2008年10月12日日曜日

「老コンサルの残日録」http://ameblo।jp/tkjsk0231hzannitiroku/より

世界同時金融恐慌:麻生さんへの神風



昨日の=432=梁山会に誤記がありました。最終行『…の再開を期して』は『…の再会を期して』です、お恥ずかしい限りです。


連日、各紙のトップ記事は≪世界金融恐慌≫一色です。もはや米国だけの問題ではなくなりました。急きょ米国で <G7>が開催される事になりました。麻生さんは、この時とばかり『日本はバブル崩壊後の金融恐慌経験者、場合によっては日本が主催国になってサミット を』と言ってます。


大和生命・新井組、リート業者(不動産証券化業者)が倒産しました。大和生命は、元々下位ランクの生保でハイリス ク・ハイリターン投資が主体、保険契約者からの預かり金の安全運用を怠っていたようです。新井組は、前から≪毎日がXデイ≫と言われていたゼネコンで、苦 しいながらも頑張ってる会社も多いなかで<経営ミス>というほかありません。リート、そもそもオカシクも怪しい金融商品を扱っています、エンドユーザーは 永遠にあるの?です。


ここへ来て、衆院選をめぐるニュースは世界同時金融恐慌のそれにかき消されました。麻生さんにとって金融恐慌はマサ に神風です。<世界が、日本が、こんなに大変なときに政治の空白は許されない、衆院選なんてやってる時か?>。解散・総選挙の時期は麻生さんの専権事項で す、時間をかけて自民有利の戦況をドウ作るか、考えるのは当然です。


解散・総選挙が先延ばしになると、戦機が熟した、とばかり臨戦態勢を組んだ民主党の戦気が下がります。もはや、選挙 事務所を構え電話も引いてしまった候補者もあるとか、民主党はセツないでしょうね。軍資金は自民党に及びません、自民党による民主党への兵糧攻め、かも知 れませんね。ただし、友党の公明党がドウ出るか、興味が湧きます。


与党の緊急対策、≪発想の貧弱さ≫のひと言です、これでホンとに景気を刺激し、不況対策と倒産回避の役に立つの?レ ベルです。どうやら、赤字国債も、という話も出てきました。完全に従来型の自民党政治に戻ります。こんな国難のときに、金利政策も採れず、大型財政出動も 取れないような日本にした自民党政治に戻りそうです。


為替、日本円だけが独歩高というのはドウ考えてもへんです、また何処かで金融悪魔が笑っているのかも。被害者の1人として、怒り!


志野原生氏http://www005।upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより

神せん


伊勢神宮の神殿は我が国の太古の建築様式を残している。お伊勢さんの神せんは同様に太古の献立を受け継いでいるのであろうか。
千葉県立安房博物館でその記録ビデオ(NHK)を見た。600人(神職は内80人)の職員によって伊勢神宮の伝統は脈々と現代も引き継が れてゆく。朝夕欠かさず神せんがなんと100何十ある各社に供えられると云う。供物は神社の田畑で自給される。魚も昔は社領で獲ったものという。
甑(こしき)で蒸したおこわが飯である。餅は小判型の独特の姿をしている。野菜は大根と蓮根。後世に入ってきた白菜なんぞは神せんに加 わっていない。鯛の塩漬け、アワビの干物。この干物はアワビを薄く干瓢状に切って干したものである。果物に栗、柿。素焼きの器に、あるいは三方に直接に、 円形の木の葉を敷いて乗せ神に捧げる。煮物や焼き物は飯以外はなかった。
近頃はあちこちに石器時代や古墳時代の住居が復元され、その中では人形が当時の生活を再現して見せてくれる。関東に来てからもいくつか見 せて貰った。一番最近では芝山町のはにわ博物館だった。魚を直火であぶっている風景が記憶に残っている。甑は可能でも、煮物はあの埴輪のような素焼きの器 では無理かなあ。神せんと合わせて先史時代の食事とはまあこんなものかと思う。佐倉の歴博で見た奈良時代の食事との大きな差は汁物、煮物だろうか。
オーストリア銀器博物館から来たハプスブルク家の食卓を見る。金銀の燭台、センターピースに食器類。見事な彫刻線刻が施されている。緑色 の食器一式。絵付け皿の数々。あちらの彫刻に絵は生々しい。顔も体もリアルで写実的である。新聞では絶賛されていたが、センターピースはともかく、とても こんな食器で飯は食えないと思った。私には毒々しく写るのである。図案は象形的抽象的で、時には空想の生物であったりする、あえて純白を避けた磁器に慣れ た目には合わないのである。あるいは漆椀のような柔らかな感覚の品がよい。
こんな食器で王宮の人たちはドイツ料理を食ったのだろうか。フランス文化が浸透していたからフランス料理であったのか。メニューが展示し てあったかどうか記憶にないが、どうせ解説なしには判らなかったろう。メニューの解読はチョットやソットの語学力ではだめなのである。器の展覧会だからと いって見ればそれまでであるが、これでどんなものを食ったのかを教えないのは、見ている方をお預けのワンちゃん的気分にさせる。だいたいは現代のフランス 料理から想像が付くけれど。
神せんと「王せん」ではえらい差である。神代から今日までの人間の進歩を改めて思い起こさせる。

