩の森八幡よりは山らしい。真横が竜雲院で本念寺、浄土寺、寂円寺、竜泉寺と 白山通りを北西に行き一行院にたどり着いた。最後の寺は古い墓石をひとまとめに積み重ね、仏閣らしく建造物門庭などを整備しようとしている風に感じた。
小石川植物園をざっと見て、喜運寺、念速寺を経、こんにゃくえんまの源覚寺に着く。こんにゃくえんまの片目は信心深い女にくれてやったために黄色く濁って見えるそうである。最後のお寺が善雄寺で、そこから南北線の後楽園駅に出た。
歩いたルートを江戸切絵図と比較する。所々寺が無くなっているが、かなりが現存する。ただ境を接して立ち並んでいたお寺が、今では町屋に 浸食されて墓地と本堂と参道を守るギリギリの敷地を残すのみとなっている。二次大戦の後あちこちでお寺の敷地の切り売りの話が続いたが、その現実は特に東 京で激しいことに気付く。原形も想像できないまでに浸食された寺もある。
参詣人には殆どお目に掛からなかった。江戸時代は次々の大火で社寺も全焼が多かったが、そのたびに寄進で復興した。大戦に敗れてからはそこまでの寄進は得られなかったのであろう。仏教は過去の財産で食いつないでいる。
それにしても東京とは何と寺の多いところか。京都育ちが驚くのだから本当に多いのである。深川江戸資料館で館員に聞いたことがある。彼は お大名が寺を運んできたと云った。仏事で明け暮れする日常生活に仏はなくてはならぬ。元からのお寺では急膨張の人口に対し数が足らぬ。勤番侍には滞在中の 寺もいる。お江戸はそれに豊かな消費都市で学識レベルも群を抜いて高い。色んな事が重なってお寺を繁盛させたのだろう。

('98/01/07)

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