2008年10月15日水曜日

志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより


お庭拝見


六義園を見る。川越藩主柳沢吉保の庭園である。明治に入って岩崎弥太郎の別邸となったが、昭和13年に東京都に寄贈されたという。清澄庭 園も岩崎家の寄贈だったように思う。三菱もなかなかやる。四国にいたとき、高専に来た国会議員が住友は文化に貢献しないとか云ったのを直接耳にしたが、調 べると住友もよくやっている。利益還元事業をリストアップすれば、新興成金とか中小財閥とかがやらない代表ではないか。
他に浜離宮、小石川後楽園、清澄庭園、旧安田庭園。私が立ち寄った東京の日本庭園である。旧安田庭園はどうだか忘れたが、それ以外は元は 江戸大名屋敷の庭園である。どれもそれぞれに素晴らしい。よくぞ今日に伝えてくれたものである。関東には寺社の庭園には良いのがない。川越の喜多院ぐらい か。
回遊式というのか、ぐるりと散歩すると30分ほど掛かる広大な庭である。自然の情景を圧縮して箱庭的に配置してある。池を中心に樹木が全域を覆っている。一部芝生地があるのは野点に使う場所か。茶室も池を囲むように点在する。
滝見の茶屋というのがある。人工の滝が流れ、水の音を楽しめるようにできている。昔はこの滝の水をどうして持ち上げていたのだろう。高台 から特別の用水路を取ったのか。日本庭園には滝や谷の工夫が見られることが多いが、平地では場所場所の造園者の技術が凝らされていたことだろう。藤代峠と いう築山がある。結構小高い。土を抑えているのは溶岩である。築山はそのほか池に浮かぶ島の中に二山ある。妹背山という。豪華である。
庭園の空の覇権はどうもカラスが握っているらしい。カアカアとやかましいのはちょっと雰囲気を壊す。NHK-TVで教わったのだが、繁殖 期には巣の近くを通ると、無帽の黒髪頭を攻撃するらしいから剣呑である。庭園を囲む赤煉瓦の塀は一度継ぎ足しているらしい。今は3mはある。油断をすれば 銘木古木が盗まれるのかな。あるいは浮浪者が巣食う可能性があるのかな。
やや時間に余裕があったので小石川植物園に回る。旧東大医学部校舎(東京医学校)の赤煉瓦の前が日本庭園になっている。紅梅が6分咲き白 梅が早いものは2分咲きぐらいであった。六義園でも白梅の1-2本がやはり2分咲きであった。うっすらと匂う。ここは六義園ほどの広さがないから仕方がな いが、造った庭という感じは否めなかった。しかしその横に植物園の台地が迫っていて借景は申し分がない。
ここの森もカラスの天下であった。カリンの実が沢山落ちていた。カラスが全部占拠している。小憎らしいので木の枝をぶっつけてやった。カ ラスも多いと何か不気味である。人間でも一人で急に出くわしたときなどは、真っ黒な人はやっぱり何か本能的に避けたい気が働く。別に人種差別でなく、心の どこかに黒を不気味に思う遺伝的要因があるのだろう。は虫類を恐れる心理を恐竜時代の遺産と言った学者が居るとか。黒に対する恐怖は闇夜を恐れる本能か。

('98/01/07)



http://pub.ne.jp/shimura/?cat_id=84552&page=2志村建世氏のブログより

2008.10.13

「好戦の共和国アメリカ」を読む(1)