('97/12/29)


http://pub.ne.jp/shimura/?cat_id=84552&page=2志村建世氏のブログより






2008.10.11

公務員特権化の悪弊


昨夜は、民主党議員・長妻昭の集会に行ってきたのですが、そこで語られた「ながつまビジョン」のうち、公務員と「一般国民」とが分離されている問題にしぼってレポートしてみます。
 長妻議員のところに、社保庁の地方幹部の一人が訪ねてきたことがあったそうです。消えた年金問題について懺悔の気持があり、本音の話を聞いてもらいたい ということでした。いろいろ情報交換したあとの感想として、「もしも社保庁が公務員共済年金も扱っていたら、こんな無様なことには絶対にならなかった」と 言ったそうです。
 考えてみると、社保庁の職員は公務員であり、仕事として扱う「一般国民」の年金は、職員にとってはすべて「他人の金」です。だからこそ勝手な使い込み も、記録のいいかげんな管理も、平気でできたというのです。それに対して公務員共済は別な会計で厳密に管理されており、もちろん使い込みも記録の消失も全 く起きていません。こういう話を聞くと、日本の国には「公務員」と「その他一般国民」という、二つの階級が別々に存在しているように思えてきます。
 対策は明らかで、社会保障は全国民に対して公平でなければなりません。収入が同じなら、身分にかかわらず保険料は同じで、給付も同じでなければ筋が通りません。つまり社会保険の一元化です。
 社会保障の一元化は、総論では誰でも賛成ですが、自公政権でそれが推進できるかというと、話は別です。現在の日本における、政策についての最高の意思決 定機関はどこかというと、それは形式的には首相が主催する閣議ですが、長妻氏の観察によると、実際上の最高意思決定機関は、各省庁から集まる政務次官会議 だということです。総理や大臣が何を言おうと、官僚の幹部は知らないし、ほとんど気にもしていないというのです。
 この12月からは「官民交流センター」が発足しますが、これは官僚天下りの公然たるあっせん機関です。しかし特別扱いせずに公務員退職者もハローワーク で仕事を探すことにすれば、ハローワークの職員は必死で求人開拓に努力するようになるでしょう。ここにも社保庁と同じ構図があります。
 官僚を国民のために働く組織に変えるのは、長年の癒着に頼る「間接統治」では不可能です。官僚の幹部に大幅な「政治任用制」を導入する民主党の改革でそれを実現するというのが、長妻氏の主張でした。


70代からの情報革命(2)


 今にして思えば、ワープロを使い始めたのは情報IT化の入り口だった。タイプライターは筆記用具の延長という感じで、大学の卒論は英文タイプライターで打つ程度にはなっていたのだが、盤面を見ないで叩くブラインドタッチまでは習熟しなかった。
 ワープロを使い始めるとき、入力を「かな」にするかローマ字にするかで選択肢があった。ローマ字の方が字数が少ないから合理的のようだが、タッチ数は増 える。両方試しているうちに、見た通りの文字がすぐに出る「かな打ち」の方が簡単明瞭で親しみやすいように感じた。文字の配列が五十音順でないのに文句を 言いながらも、しばらくすると文字の位置は短時間で探せるようになった。
 ワープロの威力を実感したのは、単語登録とコピーの機能についてだった。漢字のつづく長い単語でも、登録さえしておけば、かな一文字で呼び出すことがで きる。「ろ」は「労働組合」、「ろき」は「労働基準法」といった具合に、何度も使う言葉が瞬時に画面に並ぶのは快感だった。住所も「しょ」だけで東京都か ら番地まで全部書けてしまう。これを使いこなすようになってからは、手書きよりもワープロの方が、絶対速度でも早くなったと思う。
 この辞書機能の面白さに一時期ははまり込んで、ひまな時間に辞書を開いて、自分が使いそうな言葉をどんどん覚えさせたり、使わなくなった語彙を削除した りして、「自分の辞書」づくりに精を出したこともあった。面白くてやめられなくなり、しばしば徹夜してしまった。もっとも、使わない言葉の削除は、当初は 記憶容量を無駄使いしたくなかったのだが、使わなければ順位が下がるだけなので、途中からは気にしなくなった。
 字体は明朝とゴシックの二種だけ、字の大きさは10.5ポイントだけで、強調したいときは横または縦の二倍にするか、正体の二倍文字にできるだけだった。今から考えると不便なものだが、当時の必要に対しては、充分な機能だと思っていた。
 罫線の引き方も簡単だった。縦または横の線を文字と同様に並べるだけでよく、細罫と太罫があった。縦横の交差も、角になる部分も、きれいにつながるのに 感心した。斜線を引くことはできなかったと思うが、この機能だけで、かなり複雑な案内地図を作ることもできた。今の word にもこの機能があったら、どんなに便利かと思っている。
 ワープロを使うことで、私の書く台本は、どこへ出しても恥ずかしくないものになった。記念すべきワープロ台本の第一作は、民社党の代議士会長だった岡田 正勝氏のために書いた「岡田正勝・その人と歩み」で、作品としても自信作だった。昭和58年(1983)7月のことである。


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