2008年10月1日水曜日

志野原生氏http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/WELCOME.HTMより

日本人価格


香港のホテル料金が軒並みに日本人に対してだけ特別高い価格に設定されている不条理を突いた毎日新聞の記事は、中国文化と日本文化の相違 を改めて認識させる近来にない特ダネ、大スクープだった。中国返還後の行政長官の初来日直前だったから非常に効果的だった。今日(11/06)の夕刊に は、ホテルが一斉に差別価格表を取り消したニュースが載っていた。その為だけでもないだろうが、香港旅行の日本人は以前の4割ほどに激減しているそうであ る。
岡田英弘「妻も敵なり-中国人の本能と情念-」クレスト,'97は全く刺激的な内容で、大げさに云えば、ページを繰るごとにエエッエエッ と思わせる、今まで見たことも聞いたこともない内容である。その中に中国人は神とさえ取り引きすると言う項があって、願い事が叶う占いがでるまでだんだん とお供物お賽銭を格上げ値上げして行く参拝の仕方を説明してあった。ホテル代金も交渉次第で、値切れないのは客の負けと言うことか。その負け組に日本人と いう輪郭があるのだろう。値段交渉をする場合は例外で、日常の消費生活の殆どは正札取引である我々とは文化が違う。そして我々が頻繁に行き来する社会は殆 どこのタイプである。
世に漢文民族は居るが、漢民族は居らぬと言う話も鮮明であった。漢文とは四書五経を主体とする儒教教典である。歴代の王朝は異言語部族民 族の行政用コミュニケーション手段にこれらの教典の文言を厳密に標準文章語として採用した。儒教の教えそのものはとうに死んでいるという。儒教の精神を実 地に徹底して実践したのは李朝朝鮮であった。我々世代までは論語は中国思想の中核として理解に勤めたから、朝鮮に対しては役立ったかも知れないが、中国を 途方もなく買いかぶっていたことになる。進出企業の敗退続出は当然かも知れない。
漢文を我々は送りがなと返り点などで和文化している。だからちゃんとした言語と思っているが、それは全くの嘘で、白文では教養ある中国人 ですら意味が取れない、品詞の区別さえ付かぬ不完全言語だという。4000年前の儒教グループの不完全言語体系をそれこそ死守してきた漢字民族には恋愛小 説など不毛であった。言葉を表さぬ文字体系では男女間の微妙なやりとりなど書き表せないからである。この話も青天の霹靂であった。
いち早くその難点に気づいた毛沢東はローマ字化を推進したが、たちまち漢字民族の弱点、つまり言葉は収拾がつかなくなるほど種類が多い問題にぶっつかり、表意文字ではどうにも統一できない民族であることを再確認して終わったという。
自分の所属に忠実な人たちという。逆に自分のムラに居らぬ相手は全くの他人、外国人、敵対者である。どこまでが彼らの彼らの考えるムラ人 であるかが問題であろう。我々の社会だって他人に対する警戒心はある。無条件で他人を受け入れたりしない。だが読む限りでは彼らの社会では我々とは段違い にムラ人と他人の間の障壁が高い。朝鮮人についての書物にも類似の記載があった。しかし韓国に出た企業に出向した人たちはムラの側までは近づけたと感じて いるようだ。それが中国ではなお一層難しいのではないだろうか。

('97/11/25)


親に貰った名前


北朝鮮から日本人妻が30何年ぶりかで祖国を訪れた。何もかも異常であった。
近くにありながら、北朝鮮が、国交がないと言うだけで30何年も里帰りを許さなかった事がまず異常である。朝鮮戦役の米軍捕虜が北朝鮮側 の外交カードに使われた同じ発想を日本人妻にも適用しようとしていると言う疑いが各方面から指摘されている。最初まず100人と言う約束が15人になっ た。それも約束して何ヶ月も経過して食料援助と交換の形でやっと動き出した。次は来年という。来年何かの援助と引き替えになることは明らかである。15人 づつだったらあと100回は必要だろうがそれまで彼女たちの命が続くだろうか。
次に異常に感じたのは個人会見を許さず集団会見だったこと。相互監視で公式声明以外の情報の漏洩を防ぐ。一番知りたい生活状況を初めとす る個人情報は全く報道されなかった。集団会見で出た第一声は「金正日将軍様のおかげで幸せに暮らしています。」であったと報道された。自国の元首又は相当 者をたたえる言葉で、食糧危機に喘ぐ国民を表現せねばならぬとは敗戦間際の軍国日本時代を彷彿させる思想統制国家のように思えた。
さらに愕然としたのは全員が朝鮮名に改名していたことである。あれだけ帰りたかった祖国になぜ朝鮮名であるのか。なぜ親のくれた名前を捨 て去ったのか。国際結婚する人々を沢山見るが、名前の文字表記は国字の相違で国ごとに変わることがあっても音は変えないのが普通だと思う。朝鮮人名をカタ カナで表記するようになったのは漢字では日本読みのとき朝鮮語と違う発音になることを朝鮮民族が忌み嫌ったからである。
私は朝鮮語は判らないので、あるいは日本名が漢字であるから、それを朝鮮語で発音しているのかも知れないとも思った。中国人名ときには著 名な朝鮮人名は漢字名で表記される。たしかに表音表意の両文字を持つ国の民は名前を二通りに表現できる。中には日本名を漢字で発表した人もある。それは北 朝鮮での戸籍名なのか。そうだとしても、中国残留孤児と違い、日本で大人になった人々である。祖国での呼び名を祖国に来ても使わないとは自身のアイデン ティを拒否しているとしか思えない。
朝鮮民族の社会はよそ者を排除する厳しいムラ社会であると聞く。昔の植民地支配民族に対しては特にきついだろう。そこに生きるには想像を 絶する後退が要るのだろうと思う。彼女らは北朝鮮への忠誠の証に改名せざるを得なかったのだろうか。だから冒頭の言葉が「金正日将軍様のおかげ」であった のではないか。

('97/11/25)

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