「好戦の共和国アメリカ・戦争の記憶をたどる」(油井大三郎・岩波新書)を読みました。アメリカに「好戦国」のレッテルを貼ってしまうのは抵抗を感 じますが、今の世界で唯一、近代戦で国内に深刻な被害を受けたことがなく、基本的にアメリカがする戦争は「よい戦争」で必要なものだとするアメリカ人の意 識はどこから来ているのか、その底流をアメリカの歴史から読み解こうとした本です。
 アメリカの最初の戦争は、イギリスからの独立戦争でした。この戦争を勝利に導いたのは、総司令官であり、初代大統領となったワシントンでした。2度にわ たる独立戦争は、軍事的には、さまざまな幸運に助けられた「辛勝」でした。中でもイギリスと戦っていたフランスが、アメリカの独立を助ける側に回ったこと が決定的でした。
 アメリカ独立までの13州は、それぞれの地域ごとに独立した州の集まりに過ぎませんでした。連邦軍は存在せず、各州が民兵を提供して独立戦争に協力した のでした。州の独立性が強く、軍事的にも州兵の組織があり、市民の家庭や個人ごとにも武装して自衛するという気風が残っているのは、アメリカという国の成 り立ちに根ざしているのです。
 アメリカが本当の意味で統一国家になったのは、南北戦争を経験してからでした。リンカーンもまた最高指揮官として北部をまとめ、連邦からの離脱をはかっ た南部と妥協することなく、アメリカの統一を守ったのでした。奴隷制度の廃止は、ヨーロッパの同情を集め、黒人を戦力として動員する賢明な戦略でもあった のです。
 南北戦争による犠牲者の数は、独立戦争をはるかに上回り、アメリカ国内に深い分裂を残したのですが、その反省は反戦平和の思想運動を残しました。共和党の起源が北部にあり、民主党の流れが、より深く傷ついた南部から起こったというのは、私には興味ある新しい知識でした。
 その一方で、西部の先住民族に対しては容赦のない戦闘が繰り返され、和平の協定は次々に破られて、白人が西海岸までの全土を占領するまで止まることはあ りませんでした。白人同士の「内戦」は、ある程度まで限定的に戦うが、先住民など異民族に対する「外戦」は徹底的に行うという、アメリカの「戦い方の二重 基準」は、やはり歴史に根源があるようです。


「好戦の共和国アメリカ」を読む(2)

南北戦争後も大きな連邦常備軍を持たなかったアメリカでしたが、スペインと戦ってフィリピンを獲得をしてからは、有力な海軍国になりました。第一次 世界大戦では、初めて「民主主義の秩序を守る」目的で、ヨーロッパに大軍を送りました。その姿勢は第二次世界大戦に引き継がれ、ドイツと日本のファシズム を打倒する主役を務めるに至りました。その結果として手に入れたのが、世界を動かす超大国の地位だったのです。
 戦後もソ連圏との対立が続いたため、アメリカの軍事力は外交に不可欠のものとなりました。朝鮮戦争は勝利なき妥協に終り、ベトナム戦争は、アメリカにとって初めての敗戦と言われました。しかしそれも、遠征軍が撃退されただけであって、ベトナムは戦犯裁判も賠償も要求はしませんでした。そして今、かつて共産ゲリラの絶滅を目指したのと同じ熱心さで、アメリカはテロリストの絶滅を目指す遠征軍を送っているのです。
 周知のように、アメリカは自国内で負け戦の悲惨を経験したことのない唯一の大国です。戦争に対する忌避は、悲惨な外国の事例としては知っていても、国民 の間に骨肉化されてはいません。戦争は常に一定の目的をもって国民の合意のもとに戦われ、それぞれの目的を達した「よい戦争」が大部分だったのです。戦争 の惨害についての知識も、負けたら大変なことになるから、負けないような軍備が必要だという理屈に、転化されているふしもあります。
 現代の世界で、アメリカが最大の強国であることは疑いありませんが、アメリカについていさえすれば安全だというのは本当でしょうか。もちろんアメリカを 敵に回したら勝てませんが、さりとて、世界の国が全部アメリカの同盟国にならなければ世界は平和にならないのでしょうか。今のアメリカは、世界のすべてを 同盟国に組み込むことを目指しているように見えます。しかし、そんなことが可能でしょうか。
 折しもアフガニスタンでは、現地政府がタリバンとの対話を試みているというニュースがありました。軍事力が万能ではない平和がありえること、民族や宗教 の多様性を認めること、そして何よりも平等と公正が人々を平和にすることを、アメリカの国民は理解してほしいものです。アメリカとのつきあい方について、 いろいろ考えさせてくれる本でした。

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