2008年10月3日金曜日

朝日新聞社説


橋下TV発言―弁護士資格を返上しては

 歯切れのよさで人気のある橋下徹・大阪府知事のタレント弁護士時代の発言に、「弁護士失格」といわんばかりの厳しい判決が言い渡された。

 山口県光市の母子殺害事件をめぐり、橋下氏は昨春、民放のテレビ番組で、少年だった被告の弁護団を批判し、「弁護団を許せないと思うんだったら懲戒請求をかけてもらいたい」と視聴者に呼びかけた。

 その発言をきっかけに大量の懲戒請求を受けた弁護団が損害賠償を求めた裁判で、広島地裁は橋下氏に総額800万円の支払いを命じた。判決で「少数派の基 本的人権を保護する弁護士の使命や職責を正しく理解していない」とまで言われたのだから、橋下氏は深く恥じなければならない。

 この事件では、少年は一、二審で起訴事実を認め、無期懲役の判決を受けた。だが、差し戻しの控訴審で殺意や強姦(ごうかん)目的を否認した。

 少年の新たな主張について、橋下氏は大阪の読売テレビ制作の番組で、弁護団が組み立てたとしか考えられないと批判した。弁護団の懲戒を弁護士会に請求するよう呼びかけ、「一斉にかけてくださったら弁護士会も処分出さないわけにはいかない」と続けた。

 こうした橋下氏の発言について、広島地裁は次のように判断した。刑事事件で被告が主張を変えることはしばしばある。その主張を弁護団が創作したか どうかは、橋下氏が弁護士であれば速断を避けるべきだった。発言は根拠がなく、名誉棄損にあたる――。きわめて常識的な判断だ。

 そもそも橋下氏は、みずから携わってきた弁護士の責任をわかっていないのではないか。弁護士は被告の利益や権利を守るのが仕事である。弁護団の方針が世間の常識にそぐわず、気に入らないからといって、懲戒請求をしようとあおるのは、弁護士のやることではない。

 光市の事件では、殺意の否認に転じた被告・弁護団を一方的に非難するテレビ報道などが相次いだ。そうした番組作りについて、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は公正性の原則からはずれるとして、厳しく批判した。

 偏った番組作りをした放送局が許されないのは当然だが、法律の専門家として出演した橋下氏の責任はさらに重い。問題の発言をきっかけに、ネット上で弁護団への懲戒請求の動きが広がり、懲戒請求は全国で計8千件を超える異常な事態になった。

 橋下氏は判決後、弁護団に謝罪する一方で、控訴する意向を示した。判決を真剣に受け止めるならば、控訴をしないだけでなく、弁護士の資格を返上してはどうか。謝罪が形ばかりのものとみられれば、知事としての資質にも疑問が投げかけられるだろう。




「老コンサルの残日録」http://ameblo।jp/tkjsk0231hzannitiroku/より

遊女の平均寿命


平均寿命はその国の平和度、経済事情、福祉状況、衛生状態その他なにやらかやらの総合的バラメーターである。長寿になればなったでまたそれ独自の問題が出てくるが、概して寿命は社会の目出度さを示す指数で、長いほど一般には幸せな暮らしやすい社会を示すであろう。
江戸東京博物館で平均寿命22歳と言う説明文を見た。男女平均して80歳を越えようかという現代からは考えられぬ若死にである。それは吉 原の遊女たちの平均寿命である。江戸時代の日本人はどれぐらいの寿命であったのか知らないが、人生僅かに50年と謡われたのが戦国の末期故もう少し伸びて いたのだろう。もっともこの50年には死亡率の高い乳幼児期を生き抜けた人の寿命であろうから、今の統計に云う0歳児の平均余命と言う定義ではもう少し低 い値ではないか。それでも22歳は平均の半分以下であろう。
文明の一切及ばぬ未開地帯の平均寿命が20歳代後半だったと思う。これはジャングル地帯の話で、寒い地方はどうだったか。生活様式風土気 候に大きく左右されるであろうが、集落を作る以上はある程度の年齢が必要で、たぶん南とそう変わらないだろう。縄文弥生時代のお墓から大祖先の平均寿命を 計ると30歳前後だったように記憶する。これは佐倉の歴博で見た。22歳は太古と比べても異常に若い。
吉原の遊女の平均寿命が判るのはたぶん投げ込み寺のおかげである。過去帳が残っていたのか、あるいは人骨から測定したのか。だいぶ昔だ が、この投げ込み寺の集中死体投込み穴の調査が行われたという記事を読んだことがある。女郎は一匹二匹と犬猫と同じ単位で数えられ、まともな埋葬はされ ず、名を残した大夫以外は無縁仏であった。着物ははぎ取って回収し、物体のように一つ穴へ放り込んだそうである。
吉原は江戸の文化を飾る華であった。そこで22歳なら底辺の売春地帯ではどのくらいだったのだろう。残念ながらこちらは投げ込み寺に相当 する場所がないから判らないのだろう。吉永小百合が主演した伊豆の踊り子で十朱幸代の女郎が死後菰にくるめられて適当に埋め込み処理されるシーンがある が、そんな風だったのだろう。
吉原は管理売春だけではなかったけれども、22歳は幸せ度の指標としては誠に残酷な数値である。こんな、今の感覚で云えば全くの恥部をか かえながら、世界では全く希有な300年の平和を持続し、これも世界では全く希有の道徳的社会を作り、しかも来るべき帝国主義列強の侵略あるいは産業革命 期への準備が調いだしていたのが江戸時代の日本である。では恥部だけを取り外してもやっぱり同じ様な歴史を辿り得たかと考えるとどうもあやふやである。書 店で見た本の題名ではないが、か弱い男とふやけた女が、アダルトチルドレンという大人になれない大人がうようよしだした日本にいるとどうも否定的である。

('97/12/08)



http://pub।ne.jp/shimura/?cat_id=84552&page=2志村建世氏のブログより

政治の説明責任


昨日の記事についてhanameganeさんからいただいたコメントで、政治の説明責任ということを考えました。医療でのIC(インフォームド・コ ンセント)が不十分だと、医師は訴えられて裁判で有罪とされることがあります。政治の説明責任不履行を、厳しく問責する方法はないものだろうかという趣旨 でした。
 昨日の裁判員制度もそうですが、話題の「後期高齢者医療制度」をめぐる混乱などは、政府の説明責任放棄の典型のような事例です。これで困窮した人たちが提訴したら、政府は敗訴するのではないでしょうか。少なくとも庶民感覚の「裁判員制度」なら、間違いなく、そうなるでしょう。
 ところが現実には、政府の失政は処罰されることがありません。それに似た機能があるとしたら、次の選挙で支持を失って政権から遠ざけられる可能性があ る、ということだけです。これがまた、これまでの日本では、ほとんど有効に機能しませんでした。政権党は解散権を握っており、自らに有利と思うタイミング でなければ総選挙を実施しないからです。現在の野党がいくらがんばっても、確実に解散・総選挙に持ち込める決め手を欠いてるのは、そのためです。
 そこで国民が総選挙を請求する方法はないものかと考えてみました。地方自治法では、首長も議会も、住民の3分の1以上が署名して請求すれば、住民投票が 行われて、その過半数で解任することが可能です。人口40万人以上の場合は、超えた部分は6分の1の署名で足ります。いわゆるリコール制度ですが、これを 国会に対して応用できないでしょうか。
 具体的には、「国会の解散を求める国民投票」の制度です。全国規模ですから、請求の署名は、全有権者の6分の1、あるいは、1割程度でも充分でしょう。 その請求が成立したら、国民投票にかけ、過半数だったら、国民が国会を解散して総選挙を行うのです。そのような「国民投票法」ならば、政治を国民に近づけ る大きな力になるでしょう。そういう法案を通す国会にするためには、やはり次の総選挙を待たなければならないのですが、一つの新しい目標になりそうな気が します。


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